春秋時代 欒盈の出奔

晋の欒盈出奔に関して、本編では『春秋左氏伝(襄公二十一年)』を元にしました。

春秋時代158 東周霊王(二十一) 欒盈出奔 前552年(1)

『国語・晋語八』にも記述があるので、ここで紹介します。

 

欒盈の党に属す箕遺、黄淵、嘉父が乱を謀りましたが、失敗して殺されました。

晋平公は残った欒盈の党も駆逐します。智起、中行喜、州綽、邢蒯等(全て大夫)が斉に奔りました。

平公が大夫・陽畢に言いました「穆侯から今まで乱兵が止むことなく、民志(民心)は満足できず、禍敗も終わらない。民は離れ、寇(敵)を招き、禍が我が身に起きるのではないかと心配だ。」

陽畢が言いました「本根(禍の根本)が存在していれば、枝葉はますます生長し、本根はますます茂り、制御が難しくなるでしょう。斧の柄を大きくして枝葉を除き、本根を絶てば、少しは休むことができます。」

公が具体的な策を聞くと、陽畢はこう言いました「計画で大切なのは明訓(明確な教令)です。明訓で大切なのは威権です(教えが明らかになったら威権によって実行させるものです)。威権は国君にあります。国君は賢人の子孫の中から代々国に対して功績がある者を選んで抜擢し、自分の欲に従って国君を損ない、国を乱した者を調べて除くべきです。こうすることで威を明らかにして権を遠く後世に伝えることができます。民が威を恐れ、徳に懐柔すれば、逆らう者はいなくなります。人々が皆従えば、民心を教導することができます。民心を教導すれば、その欲求や好悪を知ることができ、人々が偸生(義務・職責を果たさず、とりあえずの安寧に満足して生きること)することがなくなります。偸生がなくなれば、乱を起こそうとする者もいなくなります。欒氏は久しく晋国の人々を騙してきました。欒書はその大宗です。厲公を殺したのに自分の家を厚くしました。欒氏を滅ぼすことができれば民は国君の威を恐れるでしょう。瑕瑕嘉)、原原軫)、韓(韓万)、魏畢万)の後代を改めて起用し、賞せば、民は国君の徳に懐くでしょう。威と懐があるべき姿であれば、国は安定します。主君が国を治めて安定させることができれば、乱をなそうとする者がいても誰も協力しません。」

平公が言いました「欒書はかつて先君(悼公)を立てた。欒盈も国の罪を得たのではない(欒盈は母に讒言されただけで、実際の罪はありません)。滅ぼす理由がないではないか。」

陽畢が言いました「国を正す者とは、目前の権だけを見ていてはならず、権を行う時は(国を治める時は)、私情で罪を隠してはならないものです。目先の権しか見ていなければ、民を導くことができません。権を行う時に私情で罪を隠したら、政(正しい政治)が行われなくなります。政が行われないのにどうして民を導くことができますか。民を導くことができないようなら、国君がいないのと同じです。目先の権だけを考え、私情によって罪を隠したら、国を害して国君自身を労苦させることになります。主君はよく考えるべきです。もしも欒盈を愛するなら、群賊(欒盈の一党)の駆逐を明らかにし、国倫(国を治める道理)によってその罪を説明し、慎重に警告して謀反に備えるべきです。もし彼が自分の志を満足するために国君に報復しようとしたら、それほど大きな罪はなく、族滅に処しても足りないくらいです。逆に謀反の意志はなく、遠くに亡命するようなら、彼を受け入れた国に厚く礼物を贈り、彼の保護を頼むべきです。こうすることで彼の恩徳に報いることができます。」

 

平公はこの意見に同意し、欒盈の一党を駆逐しました。また、祁午と陽畢を曲沃に送って欒盈を晋国から追放します。欒盈は楚に出奔しました。

平公が国人に宣言しました「文公以来、先君に対して功績があるのに子孫が官位についていない者には、今後、官爵を与える。功臣の子孫を探した者には、賞を与える。」

 

三年後、欒盈が昼の間に晋に入り、首都・絳城で乱を起こしました。

范宣子が平公を連れて襄公の宮に入り、守りを固めます。

欒盈は攻略できず、曲沃に出奔しましたが、殺されて欒氏が滅びました。

この後、平公の時代は内乱が起きませんでした。

 
 
『国語・晋語八』には欒盈の臣下に関する話も載っています。

欒懐子(欒盈)が楚に出奔した時、晋の執政正卿・范は欒氏の臣が従うことを禁止し、欒氏に従ったら処刑して死体を晒すと宣言しました。

しかし欒氏の臣・辛兪が欒盈に従ったため、官吏が捕えて平公の前に連れてきました。

平公が言いました「国に大令があるのに、なぜ犯したのだ?」

辛兪が答えました「臣は大令に順じたのです。執政は『欒氏に従わず、君(主君)に従え』と命じました。必ず君に従えという明確な命令です。『三代、一つの家に仕えたらそれを君とし、二代以下なら主とする(三世事家,君之。再世以下,主之)』といいます。君に対しては命をかけて仕え、主に対しては勤労に仕えるものです。臣は祖父の代から晋国に頼る者がなく、代々欒氏に仕えてきました。既に三世になるので、欒氏を君としないわけにはいきません。執政は『君に従わない者は大戮(死刑)に処す』と宣言しました。死刑を忘れて君命に叛し、司寇(法官)を煩わせるわけにはいきません。。」

平公は辛兪の義心を称え、側に置こうとしましたが、辛兪は断りました。そこで厚い礼物を贈ろうとすると、辛兪はこう言いました「(臣が欒氏に従う理由は)既に説明した通りです。心とは志を守るためにあり、言葉として発した事は実行しなければなりません。それでこそ君に仕えることができます。もしも国君の賞賜を受け取ったら、前言を棄てることになります。国君の問いに対して既に答えたのに、退席する前にそれに逆らうようでは、どうして主君に仕えることができるでしょう。」

平公は辛兪を自由にさせました。