第九十九回 武安君が杜郵で死に、呂不韋が異人を帰らす(四)

*今回は『東周列国志』第九十九回その四です。
 
呂不韋はかつて邯鄲の美女を娶りました。趙姫といい、歌舞が得意です。趙姫が妊娠して二カ月が経ったと知ると、心中に一計を生じてこう考えました「王孫異人が国に帰ったら必ず継立の分(王位を継承する名分)ができる。この姫を献上してもし一男が生まれたら、それは私の嫡血(実子)だ。その男児が王を継承したら、嬴氏の天下が呂氏に代わるのだから、この生意(商売)で家財を使い尽くしても無駄にはならない。」
呂不韋は異人と公孫乾を家に招いて酒を飲みました。席上には多数の珍味が並べられ(珍羞百味)、笙歌がそろって興をそえます。
酒がまわってから呂不韋が言いました「卑人は最近、一人の小姫を納れました。とても歌舞が上手いので、一盃を勧めさせたいと思います。唐突なことに気分を害さないでください。」
呂不韋は青衣を着た二人の丫鬟(侍女)を呼び、趙姫を招くように命じました。
趙姫が来ると、呂不韋が言いました「汝は二人の貴人に拝礼しなさい。」
趙姫は軽やかに歩いて(軽移蓮歩)氍毹(絨毯)の上で二回叩頭しました。異人と公孫乾が慌てて揖礼を返します。
呂不韋は趙姫に金巵(杯)を持たせて二人の前で寿を祝わせました(酒を勧めさせました)。杯が異人の前に来ます。異人が頭を上げて見ると、そこには褒姒にも西施にも劣らない、絵にも描けないほどの美女がいました。
 
酒を勧め終った趙姫は長袖を開いて氍毹の上で『大垂手』と『小垂手(どちらも舞楽の名)』を舞い始めました。体は遊龍(空で遊ぶ龍。蛟龍)のよう、袖は素蜺(白い虹)のよう、旋回すれば羽毛が風に乗っているようで、軽盈(軽やかで柔らかい様子)な姿は塵霧と一体になったようです。
孫乾と異人は目を奪われて心を迷わせ、神揺魂蕩(精神を恍惚とさせること)としたまま讃嘆が止みません。
趙姫が舞い終わると、呂不韋は再び大觥(大杯)で酒を勧めさせました。二人は一息で飲み干します。
その後、趙姫は部屋の中に入っていきました。
賓客と主人が再び互いに酒を勧めあい、酒量がますます増えて歓びを極めました。
孫乾は思わず酩酊して坐席の上に伏せてしまいます。
異人は心中で趙姫を想い続けていたため、酒に酔ったふりをして呂不韋に請いました「某が孤身(一人)で質となり、客館が寂寥としていることに念じて、あの姫を得て妻にし、平生の願いを満足させることを、公(あなた)に許してほしいものです。あの身にいくら払えば譲っていただけますか。」
呂不韋が怒ったふりをして言いました「私は好意によって宴に招きました。妻妾を出して酒を献じさせたのは、敬意を表すためです。殿下は欲に従って私が愛する者を奪おうとしていますが、どこに道理があるのですか!」
異人は身を置く場所もないほど恥じ入り、跪いて言いました「某は客中孤苦(異国で人質となっている孤独)のため、先生が愛する人を割こうとしてしまいました。酔った後の狂言なので、機嫌を損なわないでください(幸勿見罪)。」
呂不韋が慌てて抱え起こして言いました「私は殿下が帰国するためなら千金の家産(家財)を使い尽くしても惜しいとは思いません。どうして一人の女子を惜しむことがあるのでしょう。しかしあの女はまだ幼くて恥ずかしがっているので、従わない恐れがあります。もし女が心から望むのなら、すぐにお送りして、鋪床払席(布団を敷いたり座席の掃除をすること)の役に備えさせましょう(妻妾として嫁がせましょう)。」
異人は再拝して感謝し、公孫乾が酒から醒めるのを待って、一緒に車に乗って去りました。
 
その夜、呂不韋が趙姫に言いました「秦の王孫が汝をとても愛しており、汝を妻にしたいと求めた。汝の意思はどうだ?」
趙姫が言いました「妾は既にこの身をもってあなたにつかえており、妊娠もしています。なぜ妾を棄てて他の姓につかえさせるのですか?」
呂不韋が秘かに言いました「汝が私に終身従っても、一賈人(商人)の婦人に過ぎない。王孫は将来、秦王になる名分がある。汝が寵を得たら必ず王后になる。天の幸によって男が生まれたら、その子が太子になる。私と汝は秦王の父母として、富貴を無窮にすることができるだろう。汝は夫婦の情に念じ、その身を屈して私の計に従え。秘密を漏らしてはならない。」
趙姫が言いました「あなたには大きな謀があります。妾が命に従わないわけにはいきません。しかし、夫妻(夫婦)の恩愛を絶つのは忍びありません。」
言い終わると涙を流します。
呂不韋が慰めて言いました「汝が夫妻の情を忘れないのなら、後日、秦家の天下を得てから(趙姫の子が王になってから。異人が死んでから)、また夫婦となって永遠に離れることがなくなる。それも素晴らしいではないか(豈不美哉)。」
二人は天に向かって誓いを行いました。その夜は同寝し、恩情(愛情)がいつもの倍になりました。
 
翌日、呂不韋が公孫乾を訪ねました。昨晩の酒席でもてなしが行き届いていなかったことを謝ります。
孫乾が言いました「ちょうど王孫と一緒に府を訪ねて高情に拝謝しようとしていたところです。逆に足を運ばせてしまいました。」
少しして異人も来ました。互いに謝辞を交わします。
呂不韋が言いました「殿下が小妾の醜陋を嫌うことなく、巾櫛を持って侍る機会を与えてくださりました。某(私)が小妾に再三話をして、既に尊命に従わせました。今日は良辰(美しい日。吉日)なので、寓所(住んでいる場所)まで送って陪伴させます(つかえさせます)。」
異人が言いました「先生の高義には粉骨しても報いることができません。」
孫乾が言いました「そのような良姻(良縁)ができたのなら、某が媒(仲介。仲人)になりましょう。」
孫乾が左右の者に命じて喜筵(婚礼の宴席)を準備させました。
呂不韋は別れを告げていったん帰ります。
夜、呂不韋が温車(荷台がある車)に趙姫を乗せて送り出し、異人と結婚させました。
 
異人は趙姫を得てから魚と水の関係のように親しくし、これ以上ないほど溺愛しました。
約一カ月が経ってから趙姫が異人に言いました「妾は殿下に侍らせていただき、天の幸によって懐胎しました。」
異人は真相を知らず、自分の子だと信じて歓び、ますます趙姫を愛しました。
趙姫は二カ月前から妊娠しており、異人に嫁いて八カ月で満十カ月になりましたが、本来生まれるべき日になっても腹の中が全く動きませんでした。趙姫が孕んだのは天下を混一(統一)する真命帝王(天命を受けた本当の帝王)です。通常の子とは異なり、十二カ月、つまり満一年が経ってからやっと一児が生まれました。分娩の時には紅光が室内を満たし、百鳥が飛翔しました。
生まれたばかりの嬰児をみると、豊準長目(鼻が高くて目が長い)、方額重瞳(額が四角くて瞳が重なっている)という人相で、口の中には既に数本の歯が生えており、背項(首の後ろ)に一塊の龍鱗がありました。泣き声は洪大で、街市の人々にも聞こえたほどです。
この日は秦昭襄王四十八年正月朔旦でした。
 
異人が大喜びして言いました「運に応じる王とは必ず異徵(異相)があるという。この子は骨相が非凡なうえ、正月に生まれた。後日、必ず天下で政を為すことになるだろう。」
嬰児は趙姫の姓を取って趙政と呼ばれることになりました(趙政の趙は氏のはずですが、『東周列国志』では「趙政」が名となっています。第百一回で述べます)。趙政は後に秦王を継いで六国を兼并し、秦始皇となる人物です。
呂不韋は趙姫が男児を生んだと聞いて秘かに喜びました。
 
秦昭襄王五十年、趙政が成長して三歳になりました。秦兵が邯鄲を包囲しており、趙は危急の時にあります。
呂不韋が異人に言いました「趙王がもしまた怒りを殿下に遷したら助かりません。秦国に逃げるべきです。そうすれば危難から脱することもできるでしょう。」
異人が言いました「この事は全て先生の籌画(計画。策謀)にかかっています。」
呂不韋は黄金六百斤を準備し、そのうち三百斤を南門を守る全ての将軍に贈って言いました「某()は家を挙げて陽翟からここに来て、行賈(行商)していました。しかし不幸にも秦寇が発生し、城を包囲されて久しくなります。某は故郷を強く思っているので、蓄えた資本を全て各位に譲ることにしました。人情によって方便を計っていただき、私の一家を城から出させてもらえれば、陽翟に帰ってから深く礼をします(感恩不浅)。」
守将達は同意しました。
更に百斤を公孫乾に献上して陽翟に帰るという意思を伝え、公孫乾からも南門の守将達に方便を計るように説得させました。守将や軍卒は全て賄賂を受け取っていたため、公孫乾の請いも聞き入れます。
呂不韋はあらかじめ異人に計画を伝え、趙氏母子を秘かに母の家に移させました。
当日、呂不韋が酒宴を設けて公孫乾を誘い、こう言いました「某(私)は三日以内に城を出るので、一杯を設けて別れの話をすることにしました。」
宴席で公孫乾に酒を勧めて完全に泥酔させました。左右の軍卒も大量な酒や肉を好き放題飲み食いし、それぞれ酔った上に満腹になって、熟睡してしまいます。
夜半、異人が微服(庶民の服)を着て僕人の中に紛れ込み、呂不韋父子と一緒に南門まで来ました。守将は異人がいるとは知らず、自ら鑰(鍵)を開いて呂不韋一行を城の外に出します。
本来、王齕の大営は西門にあります。しかし呂不韋は故郷に帰ると言っていたため、陽翟に通じる大路がある南門から出て行きました。
三人と僕従は一隊になって夜中駆け続け、大きく遠回りして秦軍に投じようとしました。
 
空が明るくなる頃、秦国の遊兵に捕まりました。
呂不韋が異人を指さして言いました「ここにいるのは秦国の王孫だ。かつて趙の質となったが、今は邯鄲から脱出して本国に奔るところだ。汝等は速やかに道を案内せよ。」
遊兵は馬を三人に譲って坐らせ、王齕の大営に連れて行きました。
来歴を聞いた王齕は異人を中に招き、衣冠を与えて換えさせました。すぐに酒宴を開いて歓待します。
王齕が言いました「大王は自らこの地で督戦しており、行宮はここから十里も離れていません。」
すぐに車馬が準備され、異人が行宮に送られました。
異人を見た秦昭襄王はこれ以上ないほど喜び、「太子が日夜汝を想っている。今回、天が我が孫を虎口から脱出させたのだ。先に咸陽に帰って父母の念を慰めよ」と言いました。
異人は秦王に別れを告げ、呂不韋父子と一緒に車に乗って咸陽に向かいます。
父子が再会してどうなるのか、続きは次回です。

第百回 魯仲連が秦帝に肯かず、信陵君が符を盗んで趙を救う(前篇)