第十一回 宋が賄賂を貪り、祭足が主を逐う(後編)

*『東周列国志』第十一回後編です。
 
斉僖公は紀に敗戦してから憤慨して病にかかりました。
冬、危篤に陥った僖公は世子・諸児を榻(床)の前に招いてこう言いました「紀は斉国代々の仇だ。紀を滅ぼす力がある者こそ孝子である。もうすぐ汝が位を継ぐことになるが、この事を第一にせよ。仇を討てない者は我が廟に入ってはならない。」
児童は頓首して遺言を聞きました。
僖公は弟・夷仲年の子である無知を呼び、諸児を拝させました。
僖公が諸児に言いました「わしの同母弟にはこの一点の骨血しかいない。汝はよく彼の面倒を見よ。彼の衣服礼秩はわしの生前と同じようにすればよい。」
言い終わると僖公は瞑目しました。
諸大夫が世子・諸児に僖公の喪を主持させて国君に擁立します。これを斉襄公といいます。
 
 
その頃、宋荘公はますます鄭を憎み、鄭国から得た金玉を斉、蔡、衛、陳の四国に分けて出兵を請いました。しかし斉は喪に服したばかりだったため、大夫・雍廩と車百五十乗だけを派遣します。蔡と衛もそれぞれ将を送って宋と共に鄭を攻めました。
鄭厲公が迎撃しようとすると、上卿・祭足が言いました「いけません。宋は大国であり、国の兵を総動員して来たので士気も盛んです。もし戦って利を失ったら、社稷を保つことが困難になります。たとえ幸い勝てたとしても、終わりのない怨みを招き、我が国に安寧の日がなくなります。彼等を放置して自由にさせるべきです。」
厲公が決断できないでいると、祭足が政令を発しました。百姓に城を固守させ、出撃を願う者は罰すると宣言します。
宋公は鄭軍が城から出ないと知ると、東郊で略奪を行い、渠門を火攻めにし、大逵(大通り)に入って太宮(太廟)に至りました。そこで椽(屋根を支える木)を奪って帰り、宋の盧門の椽にしました。敵国の太廟の椽を自国の城門に使うのは相手を辱めるという意味があります。
鄭伯は鬱々として楽しむことができず、ある日、嘆息して「わしは祭仲に制されている。国君としての楽しみがない」と言いました。この後、鄭伯に祭足殺害の思いが芽生えていきます。
 
翌年春三月、周桓王が病にかかりました。周公・黒肩を床前に招いて遺言を伝えます「本来、嫡子を立てるのが礼だが、次子・克は朕が鍾愛(寵愛)してきた。彼を卿に託す。後日、兄(嫡子)が死んだら弟(次子)に位を継がせよ(兄終弟及)。卿がそれを主持すればいい。」
言い終わると桓王は死にました。周公は遺言に従って世子・佗を王位に即けます。これを周荘王といいます。
 
鄭厲公は周桓王が死んだと聞き、弔問の使者を送ろうとしました。しかし祭足が諫めて言いました「周は先君の仇です。かつて祝聃が王の肩を射ました。人を送って弔問しても辱められるだけです。」
厲公は諫言に従いましたが、心中、ますます祭仲を憎みました。
 
ある日、厲公が後圃で遊びました。大夫・雍糾だけが従っています。厲公は鳥が自由に飛んだり鳴いたりしているのを見て溜息をつきました。雍糾が問いました「春の景色が融和し、百鳥が楽しんでいます。しかし主公は諸侯という貴い地位にいるのに、楽しそうではありません。何故ですか?」
厲公が言いました「百鳥は自由に飛んだり鳴いたりしており、人に制御されることがない。寡人は鳥にも及ばない。だから楽しめないのだ。」
雍糾が問いました「主公が憂いているのは、秉鈞(執政)の人ですか?」
厲公は黙っています。
雍糾が言いました「『国君は父と同じである。臣下は子と同じである(君猶父也,臣猶子也)』といいます。子が父の憂いを減らすことができなかったら不孝です。臣下が国君の難を除くことができなかったら不忠です。もし主公が糾(私)を不肖と思わず、事を任せていただけるのなら、臣は死力を尽くします。」
そこで厲公は人払いをし、雍糾に問いました「卿は仲(祭足の字)の愛婿ではないのか?」
雍糾が答えました「婿ではありますが、愛はありません。糾が祭氏と結婚したのは宋君に強要されたからです。祭足の本心ではありません。足(祭足)はいつも旧君(出奔している鄭昭公)の事を語っており、依恋の心(思い慕う心)が残っています。宋を恐れているから旧君復位の計を練らないだけです。」
厲公が言いました「卿が仲を殺せるようなら、わしは卿を代わりに抜擢しよう。しかし良い考えがあるか?」
雍糾が言いました「最近、東郊が宋兵に蹂躙され、民居も回復していません。主公は明日、司徒に廛舍(民の家)を修築させ、祭足に命じて粟帛で居民を按撫させてください。臣が東郊で享(宴)を開き、鴆酒で祭足を毒殺します。」
厲公が言いました「寡人は卿にすべて任せる。卿は慎重に行動せよ。」
 
雍糾が家に帰りました。妻の祭氏は雍糾に落ち着きがないことに気づき、心中疑ってこう問いました「今日は朝廷で何かあったのですか?」
雍糾が答えました「何もない。」
祭氏が言いました「妾(私)は言葉を聞く前にその様子を見て、今日の朝廷で何かがあったと感じました。夫婦は一体です。事の大小に関わらず、妾も知る必要があります。」
雍糾が言いました「国君が汝の父を東郊に派遣し、民を安撫させることにした。その時、わしが東郊で享を設け、汝の父に称寿(長寿の祝福)を与えることになったのだ。他には何もない。」
祭氏が問いました「子(あなた)が私の父のために享を設けるのに、なぜ郊外に行く必要があるのですか?」
雍糾が言いました「これは君命だ。汝が問う必要はない。」
祭氏はますます疑います。そこで雍糾に酒を勧めました。雍糾は祭氏に注がれるまま酒を飲み、知らず知らずに泥酔してしまいます。暫くして眠りについた雍糾に祭氏が言いました「国君はあなたに祭仲を殺すように命じました。あなたはお忘れですか?」
雍糾は夢の中で朦朧としながらこう言いました「そのような事をどうして忘れることがあるか。」
 
翌朝、祭氏が起きて雍糾に言いました「子(あなた)が私の父を殺そうとしていることは全て知りました。」
雍糾が言いました「そのようなことはない。」
祭氏が言いました「昨晩、子が酔って自分で言ったのです。隠す必要はありません。」
雍糾が問いました「それが事実だとして、汝はどうするつもりだ?」
祭氏が言いました「既に夫に嫁いだのです。どうするというのでしょう。」
糾は祭氏を信じて全て話しました。祭氏が言いました「私の父が東郊に行くとは限りません。私が一日だけ帰寧(実家に帰ること)して、父に出発するように勧めましょう。」
雍糾が言いました「事が成功したらわしがその位に就くことになる。汝にとっても栄誉だろう。」
 
祭氏は父の家に帰り、母に問いました「父と夫の二者では、どちらが親しいものでしょうか?」
母が答えました「どちらも親しいものです。」
祭氏が問いました「二者の親情(家族の情)のうち、特に大きいのはどちらでしょうか?」
母が答えました「父の親情は夫よりも大きいものです。」
祭氏が「なぜですか?」と問うと、母はこう言いました「夫に嫁ぐ前の娘は、夫はまだ決まっていませんが、父は既に固定しています。既に嫁いだ娘は、再婚することはできても再生することはできません(夫になれる男はいくらでもいますが、父は一人しかいません)。夫はただの人ですが、父は天のように偉大なものです。なぜ夫を父と較べることができるでしょう。」
母は深い考えもなく話しましたが、祭氏は心に響いています。話を聞いた祭氏は両眼から涙を流して言いました「今日、私は父のために再び夫を顧みることができなくなりました。」
祭氏は雍糾の陰謀を全て母に密告しました。母は驚いてすぐ祭足に伝えます。祭足が言いました「汝等は何も言うな。その時になったら、わしが自分で処理しよう。」
 
東郊に行く時が来ました。祭足は心腹の強鉏に勇士十余人を率いさせます。それぞれ武器を隠し持っています。また、公子・閼にも家甲(卿大夫の家で養っている兵)百余人を率いて郊外で待機させました。
祭足が東郊に近づくと、雍糾が途中まで迎えに来ました。既に豪勢な享宴の準備が整えられています。
祭足が言いました「国事のために奔走するのは当然の事だ。大享を労す必要はない。」
雍糾が言いました「郊外の春色は楽しいものです。一酌を設けて労わせてください。」
言い終わると大觥(大杯)に酒を満たして祭足の前に跪きました。満面に笑みを浮かべ、口では百寿を祝っています。祭足は偽りの相槌を打ちながら、まず右手で雍糾の腕をつかみ、左手で杯を受け取ると、すぐに酒を地に撒き棄てて大喝しました「匹夫がわしを弄ぶ気か!」
祭足が左右に「やれ!」と怒鳴ると、強鉏と勇士達が雍糾に襲いかかります。雍糾は捕まって斬られ、死体は周池に棄てられました。
 
厲公は甲士を郊外に隠して雍糾を助けようとしていました。しかし甲士達は公子・閼に見つかり、攻撃を受けて四散しました。
厲公は計画の失敗を知り、驚いて「祭仲がわしを許容するはずがない!」と言うと、蔡国に出奔しました。
後日、ある人が厲公に雍糾の事を語りました。雍糾が妻の祭氏に計画を漏らしたため祭足が事前に準備できたと知ります。厲公は嘆いてこう言いました「国家の大事を婦人と謀るとは、死んでも当然だ。」
 
祭足は厲公が出奔したと知り、公父定叔を衛国に送って昭公・忽を迎え入れました。
祭足は「旧君との信を失わなかった(約束を守ることができた)」と言いました。
 
この後の事がどうなるのか、続きは次回です