羿のこと

帝堯は善政を行って民の生活を安定させました。
 
その一環として、『資治通鑑外紀』は『淮南子・本経訓』の故事を引用して、羿について簡単に紹介しています。
 
堯の時代、十の太陽が現れました。灼熱のため穀物も草木も焼け焦げ、民は食物がなくなります。
更に貐、鑿歯、九嬰、大風、封豨、修蛇といった怪物が現れ、民を害しました。
「猰貐」は窫窳ともいい人を食べる獣でした。
「鑿歯」は歯が牙のように長い獣です。または人だったともいわれています。
「九嬰」は北方の凶水という川に住む九頭の怪物でした。十の太陽が現れ、川が沸騰して住めなくなったため、地上に登って人を食べたそうです。
「大風」は大きな鳥です。はばたくと風を起こしたため、大風とよばれました。とても凶暴だったようです。
「封豨」は大きな猪で、「修蛇」は大蛇です。
 
堯は民から害を除くため、羿にこれらの猛獣・怪物を退治させました。
羿は上に向かって矢を放つと九つの太陽を落とし、下ではを射て殺しました。更に鑿歯を畴華の野で誅し、九嬰を凶水で殺し、大風を青丘の沢で捕まえ、修蛇を洞庭で斬り、封豨を桑林で捕えました。
 
凶悪な害が除かれ、万民は喜んで堯の政治に帰順しました。
 
 
 
羿は「大羿」「后羿」ともいわれる伝説の弓の名手です。月に住む常娥の夫だったという神話もあります。
夏王朝初期にも后羿という人物が現れ、王位を簒奪しますが、これは別の人物です。