西漢時代262 成帝(二十) 杜鄴 前17年
今回は西漢成帝鴻嘉四年です。
西漢成帝鴻嘉四年
甲辰 前17年
春正月、成帝が詔を発しました「しばしば有司(官員)に敕し(指示し)、寬大を行うことに務め、苛暴を禁止させたが、今に至っても改められていない。一人に辜(罪)があったら宗族を挙げて拘繫(逮捕投獄)し、農民は失業して怨恨する者が多く、和気を傷害し、水旱が災を為し、関東では流冗(流散)している者が大勢おり、青・幽・冀部(三州)が特にひどいので、朕は甚だ心痛している。しかし在位の官員に惻然(憐憫、悲傷すること)の者がいるとは聞いたことがない。誰が朕を助けてこれを憂いるのだろう。既に使者を派遣して郡国を循行(巡行)させた。十分の四以上の災害を被り(恐らく農作物の十分の四以上が被災した地域という意味です)、民で貲(財産)が三万を満たさない者は、租賦を出す必要がない。逋貸(官物を借りて返さないこと)してまだ納入していない者からは、皆、回収しないことにする(逋貸未入皆勿收)。流民で入関を欲する者がいたら、全て籍に記録して中に入れよ。(流民が)向かった郡国は、道理に則って謹んで遇し(謹遇以理)、全てを活かさなければならない。朕の意にそうことを思う(願う)。」
秋、勃海、清河、信都で河水が溢れました。
三十一の県・邑に水が注ぎ、四万余個所の官亭、民舍を破壊します。
平陵の人・李尋が上奏しました「議者はいつも九河の故迹を探し求めて水路を穿つことを欲しています。今回は自決(決壊)に任せ、暫くは塞がずに水勢を観察するべきです。河はそこにいることを欲するので(原文「河欲居之」。恐らく「黄河は九河の跡を流れようとするので」という意味です)、次第に自ら川を成し、沙土を越えます(原文「跳出沙土」。恐らく「無理に塞ごうとしても沙土の堤防を越えて九河の流れに戻ろうとする」という意味です)。その後(河が自然に流れを決めてから)、天心に順じてこれを図れば(治水を行えば)、必ず功を成すことができ、用いる財力も寡少ですみます。」
こうして黄河を塞ぐ作業が中止されました。
朝臣がしばしば百姓を哀れんで進言したため、成帝は被災地に使者を送り、民を安居させて物資の救済を行いました。
前年挙兵した広漢の鄭躬の党が徐々に拡大し、四県を侵して衆が一万人近くになりました。
州郡には制御する力がありません。
鄭躬の党は旬月(一カ月未満)で平定されました。
趙護は執金吾に昇格し、黄金百斤を下賜されました。
この年、平阿侯・王譚(安侯)が死にました。
成帝はかつて王譚に王鳳の跡を継がせず(成帝陽朔三年・前22年参照)、輔政させることがないうちに死んでしまったため、後悔しました。
『資治通鑑』胡三省注によると、漢制では将軍に列したら幕府を置いて官吏を推挙できました。
この時、魏郡の杜鄴が郎の職に就いていました。以前から車騎将軍・王音と仲が善かったため、王音が今まで王譚と対立していたのを見て、王音にこう言いました「親戚なのに特殊な待遇を得られなかったら、誰が怨みを抱かないでしょう(夫戚而不見殊,孰能無怨)。昔、秦伯は千乗の国を擁していたのに同母弟を容れることができませんでした(春秋時代、秦景公の同母弟に当たる公子・鍼は父の秦桓公に寵愛されていました。桓公が死んで景公が即位すると、公子・鍼は懼れて晋に出奔しました)。『春秋』はこれを謗っています(譏焉)。周・召(西周の周公と召公)はそうではありませんでした。忠によって互いに(国を)輔け、義によって互いに(国を)匡し(正し)、自分に対するのと同じように親しみ、自分に対するのと同等に尊重し(同己之親,等己之尊)、聖徳によって国寵を独占しようとせず、年長であるからといって栄任(重要な職務)を専受することもなく、陝(地名)を境に職を分け(周公と召公は陝を境に西と東を分けて治めました)、並んで弼疑(『資治通鑑』胡三省注によると、天子の四方には左輔、右弼、前疑、後丞がいました。このうち、右弼と前疑をとって「弼疑」といいます。天子を輔佐する臣という意味です)となったので、内には感恨の隙(怨恨を抱いた対立)がなく、外には侵侮の羞(侵略を受ける屈辱)がありませんでした。共に天祐を享受し、二人とも高名を負うことになったのは、これが理由でしょう。私が見たところ(竊見)、成都侯は特進として城門の兵を領すことになり、また詔によって五府(丞相、御史および車騎・左・右将軍の府)と同じように吏を挙げる権限を得ました。この明詔が欲しているのは、(王商を)寵用することに違いありません(陛下は王商を寵用したいと思っています)。将軍は聖意に承順(受け入れて順じること)し、往時とは態度を変えて、全ての事において議論するたびに必ず彼を参与させるべきです。至誠から発すれば、誰が喜ばないでしょう(誠意をもって遇せば喜ばない者はいません。原文「発於至誠則孰不説諭」)。」
王音も王商も杜鄴を尊重しました。
次回に続きます。