第六十回 智武子が敵を侵し、逼陽城で三将が力を争う(四)

*今回は『東周列国志』第六十回その四です。
 
智罃が分軍の令を定めて鄭を討伐しようとした時、廷臣が「宋国の文書が届きました」と報告しました。
悼公がそれを読むと、楚と鄭の二国が協力して頻繁に兵を起こし、宋の国境を侵していると書かれていました。偪陽が楚・鄭連合軍の東道(東に向かう道。拠点)になっています。
宋が急を告げてきたので、上軍元帥・荀偃が言いました「楚が陳・鄭を得て更に宋を侵しているのは、晋と伯(覇業)を争うためです。偪陽は楚が宋を攻める道にあたります。師を興してまず偪陽に向かえば、一鼓にして攻略できるでしょう。以前、彭城を包囲した時に宋の向戍が功を立てました。その功績によって偪陽を封じ、附庸にして楚の道を絶つべきです。これが楚に対する策となります。」
智罃が言いました「偪陽は小さいとはいえ、その城は堅固なので、もし包囲しても攻略できなかったら諸侯の笑い者になる。」
中軍副将・士(范が言いました「彭城の役では我々が鄭を攻めたら楚が宋を侵して鄭を救いました。虎牢の役では我々が鄭を平定したら楚がまた宋を侵して報復しました。鄭を得たいと思うのなら、先に宋を固る方法を考えなければなりません。偃が言う通りです。」
荀罃(智罃)が言いました「二子は偪陽を必ず滅ぼすことができると思うか?」
荀偃と士が声をそろえて言いました「全て小将二人の身の上にかかっています。もし成功できなかったら甘んじて軍令を受けます。」
悼公が言いました「伯游(荀偃)が提唱して伯瑕(士が助けるのなら、失敗を憂いる必要はない。」
こうして第一軍が偪陽を攻撃することになりました。魯、曹、邾三国の兵が従います。
 
晋軍が迫ると、偪陽大夫・斑が偪陽子に計を授けて言いました「魯師は北門に営を置いています。我々が偽って門を開き、出陣する動きを見せれば、魯師は必ず攻め入って来ます。半分が入った時に懸門(吊り上げ式の城門)を下して分断しましょう。魯が敗れたら曹と邾が必ず懼れ、晋の鋭気も潰えます。」
偪陽子はこの計を採用しました。
 
魯将・孟孫蔑は部将・叔梁紇、秦父、狄虒彌等を率いて北門を攻撃しました。懸門が開いていたため、秦父と狄虒彌が勇に頼って前進し、叔梁紇が後に続きます。
すると突然、城壁の上で大きな音がしました。懸門が叔梁紇の頭上に下りてきます。叔梁紇はとっさに戈を投げ捨てると、両手を挙げて懸門を軽々と支えました。
城門が下ろされたため、魯の後軍が金(鉦)を鳴らして撤退の合図を送ります。
父と狄虒彌の二将は後隊の異変を恐れて急いで引き返しました。すると城内で鼓角の音が響き渡りました。斑が大隊の兵と車を率いて魯軍に襲いかかります。
 
魯軍を追撃する斑の前方で、一人の大漢が手で懸門を支えて魯の軍将を外に出していました。斑は大いに驚いてこう考えました「この懸門を上から下に放ったら、千斤の力気がなければ支えることができない。もしも我々が外に飛び出したら、逆に彼が門を下に放つだろう。そうなったら大変だ(可不利害)!」
斑は車を止めて様子を覗います。
叔梁紇は晋軍(魯軍)が全て撤退するのを待ってから、大声でこう叫びました「わしは魯国の上将・叔梁紇だ!城から出たい者がいたら、わしが手を離す前に速く出ていけ!」
城内の人々は怪力に驚いて言葉がありません。斑が弓を持って矢を構え、叔梁紇を射ようとしました。すると叔梁紇は両手を振って門を手から離し、勢いにまかせてその場を離れました。懸門が落ちて閘口に入ります。
叔梁紇は本営に還ると秦父と狄虒彌にこう言いました「二人の将軍の命はわしの両腕にかかっていた。」
しかし秦父はこう言いました「もしも鳴金(撤退の合図)がなかったら、我等は既に偪陽城に殺到し、大功を成していただろう。」
狄虒彌も言いました「明日を見ていろ。わしが一人で偪陽を攻めて魯人の本事(実力)を見せてやろう。」
 
翌日、孟孫蔑が隊を整えて城内の兵を挑発しました。百人で一隊を編成しています。
狄虒彌が言いました「わしには人の助けは要らない。単身で一隊に匹敵する。」
狄虒彌は大きな車輪を一つ持つと、堅甲で覆って固く縛り、左手で持って櫓(大盾)にしました。右手には大戟を握り、空を飛ぶように跳躍します。
 
偪陽の城壁を守る兵は、魯将が勇力を誇示しているのを見つけて布を城下に垂らし、「我々が汝等を引っ張って城壁を登らせよう!敢えて登って真の勇気を見せようという者はいるか!」と叫びました。
言い終わる前に魯軍から一将が進み出て「何を恐れることがあるか(有何不敢)!」と応えました。秦父です。
父は手で布を握って引っ張り、左右の手を換えながら上に登りました。ところが、城堞(城壁の低くなった場所)に達しようとした時、偪陽の人が刀で布を切りました。秦父は空中から下に落とされます。
偪陽城は数仞の高さがあるので、別の人ならこの転落で命を落とさなかったとしても重傷を負ったはずです。しかし秦父は全く変わりがありません。
城の上からまた布が垂らされました。「もう一度登る勇気があるか!」と問います。
父は再び「何を恐れることがあるか(有何不敢)!」と応えて布を握りしめ、布を引いた力で飛び上がりました。しかし偪陽人が布を切ったため、秦父は再度地面に転落しました。
父が立ち上がると城の上からまた布が垂らされました。「まだ挑戦する気があるか!」と問います。
父はますます凶暴な声で「挑戦しなければ好漢ではない(不敢不算好漢)!」と応え、布を引いて登り始めました。
父が二度落とされてもあきらめずに登り始め、全く恐れる様子がなかったため、偪陽の人々は逆に慌て始めました。急いで布を切ろうとしましたが、既に秦父に一人が捕まり、城下に投げ落とされて半死の状態になります。秦父も布と一緒に転落しました。
ところが今度は秦父が城の上に向かってこう叫びました「汝等はまだ布を下ろそうと思うか!」
城壁の人々が答えました「既に将軍の神勇を知ったので、敢えて下すつもりはない!」
父は切られた三枚の布を取って諸隊に示しました。人々は驚いて舌を出します(「吐舌」。驚いた様子)。孟孫蔑が感嘆して言いました「『詩』に『虎のような力がある(有力如虎)』という句があるが、この三将は充分匹敵する。」
斑は出て来る魯の将がどれも凶猛なため、敢えて出陣せず、軍民に力を尽くして固守するように命じました。
 
両軍は夏四月丙寅(初九日)に包囲を開始し、五月庚寅(初四日)で二十四日を数えました。攻める方は既に倦み始めていますが、守る方には余裕があります。
そこに突然、天が大雨を降らせ、平地に深さ三尺の水が溜まりました。晋の軍中に不安が走ります。
荀偃と士は水によって異変が起きることを心配し、一緒に中軍に行って智罃に撤退を請いました。
智罃がどう答えるか、続きは次回です。

第六十一回 晋悼公が蕭魚で会し、孫林父が献公を逐う(一)