共工氏

女媧氏の回で共工氏が登場しました。
また、顓頊の死後に共工の子・術器が反乱を起こしたという記述もありました。
 
 
共工氏は様々な伝説を残しています。
ここでいくつかまとめて紹介します。
 
まず中国の解放軍出版社による『中国歴代戦争年表』から共工と五帝の戦いです。
 
共工と顓頊、帝嚳、堯、舜の戦い
30世紀~前2070年 五帝中・後期
黄帝が死ぬと、江淮下流地区の共工が強大になり、西に拡大したため、黄帝を継いだ顓頊、帝嚳、堯、舜と中原地区の統治権を争うようになった。
共工は「大きな洪水を起こし、空桑(顓頊の帝都)を攻めた」ともいわれる。
長期にわたる激しい戦争の末、共工は五帝の勢力に敗れた。
 
長くなりますが、『中国歴代戦争年表』から共工の解説を抜粋します。
 
共工は個人の名称ではなく、部族連合体(氏族、国)の名称であり、その首領の名称でもある。『管子・揆度』は「共工の王は、水上に住む者十分の七、陸上に住む者十分の三あり、天勢に乗って天下を制したという。
共工炎帝族の子孫とする説、鯀と同一人物とする説(顧頡剛・童書業『鯀禹的伝説』)共工の子・句龍が禹であるとする説(童書業『春秋左伝研究』)等がある。
最近では上記観点から、鯀と禹はもともと長江下流良渚文化地区の首領であり、この地が海に侵食されたため、中原地区に移動・拡大したという見方もある(陳剰勇『中国第一王朝的崛起』)
 
共工が「大きな洪水を起こし、空桑を攻めた」というのは『淮南子・本経訓』に見える。(略)
自然地理学専門家の研究によると五帝の時代に自然災害の異常期が出現した(『大自然探索』1984年第4期)。温度が下がったり(竺可禎『中国近五千年気候変遷的初歩研究』)、大規模な海の侵食があった(王靖泰等『中国東部晩更新世以来海面昇降与気候変化的関係』)といわれている。よって『孟子・滕文公』には「堯の時、水が逆行し、中国に流れ込み溢れ出した」「堯の時、天下はまだ穏やかではなく、洪水が横流し、天下で氾濫した」等の記載がある。
共工は環境の変化により、西北に生存空間を求めて進出し、中原と戦争になったと思われる。
別の説では『帝王世紀』のように「顓頊は始め空桑を都とし、後に帝丘に遷った」ともいう。
帝丘は黄河が高所から平地に下がっていくところであり、淇・衛諸水が合流するところでもあるので、洪水が発生しやすい。共工は現在の河南輝県地区におり、ここは黄河上流西岸にあたる。『国語・周語下』に、共工は「百川を防ぐために堤防を作ろうとし、高い場所を平らにし、低い場所を高くして、居住地区を壁で囲った。その結果、天下を害することになったとあるが、共工が西岸に堤防を作ったため、洪水が顓頊の治める地域に向かい、戦争を引き起こした可能性もある。
 

『中国歴代戦争年表』は共工と五帝の戦いに関する記述を列挙しています。
 
淮南子・天文訓』「昔、共工と顓頊が帝位を争った」。
淮南子・兵略訓』「顓頊はかつて共工と戦い共工は水害を成した。よって顓頊が之を誅した」。
淮南子・原遒訓』「昔共工と高辛(『大戴礼記』によると高辛とは帝嚳を指す)が帝位を争った」。
史記・楚世家』「共工氏が乱を起こし、帝嚳が重黎に之を誅させたが、完全には平定できなかった」。
『逸周書・史記』「昔、共工の時代小官が政治を乱し、民は共工に附することなく、唐氏(堯)が之を討伐し、共工は亡んだ」。
尚書・堯典』舜が「共工を幽州に流刑にした」。
荀子・議兵』「禹は共工を征伐した」(『戦国策・秦策一』に蘇秦の言葉として同じ内容あり)

 
以上が『中国歴代戦争年表』の記述です。
共工という部族(国)が中原を治める五帝等の帝王と頻繁に戦争を繰り返していたことがわかります。
 
 
資治通鑑外紀』も共工に関する記述を列挙しています。以下、簡単に紹介します。
 
・包羲(庖羲)の後、共工は法刑を用いて威信を確立し、九域の伯(覇者)となりました。水徳だったため「水」を官名に使います。
しかし木徳の伏羲氏と火徳の神農氏の間だったため、五行(木・火・土・金・水)の順序に当てはまらず、王にはなれませんでした。
 
共工は歓楽に耽っていました。百川を防ぐため、高い場所を平にし、低い場所を埋めて高くしようとしましたが、結局、洪水を招いて天下を害することになりました。
これは堤防によって無理に川の流れを止めようとしたところ、更に大きな洪水を招いたという意味のようです。
帝堯の時代に治水に失敗した鯀も共工の方法をならったといわれています。
 
共工は諸侯の一人で、炎帝の後裔なので姜姓です。顓頊氏が衰えると共工氏が諸侯を侵し、高辛氏(帝嚳)と王位を争いました。

 
共工は人面蛇身、朱髪だったといいます。
この記述をみると、「共工」とは氏族ではなく人物名のようにも思えます。共工氏族の始祖の名かもしれません。
 
共工は水害を起こしたため、顓頊に誅殺されました。
 
・昔、共工によって不周山が崩され、大地が東南に傾きました。その後、高辛氏と帝位を争い、敗れて淵に潜みます。その宗族は滅ぼされ、後嗣が途絶えることになりました。
 
・舜の時代、共工が洪水を起こして空桑を襲いました。
 
・禹が共工を討伐しました。
 
共工氏は自分を賢才だと過信し、天下に臣下とするべき人物がいないと思っていました。その結果、久しく大官(高官・大臣)が不在となり、天下が日に日に乱れ、民が離れて滅亡しました。
 
 
 

以上、共工に関する記述でした。