第百三回 李国舅が黄歇を除き、樊於期が秦王を討つ(後篇)

*今回は『東周列国志』第百三回後編です。
 
長安成嶠はまだ十七歳で軍務に精通していなかったため、樊於期を招いて相談しました。樊於期は以前から呂不韋が妾を納めて国を盗んだ事を嫌っていたため、左右の人払いをしてから成嶠に詳しく経緯を説明し、こう言いました「今王は先王の骨血ではありません。あなたこそが適子(嫡子)です。今日、文信侯が兵権をあなたに託したのは、好意によるものではありません。一旦事が洩れたらあなたが今王に難を与えることになるので、表向きは恩寵を与えるふりをして、実際はあなたを国外に出そうとしているのです。文信侯は宮禁(宮中)に出入りして王太后との宣淫(公然とした淫事)を禁じていません。夫妻父子が一窟に集まって嫌っているのは、あなた一人です。もし蒙驁の兵が敗れて功を立てられなかったら、それを口実にしてあなたに罪を着せるでしょう。軽くても籍が削られ、重ければ誅殺されます。嬴氏の国が呂氏の国に変わるのは、国を挙げて人々が必然な事だと知っています(秦王が先王の子ではないということは国中が知っており、嬴氏が呂氏に乗っ取られるのは避けられないと思っています)。あなたは計を成すべきです。」
成嶠が言いました「足下の説明がなければ某(私)は知らなかった。今からどうするべきだ?」
樊於期が言いました「蒙驁の兵が趙で困窮しており、帰ることもできないので焦っています。あなたは重兵を掌握しているので、檄を発して淫人の罪を宣言し、宮闈後宮の詐(詐術。欺瞞)を明らかにすれば、臣民が適嗣(嫡子)を奉じて社稷の主に立てることを願うでしょう。」
成嶠は憤慨して剣を持ち、厳しい口調で言いました「大丈夫は死ぬべき時に死ぬものだ。賈人(商人)の子の下に膝を屈することができるか。将軍は善く図ってくれ。」
樊於期は偽って使者(張唐)にこう言いました「大軍は即日営を移動させます。蒙将軍にしっかり意を伝え、用心して準備を整えさせてください。」
使者が去ってから、樊於期が長安君に代わって檄文を書きました「長安成嶠が中外の臣民に広く布告する。伝国の義は適統(正統。直系)を尊び、覆宗(宗廟社稷を転覆させること)の罪悪は最も甚だしい陰謀とされている。文信侯呂不韋は陽翟の賈人(商人)でありながら咸陽の主器(祭器。そこから太子の意味。ここでは秦の政権)を窺い盗んだ。今、王政は先王の嗣(後嗣)ではなく、不韋の子である。まず懐娠(懐妊)した妾を使って先君を巧みに惑わし、後には奸生の児(子)を使って血胤を偽り、行金(賄賂)を奇策とし、反国(帰国)を手伝った者を上功とした(賄賂を使って秦に入った)。先代二君の不寿(短命)には理由がある。それを赦すことができるか。三世の大権を掌握されており、誰にも彼を防げない。我々が朝見しているのは真王ではなく、陰では既に嬴氏が呂氏に変わっている。今は假父(仮の父。偽の父)の地位に尊居しているが、最後は臣下の身で君位を簒奪するつもりだ。社稷が臨んでいる危機に、神人とも憤怒している。某(私)は嫡嗣という立場を受け継いだので、天誅を完成させたい。甲冑干戈は義声を帯びれば色を生じる(義があれば光を放つ)。子孫臣庶よ、先徳(先王の徳)を念じて同躯(同体。一体)となれ。檄文が届いた日に兵器を磨いて待機せよ(磨厲以須)。車馬が臨んだ時、市肆(市場。庶民の生活の場所)に変事をもたらしてはならぬ。」
樊於期は檄文を四方に伝布しました。
秦人の多くは呂不韋が妾を進めた事を聞いていたため、檄文に書かれた懐妊や奸生等の内容を真実だと信じました。文信侯の威勢を畏れており、成嶠の軍に従おうとする者はいませんでしたが、積極的に呂不韋を援けようともせず、傍観の意志を持つようになります。
 
この頃、彗星が東方に現れてから北方でも現れ、更に西方でも現れました。占者は秦国内で兵乱が起きると言い、人心が動揺しました。
樊於期は屯留付近の県で丁壮を集めて軍伍を編成し、長子(地名)と壺関を攻略しました。兵勢がますます盛んになります。
張唐は長安君が謀反したと聞き、夜を通して咸陽に走りました。
秦王政は檄文を見て激怒し、尚父呂不韋を招いて計議しました。呂不韋が言いました「長安君は年が若いので、このような事はできません。樊於期がやったのでしょう。於期は勇があっても謀がないので、兵を出せばすぐ擒にできます。過度な心配は要りません。」
呂不韋王翦を大将に、桓齮と王賁を左右先鋒に任命し、兵十万を率いて長安君を討伐させました。
 
龐煖と対峙している蒙驁は、長安君の援軍が来ないため不可解に思っている時、檄文を受け取りました。始めて事情を知り、驚いて言いました「わしは長安君と事を共にした。今、趙を攻めても功がなく、しかも長安君が造反した。わしが無罪でいられるはずがない。戈を逆にして逆賊を平定しなければ、自分の疑いを解くことはできないだろう。」
蒙驁は撤兵を命じて軍馬を三隊に分け、自ら後ろを断ってゆっくり進みました。
龐煖は探りを入れて秦軍が移動し始めたと知り、精兵三万を選んで扈輒に指揮させ、間道から先行して太行山の林深くに埋伏させました。扈輒が出発する前に、龐煖が言いました「蒙驁は老将なので必ず自ら後を断つ。秦兵が全て通り過ぎるのを待ち、後ろから襲えば完勝できるだろう。」
 
蒙驁は前軍が何の妨害にも遭わなかったため、安心して退却を続けました。すると突然、砲声が一度轟き、伏兵が現れました。蒙驁と扈輒の軍が交戦します。
久しくして龐煖の兵も追いつきました。秦兵で先に進んだ者達は既に戦意がないため、後ろから襲われた秦軍が壊滅しました。蒙驁は重傷を負いましたが、まだ力戦して数十人を斬り、自ら矢を射て龐煖の脅(肋骨)に命中させました。
趙軍は蒙驁を数重に包囲して矢を乱射します。矢は蝟毛(はりねずみの毛)のように密集して突き刺さりました。惜しくも秦国の名将はこうして太行山の下で死にました。
戦勝した龐煖も兵を率いて趙に帰りましたが、矢傷が治らず暫くして死んでしまいました。
 
張唐、王翦等が屯留に駐軍しました。成嶠が恐れを抱くと、樊於期が言いました「王子は今日、騎虎の勢いにあり、下りるわけにはいきません。それに三城の兵を総動員すれば十五万を下りません。城を背にして一戦すれば勝負がどうなるかはまだ分からないので、懼れる時ではありません。」
樊於期は城下に陣を構えて待機しました。
王翦も陣を布いて対峙します。
 
王翦が樊於期に問いました「国家が汝に対して何を裏切ったというのだ?なぜ長安君を造逆に誘ったのだ?」
樊於期が車上で欠身(お辞儀)してから答えました「秦政は呂不韋の奸生の子だ。これを知らない者はいない。我々は代々国恩を受けてきた。嬴氏の血食(祭祀)が呂氏に奪われるのを見ていて忍びなくないのか。長安君は先王の血胤だから奉じたのだ。将軍がもし先王の祀を念じ、共に義を挙げて咸陽に殺到し、淫人を誅して偽主を廃し、長安君を擁立して王に立てるのなら、将軍は封侯の位を失うことなく、富貴を共に享受できるだろう。素晴らしいことではないか(豈不美哉)。」
王翦が言いました「太后は懐妊して十カ月で今王を生んだ。先君の子であることに疑いはない。汝は造謗によって乗輿(国君)を汚した。これは滅門の事である。それなのになお巧言で自らを虚飾し、軍心を動揺させようとしている。捕えられた時には屍を万段に粉砕されるであろう(碎屍万段)!」
樊於期は激怒して目を見開き、大声で叫びました。長刀を揮って秦軍に突進します。
秦軍はその雄猛を見て潰滅四散しました。樊於期は左右を突いて無人の野を行くように進みます。
王翦が軍を指揮して何回も包囲させましたが、ことごとく将が斬られて包囲が破られました。秦軍は多数の兵を失います。
その日、空が暗くなった頃、両軍がやっと兵を収めました。
 
王翦は傘蓋山に駐軍してこう考えました「樊於期はあのように驍勇だ。激しく攻めても解決できない。必ず計を用いて破る必要がある。」
王翦は帳下を訪ねて「誰か長安君と面識がある者はいないか?」と尋ねました。
末将で屯留人の楊端和が言いました「以前、客として長安君の門下にいたことがあります。」
王翦が言いました「わしが一通の書を準備して汝に渡すから、汝は長安君に送って速く帰順するように勧め、自ら死を招くことはないと伝えよ。」
楊端和が問いました「小将はどうやって城に入ればいいのでしょうか?」
王翦が言いました「交鋒の時を待ち、軍を収めた機に乗じて、敵軍のふりをして城中に混入すればいい。攻城が激しくなったら長安君に会いに行け。必ず変事が起きる。」
楊端和は計に納得しました。
王翦はすぐ書を準備し、封をして楊端和に渡しました。状況に応じて事を行うように命じます。
その後、桓齮に一軍を率いて長子城を攻めさせ、王賁に一軍を率いて壺関城を攻めさせました。王翦は自ら屯留を攻めます。三か所が同時に攻撃を受けたため、連携できなくなりました。
 
樊於期が成嶠に言いました「敵が軍を分けました。この機に乗じて勝負を決しましょう。もし長子と壺関が陥落して秦兵の勢いが大きくなったら、ますます対抗できなくなります。」
成嶠は若くて臆病だったため、泣いて言いました「この事は将軍が首謀した。将軍が自分で決めればいい。わしの事を誤らせるな。」
樊於期は精兵一万余を選び、城門を開いて出撃しました。
王翦は一戦してわざと敗れたふりをし、十里撤退して伏龍山に駐軍します。
勝ちを得た樊於期が城に戻った時、楊端和も混ざって入城しました。元々彼はこの城の人だったので、親戚が家に留めて休ませます。
 
成嶠が樊於期に問いました「王翦の軍馬が退かなかったらどうする?」
樊於期が答えました「今日の交鋒(交戦)で敵の鋭気を挫きました。明日、全ての兵を出撃させ、王翦を生け捕りにして咸陽に直進し、王子を擁立して国君に立てましょう。こうすれば我々の志を完遂できます。」
果たして勝負はどうなるのか、続きは次回です。

第百四回 甘羅が高位を取り、嫪毐が秦宮を乱す(前篇)