第五十回 東門遂が子倭を立て、趙宣子が強諫する(四)

*今回は『東周列国志』第五十回その四です。
 
桃園に入った晋霊公は遊びに夢中になって歓笑し始めました。すると突然、屠岸賈が嘆息して言いました「この楽しみは二度とありません。」
霊公が「大夫は何を嘆いているのだ?」と問うと、屠岸賈が言いました「趙相国は明日の早朝で必ずまた聒絮(くどくどと説教すること)するでしょう。主公が再び出遊することを許すはずがありません。」
霊公が怨んで言いました「古から臣下は国君に制されるものであり、国君が臣下に制されるとは聞いたことがない。あの老人がいたら寡人のためにはならない。除く方法はないか?」
屠岸賈が言いました「臣には鉏麑という客がいます。彼の家は貧しいので、臣が常に援けてきました。彼は臣の恩恵に感謝し、死力を尽くすことを望んでいます。彼に相国を暗殺させれば、主公は好きなように楽しむことができ、憂いもなくなります。」
霊公が言いました「この事が成功したら、卿の功は小さくないぞ!」
 
その夜、屠岸賈が秘かに鉏麑を招き、酒食を下賜して言いました「趙盾は専権して国君を侮っている。そこで、晋侯の命を奉じて汝を送ることになった。汝は趙相国の門に隠れ、五鼓(五更。午前三時から五時)になるのを待って、朝廷に赴くところを刺殺せよ。事を誤ってはならない。」
鉏麑は命を受けて趙盾の家に行き、車を止めて馬を繋げました。雪花のように白く光る匕首を持ち、趙府の近くで待機します。
譙鼓(譙楼の太鼓。時間を告げます)が五更を告げると、足音を消して趙府の門に近づきました。重門(二重になった門。または屋敷の内門)が開かれたままになっていたため、鉏麑は車に乗って門外まで移動します。堂上には灯の光が点いていました。
鉏麑は静かに中門を入り、暗い場所に隠れて中を伺いました。堂上には一人の官員が朝衣朝冠(入朝する時の衣冠)を見につけ、垂紳正笏(帯の端を下に垂らし、笏を正しく持つこと)という姿で、端然と座っています。これが相国・趙盾です。早く朝廷に出仕するために準備を整えましたが、空がまだ明るくならないため、座って日の出を待っているようです。
鉏麑は驚いて門の外まで退くと、嘆息して言いました「恭敬を忘れることがない人物は民の主だ。民主を賊殺したら不忠になってしまう。しかし君命を受けながらそれを棄てたら不信になってしまう。不忠と不信では天地の間に立つことができない。」
鉏麑は門に向かって「私は鉏麑です。君命に逆らうことがあっても、忠臣を殺すことはできません。私はここで自殺します。恐らく今後も私に続く者がいるはずです。相国は御自身をお守りください!」と叫び、門前の大槐の木に向かって頭を撃ちつけました。
門を守る役人が驚いて鉏麑の自殺を趙盾に報告しました。趙盾の車右・提彌明が言いました「相国は今日の入朝を避けるべきです。異変が起きるはずです。」
趙盾が言いました「主公は私を早朝に召すと言った。もし行かなかったら無礼になる。死生には命(天命)がある。心配は要らない。」
趙盾は家人に命じてとりあえず鉏麑の死体を槐樹の傍に浅く埋めさせ、車に乗って入朝しました。
群臣と共に霊公の前で礼を行います。
 
趙盾が無事なのを見た霊公は屠岸賈に鉏麑の事を聞きました。
屠岸賈が言いました「鉏麑は家を出ましたが帰っていません。ある者によると、槐の木に頭を撃ちつけて死んだようです。理由は分かりません。」
霊公が問いました「計が失敗したが、如何する?」
屠岸賈が言いました「臣にはもう一つの計があり、趙盾を殺すことができます。万に一つの失敗もありません。」
霊公がその計を聞くと、屠岸賈が言いました「主公は明日、趙盾を宮中の酒宴に招いてください。あらかじめ甲士を壁の後ろに隠しておき、三爵(三杯の酒を献じること)の後、主公が趙盾に佩剣を見せるように命じれば、盾は必ず剣を献上します。そこで臣が『趙盾が君前で剣を抜き、不軌(謀反)を謀った。左右は救駕(国君を守ること)せよ』と叫びます。甲士が一斉に襲いかかり、縛って斬れば、外の者は趙盾が自ら誅戮を招いたと思うでしょう。主公は大臣を殺した悪名から免れることができます。如何ですか?」
霊公は「素晴らしい(妙哉,妙哉)!計に従って行動しよう」と言いました。
 
翌日、霊公が再び朝会を開き、趙盾に言いました「寡人は吾子(汝)の直言のおかげで群臣と親しむことができた。謹んで薄享(ささやかな宴)を設けて吾子を労いたい。」
霊公は屠岸賈に命じて趙盾を宮中に連れて来させます。車右・提彌明が従って堂の階段を登ろうとすると、屠岸賈が言いました「国君は相国のために宴を開いた。余人が登堂してはならない。」
提彌明は堂下に立ちました。
趙盾は再拝して霊公の右に座り、屠岸賈が霊公の左に侍りました。庖人が饌(食事)を運びます。
酒が三巡した時、霊公が趙盾に言いました「吾子(汝)が佩する剣は鋭利で優れていると聞いた。剣を解いて寡人に見せてくれないか。」
趙盾は姦計と知らず、剣を解こうとしました。すると堂下で見ていた提彌明が大声で叫びました「臣下が国君に侍る宴では、礼において三爵を越えないものです。なぜ酒の後に君前で剣を抜くのですか!」
趙盾は覚ってすぐに立ち上がりました。怒気を帯びた提彌明が小走りで堂に登り、趙盾を抱きかかえて下に降ります。
屠岸賈はとっさに獒奴に命じ、霊獒を放させました。獒奴は霊獒に紫袍を着た者を追わせます。獒は飛ぶように走り、宮門の内側で趙盾に追いつきました。しかし提彌明は千鈞を持ち上げる怪力を持っています。両手で獒を捕まえ、頸を折って殺しました。
霊公は怒って壁の後ろに隠していた甲士に趙盾を襲わせました。提彌明は自分の身体で趙盾を庇い、趙盾を先に逃がします。提彌明が一人残って戦いましたが、多数の甲士には敵わず、全身を負傷して力尽きました。
 
趙盾は提彌明が甲士と戦っている間に脱出しました。そこに一人の甲士が必死に追いかけて来ます。趙盾が恐れてその男を見ると、男はこう言いました「相国が恐れることはありません。私は助けに来たのです。害するつもりはありません。」
趙盾が問いました「汝は誰だ?」
男が答えました「相国は翳桑(桑の木の下の陰。または地名)の餓人を思えていますか?この霊輒がそうです。」
五年前、趙盾が九原山で狩りをして還る時、翳桑の下で休みました。そこで一人の男が横になっているのを見つけます。趙盾は刺客ではないかと疑い、人を送って捕えました。しかしその男は飢えていて立ち上がることもできません。
趙盾が姓名を問うと、男はこう言いました「霊輒といいます。衛で三年間遊学し、故郷に帰るところでしたが、囊(荷物を入れる袋)が空になり、食べ物を手に入れることもできず、すでに飢えて三日になります。」
趙盾は憐れんで飯と脯(干肉)を与えました。すると霊輒は一つの小筐(小箱)を取り出し、先に半分をしまってから残りを食べました。
趙盾が問いました「汝が半分をしまったのは何故だ?」
霊輒が言いました「私の家には老母がおり、西門に住んでいました。しかし小人(私)が外出して久しいので、母の存亡は分かりません。今やっとあと数里の所まで来たので、もし幸いにも母が生きていたら、大人の饌(食事)で老母の腹を満たしてやりたいのです。」
趙盾は嘆息して「孝子だ」と言い、与えた全ての飯と脯を食べさせてから、改めて簞食(容器に入れた食糧)と肉を囊に入れて渡しました。霊輒は拝謝して去ります。
(明清時代)も絳州に哺飢坂という地名がありますが、この故事が元になっています。
 
霊輒は後に公徒(国君の歩兵)に応募し、甲士に加えられました。しかしその後も趙盾の昔日の恩を忘れることがなかったため、今回、こうして助けに来ました。
趙盾の従者は宮外で異変を聞いて既に逃走していました。霊輒が趙盾を背負って朝門を走り出ます。
提彌明を殺した甲士達が趙盾を追撃してきました
ちょうどそこに家丁を集めた趙朔が車を駆けて迎えに来ました。趙朔は趙盾を抱きかかえて車に乗せます。趙盾が急いで霊輒を車上に招こうとしましたが、霊輒は既に去っていました。
甲士達は趙府の衆が集まっているのを見て追撃をあきらめます。
趙盾が趙朔に言いました「家を顧みる余裕はない。翟か秦に向かって身を託せる場所を探そう。」
こうして父子は西門を出て西路に向かって進みました。
 
趙宣子はどこに出奔することになるのか。続きは次回です。