第九回 斉侯が文姜を魯に嫁がせ、祝聃が周王を射る(前編)

第九回 斉侯が文姜を送って魯に嫁がせ、祝聃が周王を射て肩に中る
斉侯送文姜婚魯 祝聃射周王中肩
 
*『東周列国志』第九回前編です。
 
僖公には二人の娘がいました。どちらも絶色(絶世の美女)です。
長女は衛に嫁ぎました。衛宣姜といいます。宣姜の話は後からします。
次女の文姜は秋水(透き通って美しい様子)のような瞳(秋水為神)と芙蓉のような顔(芙蓉如面)をもち、花が言葉を話して玉が香りを放っているような美しさでした(「比花花解語,比玉玉生香。」花や玉は美しいだけですが、文姜は花や玉のように美しいだけでなく、話しができるし芳い香もしたという意味です)。まさに絶世の佳人、古今の国色です。しかも古今の事象に通じており、言葉を発せば文章となったため、文姜と号しました。
僖公の世子・諸児は酒色の徒でした。文姜とは兄妹の関係にありますが、母は異なります。諸児は文姜より二歳年上で、幼い頃から宮中で共に遊んで育ちました。文姜が成長して花か玉のように美しくなった頃、諸児も既に情竇(異姓に恋愛の情を抱く心)が開いていました。諸児は元々挙動が軽率だったうえに、文姜の才能と美貌に接してきたため、調戯の意(悪戯の心)が生まれるようになります。文姜も妖淫の性をもっており、礼や義にこだわる女性ではありません。その言葉は戯謔諧謔。戯れ)を好み、時には人がいない閭巷(小路)で諸児に穢褻(猥褻)な言動がありましたが、全く避けようとしませんでした。
諸児は長身偉幹(体格がいいこと)、粉面朱唇(白粉を塗ったように顔が白く、朱を塗ったように唇が赤いこと)という、天生の美男子だったため、文姜とも釣り合いが取れていましたが、残念なことに一つの家に産まれて兄妹の関係になったため、結婚はできません。兄妹として一つの場所に住み、男女の隔てがなかったため、肩を並べて手をつなぎ、はばかることがありませんでしたが、同衾貼肉(肉体関係を結ぶこと)だけは宮人の目耳を気にして避けてきました。
二人とも斉侯夫婦に溺愛されていたため、礼から外れた行為を警戒されることもありませんでした。これが後に兄妹に禽獣の行いをさせ、諸児は身を滅ぼして国を危うくすることになります。
 
鄭の世子・忽が戎師に大勝した時、斉僖公は文姜に世子・忽の英雄としての姿を語り、婚姻の話しをしました。文姜はとても喜びましたが、やがて世子・忽が辞退したと知って鬱悶になり、病を患います。夜は熱が出るのに、朝には寒くなり、精神は安定せず、坐っているようでもあり、眠っているようでもあり、寝食ともままなりません。
そこで世子・諸児が看病を名目にして頻繁に閨中(閨は内室。女性の部屋)に入るようになりました。諸児は寝床の頭に接して坐り、文姜の体中を撫でまわして疾苦を問います。但し諸児は周りの耳目を気にして、乱行には及びませんでした。
ある日、斉僖公が文姜の様子を看に来ました。すると部屋には既に諸児がいて、文姜と親しそうにしています。僖公が譴責して言いました「汝等は兄妹の関係だが、礼に従って互いに避けるべきだ。今後は宮人を送って見舞いをすればよい。自ら来る必要はない。」
諸児はただ「唯唯(はい、はい)」と言って退出しました。この後、二人はめったに会えなくなります。
暫くして、僖公が諸児のために宋女を娶りました。魯と莒が媵(新婦に従って新郎の家に入る女性)を送ります。諸児が新婚の宋女や媵を愛したため、兄妹の関係はますます疎遠になりました。文姜は深閨の中で寂寞とした日々を過ごし、諸児を想ってますます病を悪化させます。しかし胸中の思いを口に出すことはできませんでした。
 
桓公が即位した年、桓公は既に成長していましたがまだ夫人がいませんでした。
大夫・臧孫達が桓公に進言しました「古では、国君は十五歳で子を産みました。今、主公は内主(妻妾)が空虚ですが、これでは後日、主器(宗廟の祭器。転じて太子)に望みがなくなります。これは宗廟を尊重する態度ではありません。」
公子・翬が言いました「斉侯には文姜という愛女(愛娘)がおり、鄭の世子・忽に嫁がせようとして果たせなかったと聞きました。主公は斉に求めたら如何でしょうか?」
桓公は「諾(分かった)」と言って公子・翬を斉に送りました。
 
斉僖公は文姜が病のため、婚姻の期日をなるべく遅らせようとしました。
しかし宮人が魯侯の求婚を文姜に話しました。文姜が患ったのは長い間思いつめたために起きた心の病だったため、宮人の報せを聞いて心が落ち着き、病も快方に向かいました。
斉と魯が宋荘公のために稷で会見した時(第八回によると、稷の会は鄭の世子・忽が戎を破る前の事なので、時系列が合いません)、魯侯が直接、婚姻の話しをしました。斉侯は翌年に会見を開く約束をします。
桓公三年、桓公自ら嬴の地まで赴き、斉侯と会しました。斉僖公は慇懃な魯桓公の態度に心を動かされて婚姻に同意します。魯侯は嬴地で婚姻のための礼幣を贈りました。常礼以上に豪勢な礼物を見て、僖公は大喜びし、秋九月に文姜を魯に送って成婚させることを約束します。
魯侯は公子・翬を斉に送って文姜を迎え入れることにしました。
 
斉の世子・諸児は文姜が他国に嫁ぐと聞いて、知らず知らずに以前の狂心を呼び醒ましました。
そこで宮人に命じて文姜に花を贈らせ、詩をつけてこう伝えます「桃に花が咲き、霞(日の出や日の入りの時に見える太陽の光線)に燦燦と輝く。花は家の前に咲いているのに、手に取ることはできず、川に落ちて浮草となる。ただ嘆息するばかりだ(桃有華,燦燦其霞。当戸不折,飄而為苴。吁嗟兮復吁嗟)。」
詩を読んだ文姜はこう答えました「桃には英(つぼみ)があり、その霊は燁燁と輝いています。今まで手に取ることはなかったけど、来春(今後)も機会はないのでしょうか。あなたの報せを待つだけです(桃有英,燁燁其霊,今茲不折,詎無来春。叮嚀兮復叮嚀)。」
諸児は答詩を読んで文姜の心を知り、ますます想いを積もらせました。
 
暫くして、魯の上卿である公子・翬が斉に入りました。斉僖公は娘を愛していたため、自ら送り出しそうとします。それを聞いた諸児が僖公に言いました「妹が魯侯に嫁ぐと聞きました。斉・魯代々の友好は誠に美事というべきです。しかし魯侯が自ら迎えに来ていないので、こちらから親人(家族)が送り出す必要があります。父君は国事があるので、遠く国を離れるわけにはいきません。孩児(私)は不才ですが、代わりに行かせてください。」
僖公が言いました「わしは既に自ら送り出すと約束した。信を失うわけにはいかない。」
言い終わる前に報告がありました「魯侯が讙邑で駕(車)を留め、自ら迎親(新婦を迎えること)のために待機しています。」
僖公が言いました「魯は礼義の国だ。中道(途中)で迎親のために待機しているのは、国境を越えたら我々を煩わせることになるからだ。わし自ら行かなければならない。」
諸児は黙って引き下がりました。
姜氏(文姜)も心中に失望感を覚えました。
 
秋九月初旬、吉期(吉日)が迫っています。文姜は六宮後宮の妃眷に別れを告げてから、東宮の哥哥(兄)・諸児に会いに行きました。諸児が別れの宴を準備します。二人は見つめあって別れを惜しみましたが、元妃僖公の正妻)も同席しており、僖公も宮人を送って傍に侍らせていたため、ついに言葉を交わすことができず、秘かに嘆息しました。
別れの時、諸児が車の前に立って短く言いました「妹子(妹)よ、心に留めよ。『叮嚀』の句を忘れるな。」
文姜が答えました「哥哥もお達者で。必ず会える日が来ます。」
斉僖公は諸児に国を守るように命じ、自ら文姜を讙まで送って魯侯と会見しました。魯侯は甥舅(岳父と婿)の礼を用いて宴を開きます。斉の従人には皆、厚い礼物が贈られました。
宴の後、斉僖公は国に帰りました。
 
魯侯は文姜を連れて魯国に戻り、婚姻の儀式を行いました。
斉は大国であり、しかも文姜は花のような美女です。魯侯は文姜を寵愛しました。三朝(結婚後三日目)には宗廟に婚姻を報告し、全ての大夫と宗婦(同姓の大夫の妻)に命じて国君夫人となった文姜を朝見させました。
斉僖公は弟の夷仲年を魯に聘問させ、姜氏の状況を伺いました。
この後、斉と魯の関係は密接になります。

*『東周列国志』第九回後篇に続きます。