蚩尤のこと
黄帝のところで蚩尤が登場しました。
蚩尤も様々な伝承がある人物です。
ここでは『資治通鑑外紀』による記述を列挙します。
・蚩尤は古の天子でした。
・蚩尤は天下の伯(覇者)となりました。
・蚩尤は庶人で貪婪な者でした。
これらの記述から、伝説によって蚩尤の身分が全く異なることが分かります。
・九黎の君が蚩尤と号しました。
・九黎氏の九人は蚩尤の徒でした。
黄帝と蚩尤の戦いは、中原附近の北方勢力と長江付近の南方勢力の戦いだったのかもしれません。
蚩尤を南方の少数民族・苗族の祖先とする説もあります。
以下、蚩尤の戦争に関する記述です。
・葛盧の山から金(金属)が出たため、蚩尤は甲冑や矛、戟を造りました。
・蚩尤は初めて乱を起こし、禍は平民に及びました。
・蚩尤氏は耳鬢(もみあげ)が剣戟のようで、頭に角がありました。軒轅と戦った時、角で人に抵抗したため、人々(兵達)は前に進めませんでした。
・蚩尤が武器を造って黄帝を攻撃しました。黄帝は応龍に命じて冀川の野で蚩尤と戦わせます。応龍が水を溜めると、蚩尤は風伯と雨師を呼んで大風雨を作らせました。これに対して黄帝は天女・魃を招いて雨を止ませ、蚩尤を破って殺しました。
・ 蚩尤の兄弟は七十二人で鉄石を食べていました。軒轅に誅されました。
・蚩尤の兄弟は八十一人おり、獣の身体で人の言葉を話し、沙石を食べました。刀、戟、大弩等の武器を造って天下に威を張り、人々を殺して無道だったため、天は軒轅(黄帝)に神符を与えて蚩尤を征伐させました。蚩尤を服従させた軒轅は、蚩尤に軍を司らせ、八方を制します。しかし蚩尤が死ぬと天下が再び乱れたため、軒轅は蚩尤の姿を絵に描いて海内(天下)に威を示しました。その結果、人々は蚩尤が死んでいないと信じ、万邦が服従しました。
蚩尤が殺されたのか黄帝に仕えたのかははっきりしません。
但し、蚩尤は優れた武器を用い、戦争が得意だったため、戦神として崇められることもありました。