第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(三)

*今回は『東周列国志』第九十六回その三です。
 
趙王が秦王に別れを告げて帰国した時、ちょうど三十日が経っていました。
趙王が言いました「寡人は藺相如を得たおかげで、この身が泰山のように安らかになり、国は九鼎のように重くなった。相如の功は最大だ。群臣でおよぶ者はいない。」
藺相如は上相となり、廉頗の右(上位)に置かれました。
廉頗が怒って言いました「わしには攻城野戦の大功があるのに、相如が口舌による微労を尽くしただけで、位がわしの上になった。そもそも彼は宦者の舍人で、出身が微賎だ。わしが甘んじて彼の下になれると思うか。今後、相如を見たら必ず撃殺してやろう。」
廉頗の言を聞いた藺相如は、公朝(朝廷の会)の度に病と称して欠席し、廉頗に会わないようにしました。舍人は藺相如を臆病だと思い、秘かに議論するようになります。
ある日、藺相如が外出した時に廉頗も外出しました。藺相如は遠くに廉頗の前導(先導)を見つけ、急いで御者に命じて車を引き還させ、廉頗が通り過ぎるまで道から外れた巷の中に隠れました。
これを聞いた舍人達はますます憤り、そろって藺相如に会いに行ってこう言いました「臣等が井里(故郷)を離れ、親戚を棄ててあなたの門下に来たのは、あなたが一時の丈夫だと信じ、あなたを慕っていたからです。今、あなたは廉将軍と共に並び、しかも右に位置しているのに、廉君が悪言を口にしてもあなたは報いることができず、朝廷でも市街でも逃げ回っています。なぜそれほどまで畏れるのですか?臣等はあなたに代わって羞恥を感じているので、別れを告げさせていただきます。」
藺相如が舎人達を止めて言いました「私が廉将軍を避けているのは理由があるからだ。諸君にはそれを察することができないのだ。」
舍人達が言いました「臣等は浅近無知(目先の事しかわからないという意味)なので、あなたの明言を乞います。」
藺相如が問いました「諸君が見たところ、廉将軍と秦王を較べたらどうだ?」
舍人達が言いました「廉将軍は秦王に及びません。」
藺相如が言いました「秦王の威があれば天下で対抗できる者はいない。しかし相如(私)は秦廷で秦王を叱咤し、その群臣を辱めた。相如は駑(愚鈍)だが、廉将軍一人を畏れると思うか?私が考えているのは、強秦が敢えて趙に兵を加えようとしないのは、我々二人がいるからだ。それなのに両虎が互いに戦ったら共存できなくなる。秦人がそれを聞けば必ず隙に乗じて趙を侵す。私が強顔(恥知らず)によって彼を避けているのは、国計を重視して私讎を軽視しているからだ。」
舍人達は納得して感嘆しました。
 
間もないある日、藺氏の舍人と廉氏の客が酒肆(酒店)で遭遇しました。双方が席を争いましたが、藺氏の舍人がこう言いました「我が主君は国家のために廉将軍に譲っている。我々も主君の意を汲んで廉氏の客に譲ろう。」
この後、廉氏はますます驕慢になりました。
 
河東の人・虞卿が趙に周遊しました。藺氏の舍人から藺相如の言葉を聞き、趙王に言いました「王にとって、今日の重臣は藺相如と廉頗ではありませんか?」
王が言いました「そうだ(然)。」
虞卿が言いました「臣が聞いたところでは、前代の臣は師師済済(人数が多くてにぎやかなこと)としており、同寅(同僚)が協恭(尊重しあって協力すること)として国を治めてきました。今の大王は重臣二人に頼っていますが、二人を水火の仲にさせています。これは社稷の福ではありません。藺氏はますます謙譲しているのに、廉氏はその情(事情。心情)を測ることができず、廉氏がますます驕慢になっているのに、藺氏にはその気を折ることができません。朝廷で事があっても共に議すことなく、将になっても危急の時に助け合うことができないので、臣は大王に代わって憂いています。臣に廉藺を交わらせ、大王の援けとさせてください。」
趙王は同意しました。
 
虞卿は廉頗に会いに行き、まず功績を称えました。廉頗は喜んで上機嫌になります。
そこで虞卿が言いました「功を論じるのなら将軍に及ぶ者はいません。しかし量(度量)を論じるのなら、やはり藺君を推さなければなりません。」
廉頗が怒って言いました「懦夫は口舌によって功名を得ただけだ。何の量があるというのだ!」
虞卿は「藺君は懦士ではありません。遠大な見識をもっています」と言ってから、藺相如が舍人に語った言葉を伝え、こう結びました「将軍が趙に身を託すつもりがないのならそれまでですが、もし趙に身を託したいのなら、両大臣の一人が譲って一人が争っているので、恐らく盛名が帰す場所は将軍ではなくなってしまいます。」
廉頗が大いに恥じ入って言いました「先生の言がなかったら、私は過ちを聞くことができませんでした。私は藺君に遠く及びません。」
廉頗はまず虞卿を送って藺相如に謝意を伝え、廉頗自身も肉袒負荊(上半身を裸にして荊を背負うこと)して藺氏の門を訪ねました。
廉頗は「鄙人(小人)は志量が浅狭なため、相国がこのように寬容だとは知りませんでした。死んでも罪を贖えません」と言って庭で長跪(跪いて上半身を直立させた姿勢)します。
藺相如が走り出て抱え起こし、「我々二人は肩を並べて主に仕え、社稷の臣を勤めています。将軍に赦されるのなら、既に幸甚というものです。どうして謝る必要があるのでしょう」と言いました
廉頗が藺相如に抱えられたまま言いました「鄙性(私の性格)は麤暴(粗野。乱暴)なのに、あなたの寛容を得ることができました。深く慚愧しています(「慚愧無地」。身の置き場もないほど恥じ入って後悔すること)。」
廉頗が泣き始め、藺相如も涙を流しました。
廉頗が言いました「これからは生死の交りを結ばせてください。刎頸に遭っても変わりません。」
廉頗が先に下拝し、藺相如が答拝しました。
藺相如は酒宴を設けて廉頗をもてなし、二人で楽しみを極めます。後世、「刎頸の交」という言葉ができましたが、この故事から生まれました。
 
趙王は虞卿に黄金百鎰を下賜して上卿にしました。
 
 
 
*『東周列国志』第九十六回その四に続きます。

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(四)