西漢時代156 武帝(七十五) 昭帝即位 前87年(2)
二月戊辰(十五日)、太子・劉弗陵が皇帝の位に即き、高廟を拝謁しました。
劉弗陵を昭帝といいます。
霍光が幼主を補佐して政令を出し、金日磾と上官桀が霍光を補佐します。天下の人々が霍光の風采を確かめたがりました。
殿中で怪事が起きました(具体的な内容は分かりません)。一晩中、群臣が驚いて騒然としています。
霍光は尚符璽郎(璽や虎符、竹符の半分を管理する官)を招き、異変に備えて皇帝の璽を回収しようとしました。
しかし郎が渡さないため、霍光は強引に奪い取ろうとします。
すると郎は剣に手を置いて「臣の頭は得られますが璽は得られません!」と言いました。
霍光は郎の義心を称賛します。
翌日、詔によって郎の秩を二等増やしました。
衆庶(民衆)は霍光をますます尊重しました。
夏六月、天下に大赦しました。
秋七月、東方に孛星(異星。彗星の一種)が現れました。
済北王・劉寬が禽獣行の罪に坐して自殺しました。
「禽獣行」とは「禽獣のような行い」という意味で、『資治通鑑』胡三注によると「内乱」を指します。家庭内の倫理を乱す行為です。
帝は大鴻臚・利を送って劉寛を招きましたが、劉寛は自剄して死にました。
済北王国は除かれて北安県になり、泰山郡に属すことになりました。
劉寬の父は劉胡(成王)、その父は劉勃(貞王)で、劉勃の父は淮南厲王・劉長です。劉長は高帝の子で、文帝の時代に王位を廃されて自殺しました。
昭帝が長公主と宗室の兄弟に序列に基いて賞賜を与えました。
冬、匈奴が朔方に入り、吏民を殺略しました。
漢は軍を発して西河に駐屯させ、左将軍・上官桀を北辺に向かわせました。
次回に続きます。