2016-06-20から1日間の記事一覧

第六十回 智武子が敵を侵し、逼陽城で三将が力を争う(四)

*今回は『東周列国志』第六十回その四です。 智罃が分軍の令を定めて鄭を討伐しようとした時、廷臣が「宋国の文書が届きました」と報告しました。 悼公がそれを読むと、楚と鄭の二国が協力して頻繁に兵を起こし、宋の国境を侵していると書かれていました。…

第六十回 智武子が敵を侵し、逼陽城で三将が力を争う(三)

*今回は『東周列国志』第六十回その三です。 晋軍が虎牢まで来ると鄭人が盟を請いに来たため、荀罃は同意しました。 ところが晋軍が引き上げると楚共王が自ら鄭を討伐したため、鄭は再び楚と和を結びました。楚軍も引き上げます。 悼公が激怒して諸大夫に問…

第六十回 智武子が敵を侵し、逼陽城で三将が力を争う(二)

*今回は『東周列国志』第六十回その二です。 話は呉に移ります。 巫臣の子・巫狐庸は晋侯の命を受けて呉に入り、呉王・寿夢に楚討伐の兵を請いました。同意した寿夢は世子・諸樊を将に任命して江口に駐軍させます。 この情報は諜人によってすぐ楚国に伝えら…

第六十回 智武子が敵を侵し、逼陽城で三将が力を争う(一)

第六十回 智武子が軍を分けて敵を侵し、逼陽城で三将が力を争う (智武子分軍肆敵 逼陽城三将鬥力) *今回は『東周列国志』第六十回その一です。 周簡王十三年夏四月、楚共王が右尹・壬夫の計を用いて自ら大軍を統率し、鄭成公と共に宋を討伐しました。魚石…

第五十九回 胥童を寵して晋国が乱し、岸賈を誅して趙氏が復す(後編)

*今回は『東周列国志』第五十九回後編です。 晋厲公の葬事が終わると欒書が諸大夫を集めて新君について相談しました。 荀偃が言いました「三郤が死んだ時、胥童が孫周の擁立を理由に讒言しました。これは讖(予言)というものでしょう。霊公が桃園で死に(…

第五十九回 胥童を寵して晋国が乱し、岸賈を誅して趙氏が復す(中編)

*今回は『東周列国志』第五十九回中編です。 晋の郤至が周に行くことになりました。鄢陵で楚に勝った報告をして戦利品を献上するためです。 その間に胥童が秘かに人を送って孫周にこう伝えました「晋国の政治は半分を郤氏が握っています。今回、温季(郤至…

第五十九回 胥童を寵して晋国が乱し、岸賈を誅して趙氏が復す(前編)

第五十九回 胥童を寵して晋国が大乱し、岸賈を誅して趙氏が復興する (寵胥童晋国大乱 誅岸賈趙氏復興) *今回は『東周列国志』第五十九回前編です。 楚の中軍元帥を勤める公子・側は酒が好きで、いつも酒に手をつけると百觚(杯)は飲み続け、一度醉ったら…