春秋時代 会稽の戦い 『国語・呉語』の記述

東周敬王二十六年494年)に呉が越に報復し、会稽山で句践を包囲しました。
今回は『国語・呉語』から会稽の戦いに関する記述です。
『国語』には複数の話があり、内容に重複する部分もあります。
 
王・夫差が越を攻撃したため、越王・句践が兵を率いて迎撃しました(『春秋左氏伝』『史記』とは異なります)
越の大夫・種が策を献上して言いました「呉と越はどちらも天に授けられた国です。王は戦いを止めるべきです。呉では申胥伍子胥。申は食邑)と華登(宋の司馬・華費遂の子。呉に亡命して大夫になりました)が呉国の士を選んで甲兵とし、今まで破れたことがありません。一人が射術に精通していたら、百夫(百人)が決鉤弦。弓を引く時、指につける道具)捍。矢を射る時に腕を守る防具)を取ってそれに倣っています申胥と華登が優秀なので、下の者達も感化され、争って武芸を身につけています)。そのような相手に我が国が勝てるとは限りません。一つの事を謀る場合は、成功が見えてから実行するものです。命を無駄にしてはなりません。王は守りを設け、辞を低くして和を請い、民(呉人)を喜ばせて呉王の心を尊大にさせるべきです。我々は天に卜うことができます。もし天が呉を棄てるようなら、呉は我々との講和を受け入れて越を恐れないでしょう。呉は我々に対する警戒を解き、諸侯の伯(覇者)になる野心を持つようになります。(覇者になるために戦争を繰り返して)彼等の民が疲弊し、天がその食を奪ってから、我々が安全にその残りを取れば、呉は天命を失うことになります。」
 
越王・句践は同意して大夫・諸稽郢を呉に派遣しました。
諸稽郢が呉王・夫差に言いました「寡君・句践は下臣・郢(私)を派遣しましたが、敢えて幣(玉帛。礼物)を公開して礼を行うことができず(直接、呉王に敬意を伝えるのは恐れ多いため)、個人的に貴国の下執事(官員)にこう伝えさせました。昔、越国は禍に遭い、天王(呉王)の罪を得ました(呉王・闔廬を殺したことを指します)。天王は自ら玉趾(王の足)を運ばせ、本来は句践を棄てる(滅ぼす)つもりでしたが、後に寛大な心でお赦しになりました。君王の越に対する態度は、死人を生き返らせて白骨に肉をつけるようなものです。孤(私)は天が降した禍を忘れることがありませんが、君王の大賜(大恩)も忘れません。今、句践が再び禍を受けたのは(二回も呉に攻撃されたのは)、善良な徳行が無いからです。しかしこの草鄙の人(田舎の人。句践を指します)は、天王の大徳を忘れることがありません。辺垂(辺境)の小怨にこだわって下執事(呉の官員)の罪を得る必要があるでしょうか。句践は二三の老(家臣)を従え、自ら重罪を認め、辺境で叩頭しております
今、君王(呉王)は状況を確認することなく、大きな怒りにまかせて兵を集め、越国を滅ぼそうとしています。しかし越国は元々貴国に貢献を行う邑なので、君王が鞭を持って駆使すれば足りることです。なぜ外敵を防ぐ時のように軍士を煩わせるのでしょう。句践は盟を請います。嫡女(正妻が産んだ娘)の一人に箕箒を持って王宮に仕えさせ、嫡男(正妻が産んだ息子)の一人に槃匜(手や顔を洗うたらいと水入れ)を持って諸御(宦官等の近臣)に従わせましょう。春秋(一年。四季)に貢献し、怠ることなく王府に貢物を運びます。天王がわざわざ我々を討伐する必要があるでしょうか。我々が納める貢物も諸侯の礼(天子が諸侯に要求している内容)に則ります。
こういう諺があります『狐は物を埋めても掘り返してしまう。だから成果が上がらない(「狐埋之而狐搰之,是以無成功。」狐は疑い深いため、物を埋めても心配になって掘り返してしまいます。猜疑心が強いと結果が出ないという意味です)。』今、天王は既に越国を育て、明徳は天下に聞こえています。それなのにまた滅ぼしてしまったら、天王の功労を失わせることになります。四方の諸侯が呉に仕えようとしても、どうして呉を信用できるでしょう。句践は下臣に言を尽くさせましたが、天王が利によって義(道理。正しい道)を考慮することを願うのみです。
 
呉王・夫差が諸大夫に言いました「孤(国君の自称)の大志は斉にある(北上して斉を攻撃したい)。よって越との講和に同意するつもりだ。汝等はわしの考えに逆らってはならない。越が既に改めたのなら、これ以上何を求める必要があるだろう。もし改めないようなら、兵を還してから改めて討伐する。
申胥が諫めて言いました「講和に同意してはなりません。越は忠心によって呉との関係を改善したいのではなく、我が兵甲(軍)の強盛を恐れているのでもありません。大夫・種は勇があり謀を善くするので、呉を股掌の上で弄んで志を得るつもりです。彼は君王(呉王・夫差)が威(武力)を尊んで勝利を好むことを知っているので、敢えて辞を低くし、王の志を放縦にさせ、諸夏の国(中原)で野心を満足させて、自滅に追いこもうとしているのです。我が甲兵が疲弊し、民人が離反し、呉国が日に日に憔悴してから、安全に我が国の残りを奪うつもりです。越王は信を好み、民を愛しているので、四方が帰心しています。しかも豊作の年が続いているので、日に日に隆盛しています。今ならまだ戦うことができます。虺(小蛇)のうちに打たず、蛇(大蛇)になってしまったらどうするつもりですか。」
呉王が言いました「大夫はなぜ越の隆盛をそれほど誇張するのだ。越が大虞(大きな恐れ)になるというのか。もし越がなかったら、春秋(春と秋。もしくは四季)の閲兵で誰に我が軍士の武威を誇示できるのだ。」
呉は越と講和しました。
 
両国が盟を結ぼうとしましたが、越王・句践が再び諸稽郢を派遣し、呉にこう伝えました「盟に益があると思いますか?そうだとしたら、以前の盟で口に塗った犠牲の血もまだ乾いていません。その血は結盟の信を示しています(盟に益があると思うのなら、前回の盟を結んでから日が経っていないので、改めて盟を結ぶ必要はありません。前回の盟だけで充分です)。盟は無益だと思いますか?それならば君王は甲兵の威も必要なく、直接、我々に臨んで命令をすればいいだけのことです。わざわざ鬼神を重んじて、自分の権威を軽くする必要はありません。」
呉王・夫差は納得し、口頭で和平を約束するだけで、結盟の儀式は行いませんでした
 
 
 
次回に続きます。