第九十九回 武安君が杜郵で死に、呂不韋が異人を帰らす(三)

*今回は『東周列国志』第九十九回その三です。
 
呂不韋は更に五百金で奇珍玩好(珍宝玩具)を購入しました。
やがて公孫乾に別れを告げて秦都咸陽に行きます。
呂不韋は華陽夫人に姉がおり、秦に嫁いでいると知りました。そこでまず姉の家人に賄賂を贈り、姉にこう伝えました「王孫異人が趙におり、太子夫人を想っています。王孫は孝順の礼を持っており、某(私)にそれを伝えさせました。このささやかな礼物(些小之儀)も王孫が姨娘(母の姉妹)に奉候(仕えること)するために準備したものです。」
呂不韋が金珠一函(箱)を献上すると、姉は大喜びして堂(部屋)を出て、自ら呂不韋に会いに行きました。簾の内側から呂不韋を見てこう問います「これは王孫の美意とはいえ、尊客に遠渉の労をもたらしてしまいました。今、王孫は趙にいますが、まだ故土を想っているのでしょうか?」
呂不韋が答えました「某(私)と王孫の公館は向かい合っており、何かがあれば全て某に打ち明けているので、某は王孫の心事をよく知っています。王孫は昼も夜も太子夫人を想っています。幼い頃に母を失ったので、夫人は王孫にとって嫡母(父の正妻。ここでは恐らく実の母親の意味)と同じであり、孝道を尽くすために国に帰って奉養したいと言っています。」
姉が問いました「王孫の安否はどうですか?」
呂不韋が言いました「秦兵がしばしば趙を討伐しているため、趙王は常々王孫を処刑しようとしています。しかし幸いにも臣民がそろって王孫を守るように上奏しているおかげで一命を保っています。そのため(このような危険もあるので)帰郷の思いがますます強くなっているのです。」
姉が問いました「臣民はなぜ彼を守るのですか?」
呂不韋が言いました「王孫の賢孝は並ぶ者がいません。いつも秦王、太子と夫人の寿誕(誕生日)や元旦朔望(元旦および毎月朔日と十五日)の辰(朝)になるたびに、必ず清斎沐浴(祭祀の前に心身を清めること)し、香を焚いて西望拝祝しています。趙人でこれを知らない者はいません。しかも好学で賢人を重んじ、諸侯の賓客との交わりは天下に遍いているので、天下が皆その賢孝を称賛しています。そのため、臣民が王孫を守るためにこぞって上奏しているのです。」
呂不韋は言い終わると再び金玉宝玩を取り出しました。およそ五百金に相当します。
呂不韋が珍宝を献上して言いました「王孫は帰って太子夫人に仕えることができないので、薄礼(わずかな礼物)でとりあえず孝順を示すことにしました。王親(王の親族。ここでは華陽夫人の姉)から伝えていただけないでしょうか。」
姉は門下の客を呼び、呂不韋を酒食でもてなすように命じました。姉自身は入宮して華陽夫人に伝えます。
夫人は珍玩を見て「王孫は本当に私のことを想っている」と信じ、心中で喜びました。
夫人の姉が戻って呂不韋に会うと、呂不韋が故意に問いました「夫人の子は何人いますか?」
姉が答えました「いません(無有)。」
呂不韋が言いました「『美色で人につかえる者は、美色が衰えたら愛も弛む(以色事人者,色衰而愛弛)』と聞いています。今、夫人は太子につかえてとても愛されていますが子がいません。今のうちに諸子の中から賢孝の者を選んで自分の子とすれば、百歳の後(太子の死後)、自分の子が王になるので、終生勢(権勢)を失う心配がありません。そうしなければ、後日美色が衰えて愛が緩んだ時、後悔しても取り返しがつかなくなります。異人は賢孝で自ら夫人につかえようとしています。しかも異人は自分が中男(兄弟の中間。または長男と末子以外の子)なので即位できないと知っています。もし夫人が彼を選んで適子にすれば(異人が夫人に恩徳を感じるので)、夫人は世世の寵を秦から得られます。」
姉が再び呂不韋の言葉を華陽夫人に伝えました。夫人は「客の言う通りです」と言いました。
 
ある夜、華陽夫人が安国君と酒を飲んで楽しんでいる時、突然涙を流して泣き始めました。太子が不思議に思って理由を問うと、夫人が言いました「妾(私)は幸いにも後宮に充てられましたが、不幸にも子がいません。あなたの諸子の中では異人に最も賢才があり、諸侯の賓客が来るたびに称賛が止まりません(称誉之不容口)。もし彼を嗣(後嗣。自分の子)にできれば妾の身にも託(頼り)ができます。」
太子が同意しましたが、夫人は心配してこう言いました「あなたは今日妾に同意しても、明日には他の姫の言を聞いてまた忘れてしまうでしょう。」
太子が言いました「夫人が信じないのなら、符を刻んで誓いとしよう。」
太子は玉符を取って「適嗣異人(嫡子異人)」の四字を刻み、中間で割りました。それぞれ半分を留めて誓いとします。
夫人が問いました「異人は趙にいます。どうやって帰らせるのですか?」
太子が言いました「機会を探して王に請うことにしよう。」
 
この頃、秦昭襄王は抵抗を止めない趙に対して怒りを抱いていたため、太子が王に話をしても聴こうとしませんでした。
呂不韋は王后(昭襄王の后)の弟楊泉君が秦王の貴幸を得ていると知り、その門下に賄賂を贈って楊泉君に謁見を求めました。
呂不韋が楊泉君に言いました「あなたの罪は死に至ります。あなたは知っていますか?」
楊泉君が驚いて言いました「私に何の罪があるのですか?」
呂不韋が言いました「あなたの門下には高官に就いていない者はなく、厚禄を享受し、駿馬が外厩を満たし、美女が後庭を充たしています。しかし太子の門下には、富貴と権勢を得ている者がいません。王の春秋は高いので(高齢なので)、一旦山陵が崩れて(王が崩御して)太子が位を継いだら、その門下は必ずあなたを怨むでしょう。あなたの危亡は時間の問題です。」
楊泉君が問いました「今のうちに計るなら、どうするべきでしょうか?」
呂不韋が言いました「鄙人(私)に計があり、あなたの寿を百歳にして泰山のような安泰をもたらすことができます。あなたは聞きたいですか?」
楊泉君は跪いて教えを請いました。
呂不韋が言いました「王は年高(高齢)で、子傒(太子)にも適男(跡継ぎ)がいません。今、王孫異人は賢孝で諸侯に名を知られていますが、趙に棄てられており、日夜首を長くして帰郷を想っています。あなたが王后を通して秦王に進言し、異人を帰らせて太子の適子に立てさせることができれば、本来、国を持っていなかった異人が国を持つようになり、本来、子をもっていなかった太子の夫人も子を持つようになるので、太子と王孫の王后に対する徳(恩)は世世(代々)無窮のものとなります。こうすればあなたの爵位も長く保てるでしょう。」
楊泉君は下拝して「謹んで教えに感謝します」と言い、即日、呂不韋の言葉を王后に伝えました。
王后も納得して秦王に進言します。
秦王が言いました「趙人が和を請うのを待って、その子を迎えて帰国させよう。」
 
その頃、太子が呂不韋を招いて問いました「私は異人を秦に帰らせて嗣に立てたいと思っているが、父王が同意しない。先生には何か妙策がないか?」
呂不韋が叩首して言いました「太子が王孫を嗣に立てるというのなら、小人は千金の家業を惜しむことなく、趙で権勢を握る者に賄賂を贈って必ず救い出してみせます。」
太子と夫人は大喜びし、黄金三百鎰を呂不韋に渡しました。王孫異人が賓客と交わる費用にするためです。
王后も黄金二百鎰を出して全て呂不韋に渡しました。
更に華陽夫人が異人のために一箱の衣服を作り、呂不韋にも黄金百鎰(原文「共百鎰」。「二百鎰」の誤り?)を贈りました。異人が太子の跡継ぎになれたら呂不韋を異人の太傅に任命すると約束し、異人にこう伝えさせます「旦晚(朝晩)のうちに必ず会えます。憂慮はいりません。」
呂不韋は別れを告げて趙に帰り、邯鄲に入りました。まず父親に会って経緯を一通り話します。父親は大喜びしました。
翌日、呂不韋は礼物を準備して公孫乾に謁見し、その後、王孫異人に会って王后と太子夫人の話を詳しく伝えました。更に黄金五百鎰と衣服を献上します。
喜んだ異人が呂不韋に言いました「衣服は私が受け取りますが、黄金は先生が収めて、もし必要な時がきたら、自由に使ってください。私を助けて帰国させることさえできれば、感恩は浅くありません。」
 
 
 
*『東周列国志』第九十九回その四に続きます。