十紀

神農氏のところで
天地開闢から獲麟の年(前481年。春秋時代、魯の国が麒麟を得たといわれる年)までは十紀に分けられる」
と書きました。
 
 
以下、『資治通鑑外紀』を元に、十紀について紹介します。
 
開闢から獲麟までは二百七十六万年の年月が流れました。この期間は十紀に分けられます。一説によると一紀はおよそ二十七万六千年、または二十六万七千年といわれています。
(『史記・三皇本紀』では、「十紀は三百二十七万六千年で世数は七万六百世」としています。)
 
一、九頭紀
臣下がいましたが、官位がなく、尊卑の区別もありませんでした。
 
二、五龍
五姓紀ともいいます。
二十七万三千六百年、または七万三千六百年続いたといわれています。
 
三、摂提紀
七十二姓紀ともいいます。
六百十四万九千五百二十年、または六十四万九千五百二十五年続いたといわれています。
 
四、合雒紀
三姓紀ともいいます。
六千四十年、または六千三十年続いたといわれています。
 
五、連通紀
六姓紀ともいいます。
三万二千年続いたといわれています。
 
六、序命紀
四姓紀ともいいます。
四万年続いたといわれています。
 
七、循飛紀
脩飛紀、循蜚紀ともいいます。
 
八、因提紀
回提紀ともいいます。
 
九、禅通紀
 
十、流訖紀
疏訖紀ともいいます。
 
 
十紀は遂皇(遂人氏・燧人氏)から始まり、六紀の時を経て、その間に九十一代が継承され、伏羲の時代に至ったともいわれています。
九頭紀は一代、五龍紀は五代、摂提紀は七十二代、合雒紀は三代、連通紀は六代、序命紀は四代で九十一代になります。
または百八十七代という説もあります。
 
伏羲氏の後、更に三紀の時が流れ、第十紀の流訖紀が黄帝の時代にあたるともいわれていますが、それ以外の何紀が誰の時代に相当するかはわかりません。