第百回 魯仲連が秦帝に肯かず、信陵君が符を盗んで趙を救う(中篇)

*今回は『東周列国志』第百回中編です。
 
新垣衍が去ってから、平原君が再び人を送って鄴下に駐留している魏将晋鄙に救援を求めました。しかし晋鄙は王命があるため拒否します。
そこで平原君は信陵君無忌を譴責する書を送りました「勝(私)があなたに附いて婚姻関係を結んだのは(平原君の妻は信陵君の姉です)、公子が高義によって人の困難を解決できると信じたからです。今、邯鄲は旦暮にも秦に降ります。しかし魏の援軍は進もうとしません。これが勝(私)が平生から託してきた意義なのでしょうか?あなたは姊(姉)に城が落ちる日を憂いさせ、日夜悲泣させています。公子が勝(私)を想わないのは仕方ありませんが、姊までも思わないのでしょうか?」
書を得た信陵君は頻繁に魏王に会いに行き、晋鄙に兵を進めさせるように請いました。しかし魏王は「趙は自分で秦が帝を称すことに反対したのだ。他人の力に頼って秦を退かせようというのか」と言って同意しません。
信陵君は賓客辯士を使って様々な説得をさせましたが、やはり魏王は同意しませんでした。
信陵君が言いました「私は義によって平原君を裏切るわけにはいかない。一人で趙に赴いて、平原君と一緒に死のう。」
信陵君は百余乗の車騎を準備し、全ての賓客に考えを知らせました。秦軍を直接侵して平原君の難に殉じるつもりです。千余人の賓客が従軍を願いました。
信陵君が夷門を通って侯生に別れを告げました。
侯生が言いました「公子は勉めてください。臣は年老いているので従えません。悪く思わないでください(勿怪,勿怪)。」
信陵君は何回も侯生を見つめましたが、侯生はそれ以上口を開きません。
信陵君は速やかに去りました。
十余里進んだ時、信陵君が心中でこう考えました「私が侯生を遇する態度は、自分では礼を尽くしてきたと思っていた。しかし今回、私が秦軍に向かって死地に就こうとしているのに、侯生は一言半辞も私と謀ろうとしなかったし、私の行軍を止めようともしなかった。おかしなことだ(甚可怪也)。」
信陵君は賓客を留め、一人で車を返して侯生に会いに行くことにしました。賓客が皆言いました「彼は半死の人なので、無用なのは明らかです。公子が会いに行く必要はありません。」
信陵君は反対意見を聞かず、城に戻りました。
 
侯生は門外に立っており、信陵君の車騎を待っていました。信陵君が来ると侯生が笑って言いました「嬴(私)は公子が必ず戻ってくると予想していました。」
信陵君が問いました「それはなぜですか?」
侯生が言いました「公子は嬴を厚く遇してきました。しかし公子が不測の地に入るというのに、臣が送らなかったので、臣を恨むのは当然です。だから公子が必ず戻ってくると知っていたのです。」
信陵君が再拝して言いました「無忌(私)は先生に失礼があったから棄てられてしまったのではないかと疑い、理由を請うために戻ったのです。」
侯生が言いました「公子は客を数十年も養ったのに、客から一つの奇計を聞くこともなく、いたずらに公子と共に強秦の鋒(先鋒。または強盛な軍隊)を犯させようとしています。これは肉を餓虎に投げ与えるのと同じで、何の益もありません。」
信陵君が言いました「無忌も無益であることは知っています。しかし平原君と厚い交わりがあるので、義によって一人だけで生きているわけにはいきません。先生には何か策がありますか?」
侯生が言いました「公子はまず中に入ってお座りください。老臣がゆっくり計を述べます。」
侯生は信陵君の従人を去らせてから、秘かに問いました「如姫が王の寵幸を得ていると聞きましたが、本当ですか?」
信陵君が答えました「その通りです(然)。」
侯生が言いました「嬴(私)はこのような話を聞いたことがあります。かつて、如姫の父が人に殺されたため、如姫が父の仇に報いるために、王に話して犯人を捜しました。しかし三年経っても犯人は捕まりません。すると公子が客を使って仇の頭を斬り、如姫に献上しました。この出来事は真実ですか?」
信陵君が言いました「確かにそのような事がありました。」
侯生が言いました「如姫は公子の徳に感謝しており、公子のために死を願っているのは一日の事ではありません。今、晋鄙の兵符は王の臥内(寝室)にあり、如姫だけがそれを盗み出す力を持っています。公子が一度口を開いて如姫に請えば、如姫は必ず従います。公子が兵符を得て晋鄙から軍を奪い、趙を救って秦を退ければ、五霸の功となります。」
信陵君は夢から覚めたように道が開かれました。再拝して恩を謝します。
 
信陵君はまず賓客を郊外で待機させ、一人で家に車を駆けさせました。以前から関係が深い内侍の顔恩に会い、兵符を盗みだす計画を秘かに如姫に伝えさせます。
如姫が言いました「公子の命なら、たとえ妾に湯火を踏ませたとしても、辞退することはありません。」
その夜、魏王が酒に酔って横になりました。如姫が虎符を盗んで顔恩に渡し、顔恩から信陵君の手に送られます。
兵符を得た信陵君は再び侯生に会いに行って別れを告げました。すると侯生がこう言いました「『将が外にいたら君命も受けないことがある(将在外,君命有所不受)』といいます。公子が兵符を合わせても、もし晋鄙が信じなかったり、便宜を計って(公子に従うふりをして)秘かに人を送って魏王に確認したら、事はうまくいきません。臣の客(友人)朱亥は天下の力士です。公子は彼を連れて行くべきです。晋鄙が従うようならそれに越したことはありません。しかしもし従わないようなら、朱亥に命じて撃殺してください。」
信陵君が思わず涙を流しました。
侯生が問いました「公子は畏れるのですか?」
信陵君が言いました「晋鄙は老将で罪もありません。もし従わなかったら撃殺しなければならないので、私はそれを悲しんでいるのです。他に畏れることはありません。」
信陵君は侯生と一緒に朱亥の家を訪ねて話をしました。朱亥が笑って言いました「臣は市屠の小人に過ぎないのに、公子は何回も足を運ばれました。それに報いなかったのは、小礼では何の役にも立たないと思ったからです。今、公子に急事があります。まさに亥(私)が命をかける日です。」
侯生が言いました「臣も義によって従うべきですが、年老のため遠くには行けません。魂になって公子をお送りします。」
侯生は車前で首を斬って死にました。信陵君はとても悲悼し、侯生の家に厚く財貨を贈って殯殮(葬儀)させました。
信陵君自身は留まっているわけにはいかず、朱亥と一緒に車に乗って北に向かいました。
 
魏王は臥室で兵符を失ってから三日後に気がつきました。心中で驚き不思議に思って如姫に問い正しましたが、如姫は知らないと言うばかりです。宮内を全て探しましたが、全く見つかりません。
魏王は顔恩に命じ、宮娥(宮女)内侍で内寝の宿直をしていた者を一人一人拷打させました。顔恩は心中で真相を知っていましたが、やむなく宮人を詰問します。混乱の中、一日が過ぎました。
魏王は突然、公子無忌がしばしば晋鄙の兵を進めるように要求していたことを思い出しました。彼の手下の賓客には鶏鳴狗盗の者も多数います。彼の仕業に違いありません。そこで部下を送って信陵君を招くと、部下が戻ってこう報告しました「四五日前に賓客千余を連れて、車百乗で城を出ました。趙を救いに行ったとのことです。」
激怒した魏王は将軍衛慶に兵三千で後を追わせました。衛慶は夜を通して信陵君を追撃します。
 
邯鄲城中は援軍を待ち望んでいましたが、一人も姿を現しません。百姓の力は既に尽きており、投降を主張する者が出始めます。趙王は事態を憂慮しました。
伝舍吏(賓客が住む館舎の官吏)の子李同が平原君に言いました「百姓が毎日城壁に登って守っているのに、あなたが富貴を享受していたら、誰があなたのために力を尽くすでしょう。あなたは夫人以下の家人を全て行伍(軍隊)の間に編成して任務を分担させ、家中の財帛を散じて将士に与えるべきです。将士は危苦の郷において感恩しやすくなっているので、必ず秦を防ぐために力を尽くします。」
平原君はこの計に従いました。
また、敢死(決死)の士三千人を募って李同に指揮させました。李同は綱を使って城壁を降り、夜に乗じて秦営を襲います。千余人の秦兵が殺され、驚いた王齕は更に三十里退いて営寨を構えました。
城中の人心がやっと少し安定します。
しかし李同は重傷を負い、城に帰ってから死んでしまいました。平原君は慟哭して厚葬を命じました。
 
その頃、信陵君無忌が鄴下に到着し、晋鄙に会って言いました「大王は将軍が久しく外に曝されているので、無忌(私)を送って将軍と労苦を交代させた。」
朱亥に命じて虎符を晋鄙に渡し、符合させました。晋鄙は兵符を受け取りましたが、心中で躊躇してこう考えました「魏王は十万の衆を私に託した。私は固陋(愚才)だが、まだ敗衂(敗戦)の罪があるわけではない。今、魏王による尺寸の書もなく、公子がただ兵符を持って将の任務を代わりに来たが、軽々しく信じていいはずがない。」
晋鄙が信陵君に言いました「公子は数日の間、消停(休憩)してください。某(私)が軍伍を冊籍にまとめて明確にしてから、公子に交付しましょう。」
信陵君が言いました「邯鄲の形勢は危機に臨んでおり、星夜を駆けて救援に赴かなければならない。留まっている時間があるか。」
晋鄙が言いました「偽らずに言いましょう。これは軍機の大事です。王に上奏して命を請わなければ、軍を渡すことはできません。」
晋鄙が言い終わる前に朱亥が激しく怒鳴って言いました「元帥が王命を奉じないのなら、反叛である!」
晋鄙が「汝は誰だ!」と一言問いましたが、朱亥は袖の中から重さ四十斤の鉄鎚を取り出し、何も言わず晋鄙の頭をめがけて一撃しました。頭が裂けてすぐに息を失います。
信陵君が兵符を握って諸将に言いました「魏王の命がある。某(私)が晋鄙将軍と交代して趙を救うことになった!晋鄙は王命を奉じなかったから誅死した!三軍は安心して(落ち着いて)令を聞け!妄りに動いてはならない!」
営内が粛然としました。
すぐに衛慶も鄴下に至りましたが、信陵君が既に晋鄙を殺して軍を指揮しています。衛慶は信陵君の趙を救う志が固いと判断し、別れを告げて去ろうとしました。
しかし信陵君がこう言いました「君は既にここに来たのだから、私が秦を破るのを見てからでなければ、還って我が王に報告することはできない。」
衛慶はやむなく軍中に留まり、秘かに使者を送って魏王に報告しました。
 
信陵君が三軍を大犒(慰労)してから軍令を出しました「父子ともに軍中にいる者は父が帰れ。兄弟ともに軍中にいる者は兄が帰れ。独子(一人っ子)で兄弟がいない者は帰って(親を)養え。疾病がある者は留まって医薬に就け(治療に就け)。」
約十分の二の兵が帰国し、精兵八万人が残りました。信陵君は改めて軍を編成して隊列を整え、軍法を明らかにしました。
 
 
 
*『東周列国志』第百回後篇に続きます。