第三十二回 晏蛾児が節に殉じ、群公子が朝堂を閙す(中編)

*今回は『東周列国志』第三十二回中編です。
 
豎刁が喪について相談すると、雍巫が言いました「待て待て(且慢,且慢)。先に長公子の君位を定めてから喪を発するべきだ。そうすれば争いから免れることもできるだろう。」
豎刁は納得し、二人で長衛姫の宮中に入って密奏しました「先公が既に薨逝されました。長幼の序に従えば、夫人の子こそ後嗣になるべきです。しかし先公は存命中に公子・昭を宋公に託して太子に立てました。群臣の多くもそれを知っています。もし先公の変を知ったら、群臣は太子を援けるでしょう。今晩、倉卒(あわただしい状況)の隙に本宮の甲士を率いて太子を逐殺し、長公子を奉じて即位させるべきです。そうすれば大事を定めることができるでしょう。」
長衛姫が言いました「私は婦人に過ぎません。卿等に任せます。」
雍巫と豎刁は世子(太子)を捕えるため、それぞれ宮甲数百を率いて東宮(太子宮)に向かいました。
 
この頃、世子・昭は入宮もできず桓公の病状も確認できないため不満を積もらせていました。
夕方、灯をとって一人で座っていると、突然恍惚として夢か現実か判断がつかなくなりました。そこに一人の婦人が現れてこう言いました「太子は速くお逃げください。禍がすぐ訪れます。妾は晏蛾児です。先公の命を奉じてここに報せにきました。」
公子・昭が婦人に質問しようとすると、婦人は昭を万丈の深淵に突き落としました。昭は驚いて目を覚まします。既に婦人はいませんでしたが、あまりにも不思議なことだったため信じざるを得ません。
すぐに侍者を呼び、行灯を持って従わせ、便門(副門。小門)から出て徒歩で上卿・高虎の家に行きました。急いで門を叩くと、高虎が迎え入れて用件を聞きます。公子・昭は詳しく理由を話しました。
高虎が言いました「主公が病を抱えて半月になりますが、奸臣によって内外が隔絶され、消息が不明になりました。世子の夢は凶が多く吉が少ないはずです。夢の中で先公と称したのなら、主公は既に薨逝されたはずです。夢のお告げを信じないでここに留まるよりも、信じて暫く境外に出て、不測の事態に備えるべきです。」
公子・昭が問いました「どこに逃げたら安全だ?」
高虎が言いました「主公はかつて世子を宋公に託しました。宋に行けば宋公が必ず助けてくれるでしょう。虎は守国の臣なので、世子と共に出奔することはできません。しかし私には門下の士・崔夭がいます。彼が東門の鎖鑰(鍵)を守っているので、人を送って門を開かせましょう。世子は夜の内に城を出てください。」
言い終わらないうちに閽人(門守)が報告しました「宮甲が東宮を包囲しました。」
公子・昭は驚いて顔を土色に変えます。高虎は昭の服を換えて従人に化けさせ、心腹の家臣に遂行を命じました。東門に到着すると高虎の家臣が崔夭に説明して門を開かせます。崔夭が言いました「主公の存亡が分からないのに私が勝手に太子を放ったら、罪から逃れられません。太子には侍従がいないようなので、もし崔夭を棄てないようなら、宋に同行させてください。」
公子・昭が喜んで言いました「汝が同行してくれるのなら、それは私の願いだ。」
すぐに城門が開かれました。崔夭には自分の車仗(車と武器)があったため、公子・昭を自分の車に乗せて自ら手綱をとりました。二人は急いで宋国に向かいます。
 
巫・刁の二人は宮甲を率いて東宮を包囲しましたが、どこを探しても世子・昭の姿がありません。
鼓が四更(夜一時から三時)を打つのを聞いて、雍巫が言いました「我々が東宮を包囲したのは、相手の不意を突くためだった。もしも天が明るくなるまで時間がかかったら、他の公子に知られて先に朝堂を占拠されるだろう。それでは大事が去ってしまう。とりあえず宮中に帰って長公子を擁立し、群臣の様子を観て道理(方法)を考えるべきではないか。」
豎刁が言いました「それは我が意とも同じだ。」
二人は兵を収めて公宮に戻りました。すると朝門が開かれて百官が集まっていました。高氏、国氏、管氏、鮑氏、陳氏、隰氏、南郭氏、北郭氏、閭邱氏等の子孫臣庶(若い世代の群臣)で、全ての名を述べることもできません(集まっていた者達の官位が低いため、名が残っていないという意味です)。官員達は巫・刁の二人が多数の甲士を率いて公宮を出たと聞いたため、宮中で異変があったと判断し、朝房に集まって情報を集めていました。宮中からは既に斉侯の凶信が漏れています。更に東宮が包囲されたという情報も入りました。奸臣が機に乗じて乱を興したのは明らかです。
官員達が言いました「世子は先公が立てたのだ。もし世子を失ったら、我々は何の面目があって斉の臣でいられるのだ。」
官員達が世子を守る方法を相談しているところに、巫・刁の二人が兵を率いて還ってきました。
官員達が一斉に集まって「世子はどこだ?」と問います。
雍巫が拱手して答えました「世子・無虧は宮中におられます。」
官員達が言いました「無虧はまだ命を受けて冊立(太子や皇后を立てること)されてはいないから、我々の主ではない。我々に世子・昭を還せ!」
すると豎刁が剣を持って大声で言いました「昭は既に駆逐した!今、先公による臨終の遺命を奉じて長子・無虧を国君に立てる!従わない者は剣下に誅する!」
官員達は納得せず、怒鳴り罵って言いました「汝等奸佞が死者を偽り生者を侮り、勝手に廃置(廃立)を行ったのだ!汝等が無虧を立てるのなら、我々は誓って臣従しない!」
大夫・管平が進み出て言いました「まずこの二人の奸臣を殺して禍根を除き、それから商議しよう!」
管平は牙笏象牙の手板)で豎刁の頭を殴ろうとしました。豎刁は剣でそれを防ぎます。他の官員達が管仲を助けて豎刁を襲おうとした時、雍巫が大喝しました「甲士達よ、今動かずいつ動くのだ!今まで汝等を養ってきたのは何のためだ!」
数百名の甲士が武器を持って官員達に襲いかかりました。武器もなく数も少ない官員の集団が敵うはずがありません。群臣の十分の三が乱軍の手によって殺され、残った者の多くも傷を負い、朝門から逃げ去りました。
 
巫・刁の二人が百官を襲って解散させた頃、天は既に明るくなっていました。そこで宮中から公子・無虧を抱え出し、朝堂で即位させました。内侍達が鐘鼓を鳴らし、甲士達が両側に並びましたが、階下で拝礼して即位を祝賀するのは雍巫と豎刁の二人しかいません。無虧は恥じと怒りを覚えました。
雍巫が言いました「大喪を発していないので、群臣は旧君を送ることができません。これでは新君を迎え入れることもできません。国・高の二老を招いて入朝させれば、百官を呼び集めて人々を圧服させることができるでしょう。」
無虧は同意し、右卿・国懿仲と左卿・高虎にそれぞれ内侍を送って入朝を命じました。
この二人は周天子に任命された監国の臣で、代々上卿を勤めているため、群僚に心服されています。
国懿仲と高虎は内侍の命を受けて斉侯が死んだと知り、朝服を着ず、披麻帯孝(喪服)ですぐに入朝しました。巫・刁の二人は急いで門外に出迎えに行き、こう言いました「今日は新君が殿に登る日です。老大夫はとりあえず吉に従ってください(喪服を脱いで朝服を着てください)。」
しかし国・高二老は声をそろえてこう言いました「旧君の殯(棺に入れること)がまだ済んでいないのに新君を先に拝すのは非礼だ。誰もが先公の子だ。老夫が選ぶことではない。喪を主催できる者に従うだけだ。」
巫・刁の二人は返す言葉がありません。
国・高の二人は門外で空に向かって再拝し、大哭して還りました。
 
無虧が問いました「大喪はまだ殯を終えていない。群臣も不服だ。どうすればいい?」
豎刁が言いました「今日の事は虎と戦うのと同じです。力がある者が勝ちます。主上はただ正殿を守ってください。臣等が両廡(正殿の両側の廊室)に兵を連ね、入朝する公子がいたら兵器を使って服従させます。」
無虧は同意しました。
長衛姫は自分の宮殿の甲兵を総動員し、内侍にも軍装させました。宮女で背が高くて力がある者も甲士に加えられます。こうして集められた甲士は、巫・刁の二人がそれぞれ半分を統率し、左右の廡に配置されました。
 
衛の公子・開方は巫・刁の二人が無虧を擁立したと知り、葛嬴の子・潘に言いました「太子・昭の行方が分かりません。もし無虧が即位できるのなら、公子だけができないという道理はありません。」
開方も家丁死士を集めて右殿に陣を構えました。
 
密姫の子・商人も少衛姫の子・元と相談して言いました「私達は共に先公の骨血です。江山を分けあって当然でしょう。公子・潘が既に右殿を拠点にしたので、我々も同じように左殿に陣取りましょう。もしも世子・昭が帰ったら皆で位を譲り、もし帰らないようなら斉国を四分して均等に分けましょう。」
公子・元は同意し、それぞれが家甲を動員しました。普段から養っていた門下の士も隊を成して集まります。公子・元が左殿に、公子・商人が朝門に営を構え、互いに連携しました。
 
巫・刁の二人は三公子を恐れたため、正殿の守りを固めて敢えて攻撃をしかけませんでした。三公子も巫・刁の勢力を恐れたため、それぞれが軍営を守って衝突を避けました。朝廷中が敵国に別れ、道を行く人もいなくなります。
公子・雍だけは事態を恐れて秦に出奔し、秦穆公によって大夫に任命されました。
 
 
 
*『東周列国志』第三十二回後編に続きます。