第七十回 兄を殺して楚平王が即位し、晋昭公が盟を尋ねる(四)

*今回は『東周列国志』第七十回その四です。
 
話は晋に移ります。
晋が虒祈宮を建築してから、諸侯は晋の志が苟安(目先の安寧)にしかないと窺い知り、二心を持つようになりました。
新たに即位した晋昭公は先人の業を修復したいと考えます。その頃、斉侯が晏嬰を楚に送って聘問したと聞き、昭公も斉に人を送って朝見を要求しました。
斉景公は晋と楚の間に問題が多いため、隙に乗じて伯(覇業)を図ろうと思っていました。そこで晋昭公の為人を確認するため、準備を整えて晋に向かいます。勇士の古冶子が従いました。
 
景公の一行が黄河を渡る時、景公は圉人に命じて従舟(従者の舟)から左驂の馬を自分の舟に運ばせ、船頭に縛りました。この馬は景公が最も愛している馬です。景公は自ら圉人が馬に餌を与える様子を監督しました。
すると突然、大雨が集中して降り、波が大きく荒れ始めました。舟船が転覆しそうになります。
そこに大黿が現れました。水面に頭を伸ばし、大きな口を開いて船頭を襲い、左驂の馬をくわえて深淵に入ります。景公が驚いていると、傍にいた古冶子が言いました「主公が懼れることはありません。臣が主公のために取り戻してみせます。」
古冶子は衣を解いて裸になり、剣を抜いて水中に飛び込みました。波浪に立ち向かい、浮き沈みを繰り返しながら九里ほど流されて姿を消します。
景公が嘆息して言いました「冶子が死んでしまった。」
しかし暫くすると風浪が静かになり、水面が赤くなりました。古冶子が左手で驂馬の尾をつかみ、右手で血がしたたる黿の頭を掲げ、波を浴びながら姿を現します。
景公は驚いて「真に神勇だ!先君がいたずらに設けた勇爵に、このような勇士がいたとは思わなかった!」と言って厚い賞を与えました。
 
景公が絳州に入って晋昭公に朝見しました。昭公は宴を設けてもてなします。
晋国は荀呉が相礼を勤め、斉国は晏嬰が相礼を勤めました。
酒がまわった時、晋侯が言いました「筵(宴)席で娯楽とするものがない。君侯と投壺(壺に矢を投げ入れる遊戯)で酒を賭けよう。」
景公が同意したため、晋侯の近臣が壺を置いて矢を運びました。
斉侯が拱手して晋侯に先を譲ると、晋侯が矢を持って手を挙げました。
荀呉が進み出て言いました「淮水のように酒があり、高地のように肉がある。寡君が命中させたら、諸侯の師(主)となる(有酒如淮,有肉如坻。寡君中此,為諸侯師)。」
晋侯が矢を投げると壺に入りました。残った矢を地に投げ捨てます。晋の群臣が皆、地に伏せて「千歳」と唱えました。
しかし斉侯は喜ばず、矢を持った手を挙げると荀呉の言を真似て言いました「澠池のように酒があり、丘陵のように肉がある。寡人が命中させたら、君に代わって興隆する(有酒如澠,有肉如陵。寡人中此,與君代興)。」
斉侯が矢を投げると、晋侯の矢に並んで壺に入ります。
斉侯も大笑して残りの矢を投げ捨てました。晏嬰が地に伏して「千歳!」と唱えます。
晋侯はとっさに顔色を変えました。
荀呉が斉景公に言いました「貴君は言を失しました。今日、(斉侯が)敝邑に足を運ばれたのは、まさに寡君が夏盟(諸侯の結盟)の世主(代々の盟主)だからです。貴君の『代わって興隆する』というのはどういう意味ですか。」
晏嬰が景公の代わりに答えました「盟には常主がなく、徳がある者がそこにいるだけです。昔、斉が霸業を失って晋が代わりました。もし晋に徳があるのなら、服さない者はいません。しかし徳を失ったら、呉楚が交互に進攻するでしょう。敝邑だけではありません。」
羊舌肹が言いました「晋は既に諸侯を率いています。なぜ壺矢を使う必要があるのですか。これは荀伯の失言です。」
荀呉は自分の失敗を悟って言葉がありませんでした。
斉の臣古治子が階下に立って厳かな声で言いました「既に日昃(日が傾くこと)して主公も疲労しています。席を辞するべきです!」
斉侯は恭しく謝辞を述べて退席し、翌日、斉に帰りました。
 
羊舌肹が晋昭公に言いました「諸侯が離心しようとしています。武威を用いて脅さなければ必ず霸業を失います。」
晋侯は納得しました。
そこで甲兵を大閲(閲兵。兵制の整理)しました。総計四千乗、甲士三十万人が編成されます。
羊舌肹が言いました「徳が足りていなくても、衆(数)があれば役に立つ。」
昭公はまず周に使者を送り、諸侯との会に重みをもたせるため王臣の降臨を求めました。その後、諸侯を招きます。
秋七月に平邱で会を開くことになりました。諸侯は王臣も会に参加すると聞いて、参加しない者はいませんでした。
 
会見の日、晋昭公は韓起に国を守らせ、荀呉、魏舒、羊舌肹、羊舌鮒、籍談、梁丙、張骼、智躒等を率い、四千乗の衆を総動員して濮陽城に向かいました。三十余の営塁を築いて連携し、衛国中の地を晋兵が埋めます。
周の卿士である劉献公摯が先に到着しました。斉、宋、魯、衛、鄭、曹、莒、邾、滕、薛、杞、小邾十二路の諸侯も続々と集まります。強大な晋軍を見て、皆恐れを抱きました。
会が始まると、羊舌肹が盤盂(皿)を捧げてこう言いました「先臣趙武が誤って弭兵の約に従い楚と通好しました。しかし楚虔(楚霊王)には信がなく、自ら隕滅(滅亡)を選びました。今、寡君は践土の故事に倣って天子に恩恵を求め、諸夏を鎮撫したいと思っています。諸君が共に歃血して信となすことを請います。」
諸侯が皆頭を下げて「命に逆らうことはありません」と言いましたが、斉景公だけは答えませんでした。
羊舌肹が問いました「斉侯は盟を望まないのですか?」
景公が言いました「諸侯が不服な時に尋盟(過去の盟を確認すること)が必要になるのだ。皆が命に従っているのに、何のために盟を結ぶのだ。」
羊舌肹が言いました「践土の盟に不服な国がありましたか?今回、もし貴君が従わないのなら、寡君は甲車四千乗を率いて城下で罪を請うこと(「請罪」。罪を謝罪して処分を請うこと)を願うだけです。」
言い終わる前に壇上で鼓が鳴り響きました。各営塁で大旆が立てられます。
景公は晋軍の襲撃を恐れ、言を改めてこう言いました「大国が盟を廃すことができないのなら(必ず盟を結ぶというのなら)、寡人が自ら外れることもない。」
こうして晋侯が先に歃血の儀式を行い、斉宋以下、諸国が続きました。
劉摯は王臣なので盟に参加せず、会に臨んで監督するだけです。
 
邾と莒は魯国から頻繁に攻撃されていたため、晋侯に訴えました。
晋侯は会に参加しようとした魯昭公を拒否し、上卿の季孫意如を捕えて幕中に閉じ込めます。
魯の子服恵伯が個人的に荀呉に言いました「魯の地は邾莒の十倍もあります。晋がそれを棄てたら斉楚に仕えるでしょう。晋の益にはなりません。そもそも楚が陳蔡を滅ぼした時に(晋は)助けられませんでした。今回また兄弟の国も捨てるのですか。」
荀呉は納得し、韓起に伝えました。韓起が晋侯に話し、晋は季孫意如を釈放して帰国させます。
この後、諸侯はますます晋が誠実ではないと判断し、晋は二度と盟を主宰できなくなりました。
 
後の事がどうなるか、続きは次回です。

第七十一回 晏平仲が三士を殺し、楚平王が世子を逐う(一)