東漢時代1 光武帝(一) 東漢光武帝
今回から東漢時代です。
世祖光武皇帝
姓は劉、名は秀、字は文叔といいます。
古代は兄弟の序列を「伯、仲、叔、季」という漢字で表しました。光武帝・劉秀には二人の兄がいましたが、どちらも劉秀が即位する前に死んでいます。長兄・劉縯は字を伯升といい、次兄は劉仲(字はわかりません。あるいは仲が字かもしれません)といいました。
劉秀は第三子なので字を文叔としました。
その後、劉発が舂陵節侯・劉買を生み、劉買が鬱林太守・劉外を生み(郡守は秦から踏襲した官で、秩は二千石です。景帝が太守に改名しました)、劉外が鉅鹿都尉・劉回を生み(都尉は以前の郡尉で、秦から踏襲した官です。主に郡守を輔佐して武職を担当します。秩は比二千石です。景帝が都尉に改名しました)、劉回が南頓令・劉欽を生み(県令と県長も秦から踏襲した官です。万戸以上の県は令が治め、秩は千石から六百石です。万戸に満たない県は県長が治め、秩は五百石から三百石です)、劉欽が光武帝・劉秀を生みました。
身長は七尺三寸あり、美須眉(美しい髭と眉)、大口、隆準(鼻が高いこと)、日角(額が盛り上がっていること)という容貌で、性格は稼穡(農業)に対して勤勉でした。
劉縯と劉秀は下江兵、新市兵、平林兵と合流して新軍と戦い、勢力を拡大しました。
その後、劉秀が昆陽で新軍に大勝し、九月に更始軍が王莽の新王朝を滅ぼします。
しかし更始政権が長安に都を置いてからも天下は混乱したままでした。しかも更始政権は声望がある劉縯を殺してしまいます。