第二十五回 智荀息が虢を滅ぼし、窮百里が相を拝す(二)

*今回は『東周列国志』第二十五回その二です。
 
暫くして虢の辺吏が晋を譴責しました。両国が兵を整えて対立します。
虢公は犬戎と戦っているため国境の衝突にかまっている暇がありません。
献公が荀息に問いました「これで(虢が晋に対して兵を用いたので)虢を攻める口実ができた。しかし虞には何を贈るべきだ?」
荀息が言いました「虞公は貪婪ですが、至宝でなければ動きません。二つの物が必要です。しかし主公が手放したくないのではないかと心配です。」
献公が言いました「試しに何が必要か言ってみよ。」
荀息が言いました「虞公が最も欲しているのは最良の璧と馬です。主公には垂棘の璧と屈産の乗(馬)があるので、この二物を使って虞に道を借りさせてください。虞が壁と馬を受け取ったら、我が計に落ちたのと同じです。」
献公が言いました「この二物はわしの至宝だ。どうして他人に与えることができるだろう。」
荀息が言いました「臣は主公が手放したくないだろうと思っていました。しかし、道を借りて虢を討てば、虢は虞の救援がないので必ず滅びます。虢が亡んだら虞単独では存続できません。璧・馬がどこに行くというのですか。璧を外府に預け、馬を外厩で養うのと同じです。暫しの事です。」
大夫・里克が言いました「虞には賢臣が二人います。宮之奇と百里奚です。彼等は洞察に優れているので見抜いて諫言するでしょう。」
荀息が言いました「虞公は貪婪で愚かなので、諫言があっても従いません。」
献公は納得して璧と馬を荀息に渡し、虞に派遣しました。
 
虞公は晋が道を借りて虢を討ちたいという要求を聞いて激怒しました。しかし璧と馬を見ると怒りが消えて喜色を表します。手で璧を弄び、目で馬を眺めながら、荀息に問いました「これらは汝の国の至宝ではないか。天下にも滅多にない物だ。それをなぜ寡人に譲るのだ?」
荀息が言いました「寡君は貴君の賢を慕い、貴君の強を恐れているので、これらの宝を私物とせず、大国に譲って歓心を得たいと思っています。」
虞公が言いました「そうだとしても、他に寡人に言いたいことがあるのではないか。」
荀息が言いました「虢人がしばしば我が南鄙を侵していたため、寡君は社稷のために意を屈して和を請いました。しかし今、約誓が寒くなっていないのに(盟約を結んだばかりなのに)、譴責の声が毎日届いています。そのため寡君は道を借りて罪を正したいと思っています。幸いにも虢に勝てたら、鹵獲(戦利品)は全て貴君に譲りましょう。寡君は貴君と代々の厚い友好を結ぶことを願っています。」
虞公が喜ぶと、宮之奇が諫めて言いました「同意してはなりません。『唇が滅んだら歯が寒くなる(唇亡歯寒)』という諺があります。晋が併吞した同姓の国は一国ではありません。今まで虞と虢に手を出さなかったのは、唇と歯が助けあうように両国が協力していたからです。今日、虢が亡んだら、明日は禍が虞に訪れます。」
しかし虞公はこう言いました「晋君は重宝も惜しまずに寡人との友好を求めた。寡人がこの小さな道を惜しむ必要があるか?そもそも晋は虢の十倍も強い。虢を失って晋を得るのなら、何も不利なことはないではないか。子は退がれ。わしの事に干渉するな。」
宮之奇が再び諫めようとしましたが、百里奚が裾を引いたためあきらめました。
退出した宮之奇が百里奚に言いました「子(あなた)は私を助けず、一言も話しをしなかった。しかも私を止めたのはなぜだ?」
百里奚が言いました「嘉言を愚人の前に加えても、珠玉を道に棄てるようなものだという。桀は関龍逢を殺し、紂は比干を殺した。強く諫めでも子が危険になるだけだ。」
宮之奇が言いました「しかしこのままでは虞は必ず亡ぶ。我々は去るべきではないか。」
百里奚が言いました「子は去ればいい。もう一人も一緒に去ったら、子の罪を重くしてしまうだろう。私はゆっくり行動する。」
宮之奇は一族を全て連れて国を去りました。
 
荀息が帰って晋侯に言いました「虞公は璧と馬を受け取り、道を貸すことに同意しました。」
献公が自ら兵を率いて虢を討伐しようとしましたが、里克が間に入って言いました「虢を倒すのは容易なことです。国君を煩わせる必要はありません。」
献公が問いました「虢を滅ぼす策があるか?」
里克が言いました「虢の都は上陽ですが、門戸は下陽です。下陽を破れば虢は崩れます。臣は不才ですが、微労を尽くさせてください。功を立てることができなかったら甘んじて罪を受けます。」
献公は里克を大将に、荀息を副将に任命し、車四百乗を動員しました。まず使者を虞に送って出征の日を伝えます。
虞公が荀息に言いました「寡人は重宝を受け取ったが何も報いていない。兵を出して従わせてもらおう。」
荀息が言いました「貴君が兵を率いて従うくらいなら、下陽の関を譲っていただきたいです。」
虞公が問いました「下陽は虢が守っている。どうして寡人が譲ることができるのだ?」
荀息が言いました「虢君は今、犬戎と桑田で戦っており、勝敗が決していないと聞きました。貴君は援けに来たと言って車乗(車馬)を虢に贈ってください。秘かに晋兵を中に入れれば関を得ることができます。臣に鉄葉車(鉄で守られた車)百乗があるので、貴君が使ってください。」
虞公はこの計に従いました。
下陽の守将・舟之僑は虞の言葉を信じて関を開きます。晋兵が隠れた車が中に入りました。
関に全ての車が入ると晋兵が突然襲いかかりました。関を閉めようとしても間に合わず、里克が兵を率いて直進します。下陽を失った舟之僑は、虢公に罪を問われるのを恐れ、兵を率いて晋に降りました。
里克は舟之僑に先導させて上陽に向かいました。
 
虢公は桑田にいましたが、晋軍が関を破ったと聞いて慌てて兵を返します。しかし犬戎の兵に不意を撃たれて大敗しました。虢公はわずか数十乗だけ率いて逃走し、上陽に帰って守りを固めましたが、晋に対抗する策はありません。
虢に至った晋軍は長い包囲網を作って疲労を待ちました。
八月から十二月になり、城中の薪も食料も全てなくなります。虢の士卒は連戦連敗して疲敝し、百姓は日夜号哭しました。
里克が舟之僑に命じて書を城中に射させました。虢公に投降を勧めます。
しかし虢公は「わしの先君は王の卿士だった。わしが諸侯に降ることはできない」と言い、夜に乗じて城を出ました。家眷(家族)を連れて京師に向かいます。里克等はそれを追撃しませんでした。
百姓は香花と燈燭で里克等を城に招き入れます。里克は百姓を安定させ、一切の略奪を禁止しました。兵を城に置いて守備させます。
府庫の宝物を全て車に積み、十分の三と女楽を虞公に譲りました。虞公はますます喜びます。
里克は人を送って晋侯に報告し、自分自身は疾と称して城外に駐留しました。病が治ってから帰還すると宣言し、その間に兵を休ませます。虞公は絶えず薬を送って里克を見舞いました
 
一月余して突然、間諜が虞公に報告しました「晋侯の兵が郊外に現れました。」
虞公が晋侯の目的を問うと、間諜が言いました「虢討伐の失敗を心配して自ら討伐を助けに来たようです。」
虞公が言いました「寡人はまさに晋君に会って友好を語りたいと思っていた。今、晋君が自ら来たのは寡人の願いだ。」
虞公は急いで虞国の郊外に移動し、晋侯を出迎えて食物を贈りました。両君が会見して互いに感謝の言葉を交わします。
献公は虞公と箕山での狩猟を約束しました。虞公は晋に対して自国の力を誇示するため、城内の甲士と堅車、良馬を全て動員し、晋侯と狩りの成果を賭けることにしました。
当日、辰(午前七時から九時)に狩りが始まって申(午後三時から五時)になりました。狩猟のための囲みを解散させる前に、突然、報告が入りました「城中に火が起こりました!」
献公が言いました「民間の失火でしょう。暫くすれば消えます。」
献公はもう一狩りするように請います。しかし大夫・百里奚が秘かに虞公に言いました「城中で乱が起きたようです。主公はここに留まってはなりません。」
虞公は晋侯に別れを告げて先に帰国しました。道中、逃走する民衆に出遭います。人々は「晋兵に虚を突かれて城池(城)が奪われました」と言いました。
虞公は激怒して「速く車を駆けよ」と命じ、城壁まで来ました。城楼には一人の大将が欄干に手を置いて立っています。甲冑は鮮明に輝き、威風凜凜とした大将が虞公に向かって言いました「かつて貴君には道を貸していただいた。今回は国を貸していただこう。施しに感謝する。」
虞公は怒って城門を攻撃しようとしましたが、城壁の上で梆(打楽器の一種)が響くと、雨のように矢が降り注ぎました。
虞公は素早く車を退けさせ、狩猟に出ていた後ろの車馬に速く集結するよう命じました。しかし軍士が報告しました「後軍で遅れた者は皆、晋兵に遮られ、降伏するか殺されました。車馬は全て晋に占有されています。晋侯の大軍が間もなく到着します。」
虞公は進退に窮し、嘆いて言いました「宮之奇の諫言を聞いていればよかった。」
振り向くと傍に百里奚がいたため、虞公が問いました「あの時、卿はなぜ何も言わなかった?」
百里奚が言いました「主公は之奇の諫言も聞きませんでした、奚の言葉を聞くはずがありません。臣が何も話さなかったのは、今日まで主公の傍に留まってお仕えするためです。」
虞公の危急の時、後ろから単車が駆けていました。虢国の降将・舟之僑です。虞公は思わず恥じ入った様子を見せました。
舟之僑が言いました「貴君が誤りの言を聞き、虢を棄てて自国も失ったのは以前の事です。今日の事を計りましょう。他国に出奔するくらいなら晋に帰順するべきです。晋君の徳量は寬洪なので害されることはありません。貴君を憐れんで必ず厚く遇します。心配する必要はありません。」
虞公は躊躇していましたが、晋献公が到着し、人を送って虞公を招きました。虞公は仕方なく会いに行きます。
献公が笑って言いました「寡人がここに来たのは璧と馬に値する物を得るためだ。」
献公は後車に虞公を載せて軍中の宿舎に連れて行かせました。百里奚も後に続きます。ある人が百里奚に去るように勧めましたが、百里奚は「わしは虞の禄を得て久しい。それに報いるのだ」と答えました。
 
献公は入城して民を安定させました。
荀息が左手で璧を持ち、右手で馬を牽いて言いました「臣の謀が既に完成しました。璧を府に、馬を厩にお戻しください。」
献公は喜んで受け取りました。
 
 
 
*『東周列国志』第二十五回その三に続きます。