春秋時代 桓公即位と管仲登用

東周荘王十二年(前685年)、斉襄公を殺して即位した公孫・無知が殺されました。
莒に出奔していた公子・小白と、魯に出奔していた公子・糾が斉国新君の地位を争い、小白が先に帰国して即位します。これが春秋時代最初の覇者・桓公です。

通史本編では『史記・斉太公世家』『国語・斉語(巻六)』『春秋左氏伝(荘公九年)』『資治通鑑外紀』を元に桓公の即位と管仲を登用する経緯を書きましたが、『管子・大匡(巻十八)』は異なる記述をしているので、ここで紹介します。
まず管仲の登用の場面です。
 
即位したばかりの桓公が鮑叔に聞きました「どうすれば社稷を安定させることができるだろうか。」
鮑叔が言いました「管仲と召忽を得れば社稷を安定できます。」
桓公が「夷吾管仲と召忽は我々の敵ではないか」と言うと、鮑叔は管仲が以前から小白の能力を認めており、用いれば国の援けになることを説明しました。
桓公が聞きました「彼を用いることができるか。」
鮑叔が答えました「早く動けば用いることができます。しかし魯の施伯は夷吾の智謀を知っているので、早くしなければ魯の政治を夷吾に任せるでしょう。夷吾がそれを受けたら、魯が強くなり斉は弱くなります。夷吾が拒否したら、施伯は夷吾が斉に帰って仕えると知っているので、殺してしまうでしょう。」
桓公が聞きました「夷吾は魯の政治を引き受けるだろうか。」
鮑叔が答えました「受けません。夷吾が公子・糾のために死なないのは、斉国の社稷を安定させたいと思っているからです。魯の政治を引き受けたら斉が弱くなります。夷吾が国君に仕えたら二心を抱くことはありません。殺されると知っていても魯の要求は受けません。」
桓公が聞きました「彼はわしに対しても二心を抱かないだろうか。」
鮑叔が言いました「彼の忠誠はあなたに対してではなく、斉の先君に対してのものです。彼はあなたよりも公子・糾の方が親しい関係にありましたが、それでも死を選びませんでした。あなたに対してならなおさらでしょう。しかしもし斉の社稷を安定させたいのなら、早く彼を迎え入れるべきです。」
桓公が聞きました「もう間に合わないのではないか。」
鮑叔が言いました「施伯という人物は聡明ですが臆病です。もしこちらがすぐに動けば、我々の怒りを買うことを恐れて夷吾を殺そうとはしないでしょう。」
桓公は納得しました。
 
魯では施伯が荘公に言いました「管仲は才がありますが、大事を成功させることができず、今は魯にいます。主公は魯の政治を彼に任せるべきです。もし彼が受け入れたら斉は弱くなります。もし彼が拒否したら、斉と共に彼を憎んだと称し、彼を殺して斉の歓心を買うべきです。殺さずに帰すよりも殺した方がましです。」
荘公はこれに同意しました。しかし魯が管仲に仕官を誘う前に、斉の使者が到着してこう伝えました「管仲と召忽は我が国の賊である。今、二人は魯にいる。寡人(私。ここでは斉桓公は生きたまま彼等を得たいと思う。もしそれができないなら、君(魯荘公)は寡人の賊と同罪だ。」
魯荘公が意見を求めると、施伯が言いました「夷吾を返すべきです。斉君は性急でしかも傲慢だといいます。賢人を得ても用いるとは限りません。また、もしも斉君が彼を用いたら管子管仲の事業が完成します。管仲は天下の大聖です。彼が斉に帰ったら天下が全て斉に従うことになるでしょう。我々魯だけではありません。逆にもしも彼を殺したら、鮑叔がそれを理由に我が国を譴責します。あなたがそれに堪えることはできません。」
荘公は管仲と召忽を縛って斉に送り返すことにしました。
 
出発前、管仲が召忽に聞きました「怖いか?」
召忽が言いました「何を恐れるのだ。わしが早く死ななかったのは、国が安定するのを見届けるためだった。今、斉国は既に定まった。汝は斉の左相となり、わしは右相となるだろう。しかしわしの主(公子・糾)を殺してわしの身を用いるというのは、わしにとっては二重の侮辱だ。汝は生臣となれ。わしは死臣となる。わしが万乗の国(大国)の政治を委ねられると知りながら自殺すれば、公子・糾にも忠誠を誓う死臣がいたと評価されるだろう。また汝が諸侯に覇を称えれば、公子・糾は優秀な生臣がいたと称されるだろう。死者は徳行を完成し、生者は功名を成す。生名と死名は両立できず、徳行は虚構であってはならない。汝は努力せよ。死と生にはそれぞれの分(決まり。定め)があるものだ。」
召忽は斉の国境に入ると自殺しました。管仲は帰国して桓公に仕えます。
人々は「召忽の死は生者よりも賢明であり、管仲の生は死者よりも賢明である」と評価しました。
 
 
 
『管子・大匡』は桓公の即位に関して、「一説」として今まで紹介した内容とは大きく異なる内容も紹介しています。
 
斉襄公は即位して二年目に公子・小白を放逐しました。小白は莒国に逃げます。
襄公が在位十二年で死に、公子・糾が即位しました。しかし斉の国人は小白に帰国を求めます。
鮑叔が小白に「まだ帰らないのですか」と問うと、小白は「管仲には智謀があり、召忽には強武がある。国人が私を招いているが、私が国に入れるはずがない」と答えました。
鮑叔が言いました「もしも管仲の智謀が用いられていたら、なぜ国が乱れたのですか。召忽は強武を持ちますが、一人では何もできません。」
小白が言いました「管仲は智謀を用いることができなかったが、しかし彼に智謀がないわけではない。召忽は国人の支持を得ていないが、彼の仲間が私を阻止するだろう。」
鮑叔が言いました「国が乱れている時は、智者も政治を行うことができず管仲の智謀も役に立たず)、朋友も団結できない(召忽も仲間と協力できない)ものです。今なら国を手に入れることができます。」
納得した小白は鮑叔を御者にして莒国を発ちました。
ところが途中で小白が言いました「二人管仲・召忽)が君命(公子・糾の命)を得ている。わしはやはり試してみる気になれない。」
小白が車から降りようとすると、鮑叔が足で小白の足を遮って言いました「事が成功するかどうかは今にかかっています。もし失敗したとしても、老臣が死ねばあなたは禍から逃れることができます。」
二人は斉に向かいました。
 
斉城の郊外に到着すると鮑叔は車二十乗を先に進ませ、十乗を後に続かせ、小白に言いました「国人は我々を疑っていますが、老臣を知りません(首謀者が誰かはわかりません)。事が失敗したら老臣が道を塞ぐのでお逃げください。」
鮑叔が兵達に宣誓して言いました「事が成功したら我が命に従え。もしも事が失敗したら、公子を逃がした者は功績を上とし、死んだ者は下とする(生きて公子を無事に脱出させよ)。わしは五乗の車で道を塞ぐ。」
鮑叔は先頭に立って斉国に入り、公子・糾を駆逐しました。管仲が小白に矢を射ましたが、矢は帯鉤に中ったため怪我をしませんでした。管仲は公子・糾、召忽と共に魯に奔ります。
桓公(小白)が即位すると魯が斉を攻撃して公子・糾を帰国させようとしましたが、失敗しました。
 
 
 
今回は桓公の即位から管仲の登用までを見てきました。
次回は管仲の政治に関する記述を紹介します。