第十二回 衛宣公が媳を迎え、高渠彌が君を換える(中編)

*『東周列国志』第十二回中編です。
 
公子・寿はこう考えました「私の兄は本物の仁人だ。しかし今回、兄が盗賊の手によって殺され、父が私を後嗣に立てたら、兄の仁徳を明らかにすることができなくなる。子にとって父がいないわけにはいかない。弟にとって兄がいないわけにはいかない。私が兄よりも先に行って代わりに死ねば、兄は禍から逃れることができる。父も私の死を聞けば、あるいは感悟できるかもしれない。慈孝(兄に対する仁愛と父に対する孝行)を両方とも全うして万古に名を留めることにしよう。」
公子・寿は別の舟に酒を載せると急いで河を下り、急子に追いついて餞別の宴を開きたいと言いました。急子は「君命があるのでゆっくりしてはいられない」と言って断りましたが、公子・寿は酒樽を急子の舟に移して酒を勧めます。二人が話しをする前に、公子・寿は知らず知らずに涙を流しました。涙は杯の中に落ちます。急子はその杯を受け取って飲み干しました。公子・寿が「涙で酒が汚れてしまいました」と言いましたが、急子は「弟の情を飲みたかったのだ」と答えました。
公子・寿が涙をぬぐって言いました「今日のこの酒は、我々弟兄の永訣(永遠の別れ)の酒です。哥哥(兄)が小弟の情を汲むのなら、たくさん飲んでください。」
急子が言いました「心行くまで飲み干そう。」
二人は涙を流しながら酒を勧めあいます。
公子・寿は計画があるため注意深く飲みましたが、急子は杯を手にする度に飲み干し、いつの間にか酔って席上に倒れ、鼾をかいて眠ってしまいました。
公子・寿が従人に言いました「君命を遅らせてはならない。私が代わりに行こう。」
公子・寿は急子の手から白旄を取ると、敢えて舟首に立てました(公子・寿は急子の舟に乗っています。酔った急子は陸に移されたようです)
寿は自分の僕従を同行させ、急子に隨行してきた者達にはしっかり急子を守るように命じ、袖の中から簡緘(竹簡か木簡の書信)を出してこう言いました「世子が酒から醒めたらこれを見せなさい。」
 
暫くして、公子・寿が乗った舟が莘野に到着しました。
車を整えて岸に上ろうとした時、埋伏していた死士が河中に翻る白旄を見つけて急子だと判断し、声を挙げて襲いかかりました。公子・寿が立ちはだかって大喝しました「私は本国・衛侯の長子である。使者の命を奉じて斉に行くところだ。汝等は何者だ!私の道を遮るつもりか!」
賊達が一斉に言いました「我々は衛侯の密旨を奉じて汝の首を取りに来たのだ!」
賊が刀を揮って公子・寿を斬りました。従者達は賊の勢いが凶暴で、何者かもわからないため、驚いて逃走しました。憐れな寿子は賊党に首を斬られます。賊は首を木匣に入れると、船に乗り、旄を倒して帰国の途につきました。
 
急子は飲んだ酒の量がそれほど多くなかったため、暫くして酔いから醒めました。公子・寿の姿は既になく、従人が簡緘を渡します。急子が開いてみると、簡には八文字だけが書かれていました「弟が既に代わりに行きました。兄は速やかにお逃げください(弟已代行,兄宜速避)。」
急子は思わず涙を流して言いました「弟は私のために難を犯した。速く行かなければ誤って弟が殺されてしまう!」
幸い僕従が全て待機していたため、公子・寿の舟に乗り、舟人に速く進むように命じました。
舟は電光が走るように、または鳥が群れを追い越して行くように、瞬く間に前進します。水のような月光の下(「月明如水」。清く柔らかい流水のような月。美しい月光の形容です)、弟を想う急子は瞬きもせず鷁首(舟頭)の前を凝視して公子・寿の舟を探しました。
 
暫くして、前方に公子・寿の舟を見つけました。
急子が喜んで叫びました「天の幸によって弟は生きている!」
しかし従人がこう言いました「あれはこちらに向かってくる舟です。去っていく舟ではありません!」
急子は不可解に思い、船を近づけさせました。二艘の船が接近し、楼櫓(船室と櫓)が全て明らかになります。舟中には賊党の姿しかありません。急子はますます怪しみ、偽ってこう言いました「主公の命は成功したか?」
賊達は相手が秘密を知っていたため、公子・朔が派遣した仲間だと思い、函を持ってこう答えました「事は成功した。」
急子が函を開いて中を見ると、公子・寿の首が入っています。急子は天を仰いで大哭し、「天よ、冤(罪のない者を罰すること)ではないか!」と叫びました。
賊達が驚いて問いました「父が自分の子を殺したのになぜ冤というのだ?」
急子が答えました「私こそが本当の急子だ。父の罪を得たため父は私を殺すように命じた。これは私の弟の寿だ。彼に何の罪があって殺したのだ。速やかに私の頭を斬り、帰って父に献上せよ。誤って殺した罪を贖えるだろう。」
賊の中に二人の公子を知る者がいました。月光の下で見直して「本当に過ちを犯してしまった!」と言います。
賊達は急子の首を斬り、公子・寿の首と並べて函に入れました。
急子の従人は四散しました。
 
賊達は夜の間に衛城に帰り、まず公子・朔に会いました。白旄を渡してから二子を殺したいきさつを詳しく説明します。賊達は誤って公子・寿を殺したことを恐れていましたが、公子・朔にとっては一箭射双鵰(一石二鳥)というものだったため、多数の金帛が与えられました。
公子・朔が入宮して母に言いました「公子・寿が旌を立てて先行し、自ら命を失いました。幸い急子が後から到着し、天が彼に真名を名乗らせたので、哥哥(兄)の命を償うことができました。」
斉姜は公子・寿を失った事を悲しみましたが、急子を除いて眼中の釘を抜くことができたので、憂喜相半の面持ちです。母子は時機を見つけて宣公に話すことにしました。
 
左公子・洩は急子を託されており、右公子・職は公子・寿を託されていたため、それぞれ公子の安否が心配になり、人を送って消息を探りました。
部下が戻って詳しく報告します。
元々二人は自分の主のために動いていましたが、どちらも主を失ったため、互いに協力するようになりました。
 
翌朝、宣公が早朝(朝の朝廷。朝会)に参加すると、公子・洩と公子・職が朝堂に直接入り、地に伏して大哭しました。宣公が驚いて理由を聞きます。二人は急子と公子・寿が殺されたことを詳しく報告し、「屍首を収めて埋葬し、当初、公子を託された情を全うすることをお許しください」と言いました。二人の泣き声がますます大きくなります。
宣公は急子を疎んでいましたが、公子・寿は愛していたため、二子が同時に殺されたと聞いて顔色を失い、暫く何も言いませんでした。
やがて、ようやく痛苦が収まりましたが、今度は悲しみが生まれます。雨のように涙を流しながら、繰り返し嘆息して言いました「斉姜がわしを誤らせた。斉姜がわしを誤らせた。」
宣公が公子・朔を呼び出して事情を聞きましたが、公子・朔は知らないふりをします。宣公は怒って公子・朔に殺人の賊を逮捕するように命じました。しかし公子・朔は口頭で命に応じるだけで賊党を逮捕するつもりはありません。
 
大きな衝撃を受けた宣公は公子・寿を想って病にかかりました。目を閉じれば夷姜や急子、寿子(公子・寿)が現れて宣公の前で泣き悲しみます。
祈祷をしても宣公の病は善くならず、半月後に死んでしまいました。
公子・朔が喪を発して位を継ぎます。これを恵公といいます。この時、朔は十五歳でした。
左右二公子は罷免されました。
庶兄の公子・碩(字は昭伯)は恵公の即位に不満をもち、連夜、斉に奔りました。
公子・洩と公子・職は恵公を怨み、急子と公子・寿の仇を討ちたいと思っていましたが、機会がありませんでした。
 
 
 
*『東周列国志』第十二回後編に続きます。