第三十九回 柳下恵が敵を退け、晋文公が衛曹を破る(四)

*今回は『東周列国志』第三十九回その四です。
 
魏犨と顛頡の二人は以前から功績を自負して驕っていました。晋侯が僖氏を守る令を発すると、魏犨が怒って言いました「今日、我々が曹君を捕えてその将を斬ったのに、主公は一言の褒奨もなかった。わずかな盤飱にどれだけの恩恵があってこれほどの情を用いるのだ。まったく軽重をわきまえていない。」
顛頡が言いました「あの者が晋に仕えたら必ず重用され、我々は彼に圧迫されることになるだろう。火を放って焼き殺し、後患から逃れるべきだ。主公が知ったとしても本当に斬首されることはないだろう。」
魏犨は「その通りだ(言之有理)!」と言い、二人で酒を飲んで夜が静まるのを待ちました。
人々が寝静まった頃、二人は自分の軍卒を率いて僖負羈の家を包囲し、前後の門から火を放ちました。火炎は天を突いて燃え拡がります。
魏犨は酔いに乗じて武勇に頼り、門楼に跳び乗ると火勢を冒して簷溜(屋根の上の雨水を流す溝)の上を飛ぶように走りました。僖負羈を見つけて殺すつもりです。しかし棟榱(屋根を支える横木)が焼けて倒壊したため、魏犨も足を踏みずして落下しました。仰向けになって倒れます。そこに天地が崩れるような音が響き、棟木が魏犨の胸に倒れてきました。魏犨は苦痛のため声も出ず、口から鮮血を吐きます。前後左右が火に包まれるている中、自力で脱出を試みました。大怪我を負いながら庭柱を登り、屋根の上に飛び乗り、やっと家の外に出ます。衣服に火が点いたため、裸になって焚身の禍から逃れました。勇猛な魏犨も今回は力尽きて倒れてしまいます。
この時、顛頡が到着しました。顛頡は魏犨を抱きかかえて空地に運び、自分の服を脱いで与えてから一緒に車に乗って帰りました。
 
城内にいた狐偃と胥臣は北門で火が起きるのを見て軍中で異変が起きたと疑い、慌てて兵を率いて駆けつけました。僖負羈の家が火に包まれていたため、軍士に消火を命じます。しかし既に屋敷は壊滅状態でした。
僖負羈は家人を率いて火を消していましたが、煙に触れて倒れてしまいました。狐偃等が助けに来ましたが、火毒に中って意識がありません。僖負羈の妻は「僖氏の後を途絶えさせてはなりません」と言うと、五歳の子・僖禄を抱えて後園に奔り、汚池(汚水の池)に入って難を逃れました。
混乱は五更(午前三時から五時)まで続き、やっと火が消されます。僖氏の家丁数人が死に、房舍や民居数十余家が焼毀しました。
 
狐偃と胥臣は魏犨と顛頡の二人が火を放ったと知って驚愕しました。隠すわけにもいかないため、すぐに大寨に報告します。大寨は城から五里も離れているため、夜の間に城中の火光を見ましたが、詳細は把握していません。空が明るくなって報告が届いてから、文公はやっと事件のいきさつを知ります。
文公はすぐに車を準備して城に入り、まず北門で僖負羈に会いました。しかし僖負羈は一度目を見開いただけで息絶えました。
文公は嘆息が止まりません。
僖負羈の妻が五歳の僖禄を抱き、地に倒れて哭拝しました。文公も涙を流して言いました「賢嫂よ、愁煩することはない。寡人が汝のために育てよう。」
僖禄は母の懐に抱かれたまま大夫を拝命し、大量な金帛を贈られました。
文公は僖負羈の埋葬を終えてから妻子を連れて晋に還りました。しかし後に曹伯が晋に帰順すると、僖負羈の妻が帰郷して墓参りをしたいと願ったため、部下に命じて曹国に送り帰らせました。後年、成長した僖禄は曹に仕えて大夫になりました。
 
事件当日、文公が司馬・趙衰に命じて君命を犯して放火した罪を討議させました。文公は魏犨と顛頡を処刑するつもりです。
しかし趙衰が言いました「この二人は十九年にわたる従亡奔走の労があり、最近も大功を立てたばかりです。彼等を赦すべきです。」
文公が怒って言いました「寡人は令によって民から信を得てきた。臣が令を守らないのなら、それは臣ではない。君が臣に令を行わせることができないのなら、それは君ではない。君も臣もないのにどうして国を立てることができるか!諸大夫の中で寡人に対して功労がある者は多い。もし皆が令を犯して勝手に行動しても赦されるのなら、寡人は今後、一令を出すこともできなくなる!」
趙衰が言いました「主公の言はその通りです。しかし魏犨の材勇は諸将で及ぶ者がいません。殺すのは誠に惜しいことです。それに、罪には首と従があります。顛頡一人を借りれば、大衆の警告にするには充分ではありませんか。なぜ二人とも殺す必要があるのですか。」
文公が言いました「魏犨は胸を怪我して動けないと聞いた。旦暮に死のうとしている者を惜しんで我が法を用いないというのか。」
趙衰が言いました「君命によって魏犨を確認させてください。もしも間違いなく死ぬようなら、主公の言の通りにし、もしまだ駆け走ることができるようなら、この虎将を活かして緩急(危急)の備えとさせてください。」
文公は首を縦に振って「わかった(是)」と言いました。
文公は荀林父を派遣して顛頡を招かせ、趙衰に魏犨の怪我を確認させました。
 
魏犨の命がどうなるか、続きは次回です。