女媧氏の後

女媧氏の死後、
「大庭氏、柏皇氏、中央氏、栗陸氏、驪連氏、赫胥氏、尊盧氏、渾沌氏、
 昊英皞英)氏、有巣氏、朱襄氏、葛天氏、陰康氏、無懐氏」
が続いたと書きました。これは『帝王世紀』の記述で、女媧を含めて十五世、全て伏羲の制度を受け継いだとしています。
 
 
しかし『史記・三皇本紀』は人皇氏の後、伏羲氏・女媧氏の前に
 人皇の後は五劉氏燧人氏、大庭氏、栢皇氏、中央氏、巻須氏、栗陸氏、驪連氏、赫胥氏、尊盧氏、渾沌氏、昊英氏、有巣氏、朱襄氏、葛天氏、陰康氏、無懐氏が継いだが、その名も年代も都も分からない。」
「古代、泰山で封禅を行ったのは無懐氏が最初で、無懐氏は太昊(伏羲氏)の前といわれているので、『帝王世紀』がこれらを女媧の後ろに置いているのはおかしい」
と書いています。
 
 
資治通鑑外紀』は『帝王世紀』と同じく、女媧氏の後ろに大庭氏等を置いており、若干の説明があります。以下、『資治通鑑外紀』からです。
 
大庭氏
柏皇氏
中央氏
栗陸氏
驪連氏
赫胥氏
尊盧氏
渾沌氏
皞英氏
有巣氏
人皇の後に登場した有巣氏とは異なります。
 
朱襄氏
この時代は風が多く陽気が盛ん過ぎたため、万物が散解し、果物も野菜も実らなくなりました。そこで朱襄氏は士達に五弦瑟を作らせ、陰風を吹かせ、陰陽を調和させて生命が育つようにしました。
 
葛天氏
「葛天氏の楽」を残しました。三人で牛の尾を振り、「足投」という踊りを踊りながら奏でる歌のことです。
全部で八闕(首)からなります。「戴民」「玄鳥」「遂草木」「奮五穀」「敬天常」「遠帝功」「依地徳」「総禽獣之極(または「総万物之極」)」です。
草木や農作物が実る様子や天地の運行等を題材にした歌といわれています。
葛天氏によって歌や踊りが創造されたともいいます。
 
陰康氏
無懐氏
 
資治通鑑外紀』によると、伏羲氏から無懐氏までは千二百六十年、または五万七千七百八十二年の時が流れました。
女媧氏から無懐氏までは十五君になりますが、全て伏羲氏の号を継承したため、木徳の帝王に数えられます。その期間は千百五十年とも一万七千七百八十七年とも、一万七千八百八十七年とも一万六千八十年ともいわれています。
 
 
十八史略』は名称が若干異なり、
天皇地皇人皇
有巣氏燧人氏
伏羲氏女媧
共工大庭氏柏皇氏中央氏歴陸氏驪連氏赫胥氏尊盧氏渾沌氏昊英氏朱襄氏葛天氏陰康氏無懐氏
としています。
 
 
資治通鑑外紀』はこれらとは別の説も併記しています。以下、検証を加えず列挙します。
 
女媧氏から神農氏に至るまでは七十二姓が存在しました。
 
・伏羲氏の後、三姓が継承してから女媧氏に至り、女媧氏の後には五十性が天下を治めてから神農氏の時代になりました。
 
・『韓詩外伝』によると、古代、太山の封と梁甫の禅(両方集めて封禅の儀式)を行った者は万余人いましたが、仲尼(孔子)もその全てを知ることはできなかったといわれています。
 
・管子は昔、七十九代の君が天下の王になったといっており、『封禅書』には封禅を行った者が七十二家いたが夷吾(管子)はそのうち十二家しか知ることができなかったとあります。
 
・無懐氏の後に伏羲・神農の時代になったともいわれています。『列子』は伏羲氏以後を三十余万年としています。
 
・『荘子』によると、容成氏、大庭氏、柏皇氏、中央氏、栗陸氏、驪畜氏、軒轅氏、赫胥氏、尊盧氏、祝融氏、伏犠氏、神農氏が継いだとしています。
 
・『六韜』は柏皇氏、栗陸氏、黎連氏、軒轅氏、共工氏、宗盧氏、祝融氏、庸成氏、混沌氏、昊英氏、有巣氏、朱襄氏、葛天氏、陰康氏、無懐氏が継いだとしています。
 
・『金楼子』は容成氏、大庭氏、柏皇氏、中央氏、栗陸氏、黎連氏、赫蘇氏、宗盧氏、祝和氏が継いだとし、『鶡冠子』は祝和氏を成鳩氏としています。
 
 
資治通鑑外紀』は「彼等の時代が遥か遠く、文書による記録も失われている」として、一つの説に固執せず、複数の説を並べるだけにしています。混沌とした神話時代の混乱を物語っているようです。