春秋時代 孔子の晩年(3)
孔子に関する故事を紹介しています。
また、四つの事を禁止しました(絶四)。「毋意(勝手な判断をしないこと。道だけを行動の基準にすること)」「毋必(一定の形にこだわらないこと。用いられたら行動し、用いられない時は退き、臨機応変に行動すること)」「毋固(一つの意見に固執しないこと)」「毋我(自分が正しいと過信しないこと)」です。
孔子は弟子が本心から学問に臨んでいなければ啓発することがなく、一つの事を教えてそこから三つの事に発展させられなかったら、それ以上教えることもありませんでした。簡単に回答を与えるのではなく、弟子が自分で考えることを重視したからです(不憤不啓,挙一隅不以三隅反,則弗復也)。
朝廷で上大夫と話をする時は公正実直で、下大夫と話す時は親しみを表しました。
公門(宮門)を入る時は鞠躬(お辞儀)をし、早足で通りすぎました(貴人の前では早足になるのが当時の礼です)。国君が使者を送って孔子を招いた時は、様相を正して応じ、君命があれば車の準備ができていなくてもすぐに行動しました。
魚が新鮮でなかったり、肉が痛んでいたり、切り方が決まりに則っていなかったら食べず、席が正しくなければ座りませんでした。食事の席に喪者(喪中の者)が同席したら、満腹になることを避けました。
また、「徳を修めることができず、学業を講じることができず、義を聞きながら実践することができず、欠点があるのに改善することができない、私はこれを憂いる(徳之不脩,学之不講,聞義不能徙,不善不能改,是吾憂也)」と言いました。
子貢が言いました「夫子(先生)が文献の方面で優れていることはよく知られています。しかし夫子が天道や性命(どちらも人の運命)について語るのは、聞いたことがありません。」
孔子は実際に見聞きし、行動ができる実態があるものを語り、不可思議なものや理解ができないことを語るのは避けたようです。
顔淵が深く嘆息して言いました「夫子を仰ぎみればますます高くなり、深く入ろうとするとますます堅固になる(学問が深すぎてきりがない)。前にいるかと思えば、いつの間にか後ろにいる(先生を完全に理解することはできない)。夫子は筋を通して人をうまく導き、博識によって私の見聞を増やし、礼によって私を規制した。だから私が学問を棄てようとしても、棄てることができなかった。私は自分の才力を尽くしてそれなりの成果を挙げることができたが、夫子にはまだはるかに及ばない。