第五十七回 巫臣が晋に逃げ、程嬰が孤児を匿う(後編)

*今回は『東周列国志』第五十七回後編です。
 
趙盾には二人の心腹の門客がいました。一人は公孫杵臼、もう一人は程嬰といいます。
屠岸賈が下宮を包囲した時、公孫杵臼は程嬰と共に難に赴こうとしました。しかし程嬰がこう言いました「彼は君命を偽って討賊を宣言している。我々も赴いて共に死んでも、趙氏にとって益はない。」
公孫杵臼が言いました「無益なのはわかっている。しかし恩主に難があるのに、死から逃げるわけにはいかない。」
程嬰が言いました「姫氏は妊娠している。もしも男児が生まれたら私と汝で共に奉じよう。不幸にも女児だったら、生まれてから死んでも遅くはない。」
やがて荘姫が女児を生んだと聞くと、公孫杵臼が泣いて言いました「天はやはり趙氏を絶ってしまった。」
しかし程嬰は「まだ信用できない。私が調べてみよう」と言い、宮人に厚い賄賂を贈って荘姫と連絡を取りました。
荘姫は程嬰の忠義を知っていたため、秘かに「武」の一字を書いて送ります。
それを見た程嬰は喜んで言いました「公主が生んだのはやはり男だった。」
 
やがて屠岸賈が宮中を捜索しました。それを聞いた程嬰が公孫杵臼を訪ねて言いました「趙氏の孤児は宮中にいるが、捜索しても見つからなかった。これは天の幸だ。しかし一時は欺くことができても、後日、事が漏れたら屠賊がまた搜索に行くだろう。計を用いて秘かに宮門から出し、遠い地に隠さなければ安全ではない。」
公孫杵臼が長い間深く考えてから程嬰に問いました「孤児を立てるのと死難に遭うのとでは、どちらが困難だ?」
程嬰が言いました「死は容易だが孤児を立てるのは難しい。」
公孫杵臼が言いました「子(あなた)に困難なことを任せ、私に容易なことを任せるというのはどうだ。」
程嬰が計の詳細を問うと、公孫杵臼が言いました「他人の嬰児を得て趙氏の孤児を称し、私が首陽の山中に連れて行く。その後、汝が出頭して孤児の居場所を報告すれば、屠賊は偽の孤児を捕まえるから、本物の孤児は禍から逃れることができる。」
程嬰が言いました「嬰児を得るのは容易だが、本物の孤児を宮中から出さなければ安全ではない。」
公孫杵臼が言いました「諸将の中で韓厥だけが趙氏から最も深い恩を受けていた。秘かに孤児の事を託すことができる。」
程嬰が言いました「私には一児が生まれたばかりだ。孤児とは誕期(誕生日)も近いから、代えることができる。しかし子(あなた)は孤児を隠した罪を蒙ることになるので、必ず赤子と一緒に誅殺される。子(あなた)が私よりも先に死ぬのは忍びない。」
程嬰の涙が止まらないため、公孫杵臼が怒って言いました「これは大事であり、美事でもある。なぜ泣く必要があるのだ!」
程嬰は涙をぬぐって去りました。
 
夜半、程嬰は自分の子を公孫杵臼の手に渡し、韓厥に会いに行きました。
「武」の字を韓厥に見せてから公孫杵臼の謀を説明します。
韓厥が言いました「姫氏は最近、疾(病)があるので、私に医者を探させた。汝が屠賊を首陽山に誘い出すことができるのなら、私にも孤児を脱出させる計がある。」
 
計画が実行に移されました。
程嬰が大衆の中で「屠司寇は趙孤(趙氏の孤児)を求めているが、なぜ宮中を捜索するのだ」と言ってまわります。それを聞いた屠氏の門客が程嬰に問いました「汝は趙氏の孤児がどこにいるか知っているのか?」
程嬰が言いました「私に千金をくれるのなら、汝に教えてやろう。」
門客は程嬰を屠岸賈に会わせます。
屠岸賈が姓氏を問うと、程嬰が答えました「私は程氏の者で名を嬰といいます。公孫杵臼と共に趙氏に仕えていました。公主は孤児を生み、婦人に命じて宮門から連れ出させ、我々二人に匿うように託しました。しかし嬰(私)は後日、事が露見するのを恐れていました。誰かが情報を提供すればその者は千金の賞を得ることができますが、私は全家の戮を受けることになります。だからこうして報告しに来たのです。」
屠岸賈が問いました「孤児はどこにいる?」
程嬰が言いました「左右の者を退けていただければ話します。」
屠岸賈は左右の者をさがらせました。
程嬰が言いました「首陽山の深くにいます。急いでいけば得られるでしょう。間もなく秦国に奔るはずです。但し、大夫が自ら赴くべきです。他の者は多くが趙氏と旧交があるので、軽々しく託してはなりません。
屠岸賈が言いました「汝もわしについて来い。真実だったら重賞を与えるが、偽りだったら死罪に処す。」
程嬰が言いました「私は山中からここに来たので、腹が減っています。一飯を賜ることができたら幸いです。」
屠岸賈は程嬰に酒食を与えました。
食事を終えた程嬰は再び屠岸賈自ら出発するように促しました。
 
屠岸賈は家甲三千を率いて首陽山に向かいました。程嬰が先導します。
途中、数里を迂回しました。幽僻(辺鄙で寂しい様子)とした山路を進むと、溪谷に臨んで数軒の草荘(草の家)が建っているのが見えました。柴門の二枚の扉が閉じられています。
程嬰が指さしていいました「あれが杵臼と孤児がいる場所です。」
程嬰が先に門を叩くと公孫杵臼が出迎えましたが、多数の甲士を見て慌てて逃げ隠れしようとしました。
程嬰が怒鳴って言いました「逃げるな!司寇は孤児がここにいると知って、自ら取りに来たのだ。速やかに献上しろ!」
言い終わる前に甲士が公孫杵臼を縛って屠岸賈の前に連れてきました。
屠岸賈が問いました「孤児はどこだ?」
公孫杵臼は偽って「いない」と答えます。
屠岸賈は甲士達に家内の捜索を命じました。中に入ると壁室が鎖で守られています。甲士が鎖を取って中に入りました。暗い室内には竹の寝床があり、その上から小児が驚いて泣く声が聞こえてきます。
甲士が小児を抱きかかえて外に出しました。錦繃繡褓(繃も褓もむつき)に包まれている小児は貴人の子のようです。
公孫杵臼が赤子を見て奪おうとしましたが、縛られているため前に進めません。そこで大声で罵って言いました「小人の程嬰!かつて下宮の難では汝と共に死を約束しようとしたのに、汝は『公主が妊娠しているのに死んでしまったら誰が孤児を守るのだ』と言った。今、公主が孤児を我々二人に託してこの山に隠し、汝とわしとで共に事を謀っていたのに、千金の賞を貪るために出頭したのか!わしは死んでも惜しくないが、どうして趙宣孟の恩に報いようというのだ!」
公孫杵臼が程嬰を罵り続けたため、程嬰は満面に慚愧の念を浮かべて屠岸賈に「なぜ殺さないのですか!」と言いました
屠岸賈は怒鳴って「公孫杵臼を斬首にせよ!」と命じ、自ら孤児を受け取って地に投げ捨てました。赤子は一声を挙げて静かになります。
 
屠岸賈が孤児を捕まえるために首陽山に向かったという情報は城中に知れ渡りました。ある者は屠家のために喜び、ある者は趙家のために嘆息します。
孤児が見つかったため、宮門の取り調べがおろそかになりました。
そこで韓厥は心腹の門客を草沢(民間)の医人に化けさせて、荘姫を看病するという理由で宮内に送りました。程嬰が渡した「武」の字を薬囊の上に貼ってあります。
それを見た荘姫は意図を悟りました。脈を診終ってから、妊娠や産後に関する話を数語交わします。
荘姫は左右の宮人が全て心腹の者だと確認してから、孤児を薬囊の中に隠しました。
すると子供が大声で泣き出しました。荘姫は薬囊を撫でながらこう言いました「趙武よ、趙武よ。我が一門百口の冤讎は、汝の一点の血泡と身上にかかっています。宮を出る時に泣いてはなりません。」
言い終わると赤子は泣くのを止めました。
宮門を出る時にも取り締まりを受けずに通過しました。
孤児を得た韓厥は至宝のように大切にし、深室に隠して乳婦に育てさせます。この事は家人でも知りませんでした。
 
屠岸賈は官府に戻ってから千金の賞を程嬰に与えようとしました。しかし程嬰は辞退します。
屠岸賈が問いました「汝は賞を求めて出頭したのに、なぜ辞退するのだ?」
程嬰が言いました「小人は趙氏の門客となって久しいのに、孤児を殺して禍から逃れました。これは既に非義な事です。そのうえ多くの金を得て利益とするようなことはできません。小人の微労を念じるのなら、この金は趙氏一門の屍を埋葬するのに使い、小人の門下としての情を万分の一でも表させてください。」
屠岸賈が喜んで言いました「子(汝)は真に信義の士だ。趙氏の遺屍を汝が回収することを許そう。この金は汝が葬儀を営む資金とせよ。」
程嬰は拝礼して受け取り、趙氏各家の骸骨を集めて棺木に収め、それぞれ趙盾の墓の周りに埋葬しました。
全てが終わると屠岸賈に謝意を伝えます。
屠岸賈が程嬰を用いようとしましたが、程嬰は涙を流してこう言いました「小人は一時の貪生によって死を恐れ、不義の事を行ってしまいました。今後、晋人に会せる顔がありません。遠方で餬口(糊口)をしのぐつもりです。」
程嬰は屠岸賈に別れを告げてから韓厥に会いに行きました。
韓厥は乳婦と孤児を程嬰に託します。程嬰は孤児を連れて盂山に隠れ、我が子のように育てました。後人がこの山を藏山と命名したのは孤児を藏した(隠した)ためです。
 
三年後、晋景公が新田を巡遊しました。その地は土地が肥沃で水も甘い(美味)ため、国を遷して新絳と改名しました。故都は故絳とよばれます。
百官が朝賀し、景公が内宮に宴を設けて群臣をもてなしました。
日が晡(申時。午後三時から五時)を過ぎ、左右の近臣が燭台に火を灯そうとすると、突然、一陣の怪風が堂中に吹いて人々に寒気を与えました。宴席にいた者は皆、驚き震えます。
暫くすると風が通り過ぎました。その時、景公だけに蓬頭(髪が乱れた様子)の大鬼(幽霊。妖怪)が見えました。身長は一丈余もあり、乱れた髪は地面に及び、戸の外から中に入ってきます。大鬼は袖をめくって腕を出すと大声で罵って言いました「天よ!我が子孫に何の罪があって殺したのだ!わしは既に上帝に報告し、汝の命を取りに来た!」
言い終わると銅錘で景公を打とうとします。
景公は大声で「群臣よ、わしを助けよ!」と叫び、佩剣を抜いて大鬼を斬ろうとしましたが、誤って自分の指を切ってしまいました。
群臣は何が起きているのかわからず慌てて景公から剣を奪いました。しかし景公は口から鮮血を吐いて地に倒れ、意識を失ってしまいました。
 
景公の性命がどうなるか、続きは次回です。