2016-05-13から1日間の記事一覧

第三十九回 柳下恵が敵を退け、晋文公が衛曹を破る(四)

*今回は『東周列国志』第三十九回その四です。 魏犨と顛頡の二人は以前から功績を自負して驕っていました。晋侯が僖氏を守る令を発すると、魏犨が怒って言いました「今日、我々が曹君を捕えてその将を斬ったのに、主公は一言の褒奨もなかった。わずかな盤飱…

第三十九回 柳下恵が敵を退け、晋文公が衛曹を破る(三)

*今回は『東周列国志』第三十九回その三です。 当時、斉では孝公が死に、国人が弟の潘を立てました。これを昭公といいます。葛嬴の子です。 昭公は大位を継いだばかりで、しかも穀を楚に奪われたため、晋と結んで楚に対抗したいと思っていました。 晋侯が斂…

第三十九回 柳下恵が敵を退け、晋文公が衛曹を破る(二)

*今回は『東周列国志』第三十九回その二です。 翌日、楚王が成得臣を大将に拝し、自ら大軍を統率しました。陳、蔡、鄭、許四路の諸侯を糾合して共に宋を討伐します。 楚と諸国の軍が緡邑を包囲すると、宋成公は司馬・公孫固を晋に送って急を告げました。 晋…

第三十九回 柳下恵が敵を退け、晋文公が衛曹を破る(一)

第三十九回 柳下恵が詞を授けて敵を退け、晋文公が衛を伐って曹を破る (柳下恵授詞却敵 晋文公伐衛破曹) *今回は『東周列国志』第三十九回その一です。 晋文公は温、原、陽樊、攢茅四邑の封境を定め、太行山の南まで領土を拡げました。この地を南陽といい…

戦国時代44 東周顕王(十二) 魏の遷都 前340~339年

今回は東周顕王二十九年と三十年です。 顕王二十九年 前340年 辛巳 [一] 『今本竹書紀年』によると、三月、魏が都城の北郛(北の外城)に大溝(大濠)を造り、圃田の水を入れました。 [二] 秦の衛鞅が秦孝公に言いました「秦と魏の関係は人の腹心に疾(病)…