第七十二回 棠公尚が父の難に奔り、伍子胥が昭関を通る(三)

*今回は『東周列国志』第七十二回その三です。
 
伍員が歴陽山に至りました。昭関から約六十里離れています。伍員は深林で休憩し、徘徊するだけで前に進もうとしません。
突然、一人の老父が杖をついて林の中に入って来ました。伍員の容貌が尋常ではないため、前まで進んで揖礼します。
伍員も答礼しました。
老父が問いました「あなたは伍氏の子ではありませんか?」
伍員が驚いて言いました「なぜそれを聞くのですか?」
老父が言いました「私は扁鵲の弟子の東皋公です。若い頃から医術をもって列国を周遊していましたが、既に老いたのでここで隠居しています。数日前、将軍が小恙(小病)にかかったため、某(私)を招いて診察させました。その時、関上に伍子胥の形貌が掲げられているのを見たのですが、あなたにとても似ていたので質問したのです。隠すことはありません。寒舍は山のすぐ後ろにあります。暫く足を運んでください。助けが必要なら相談に乗ります。」
伍員は老父が常人ではないと判断し、公子勝と一緒に東皋公について行きました。
数里進むと一軒の茅荘(草で造った家)がありました。東皋公が揖礼して伍員を中に入れます。
 
草堂に入ると伍員が再拝しました。東皋公は慌てて答礼し、こう言いました「ここはまだあなたが足を止める場所ではありません。」
東皋公は伍員と公子を連れて堂の裏の西側に連れて行きました。小さな笆門(竹や柳で造った門)をくぐり、竹園を通ります。園の後ろに三軒の土屋(土の家)がありました。門は竇(穴。正門の横にある小門)のように小さいので、頭を低くして入ります。中には床と几(小さな机)が置いてあり、左右の小窓が開かれて光が射しこんでいました。
東皋公が伍員を上座に進めると、伍員は公子勝を指さして「小主が居るので私は横で小主に従います」と言いました。
東皋公が「誰ですか?」と問います。
伍員が説明しました「楚の太子建の子で、名を勝といいます。そして某(私)は子胥に間違いありません。公が長者なので隠すことができなくなりました。某(私)には父兄切骨の仇があり、報復を誓いました。公がこの事を洩らさなければ幸いです。」
東皋公は公子勝を上座に座らせ、自分と伍員が東西に向かい合って座ってから、こう言いました「老夫には済人(人を助けること)の術があるだけで、殺人の心はありません。この場所ならたとえ一年半載(半年や一年)住んでも人に見つかることはないでしょう。しかし昭関は厳しく守られています。公子はどうやって通るつもりですか。万全の策を立てなければ無事に通ることはできません。」
伍員が跪いて言いました「先生に私を難から逃れさせる計があるようでしたら、後日、必ず重く報います。」
東皋公が言いました「ここは荒僻(辺鄙)で人がいません。公子は暫く留まり、某(私)に一策を考えさせてください。あなたがた君臣に関を通らせてみせましょう。」
伍員は東皋公に感謝しました。
 
その日から東皋公は每日酒食を提供しました。あっという間に七日が過ぎます。しかし関を通ることは口にしませんでした。
そこで伍員が東皋公に言いました「某(私)の心には大仇がおり、一刻が一歳(年)のように感じられます。この場所で時間だけが過ぎていくのは、死んでいるのと同じです。先生には高義がありますが、某等を哀れまないのでしょうか。」
東皋公が言いました「老夫の考えは既に固まっています。一人の者を待っているのですが、まだ来ないのです。」
伍員は東皋公を疑いました。
 
その夜、伍員は寝ても寝付けませんでした。東皋公に別れを告げて先に進みたいとも思いましたが、関を通れなかったら逆に禍を招きます。しかしこれ以上留まったら時間を無駄にしてしまいます。それに、東皋公が待っている人というのも誰なのかわかりません。
何度も寝返りをうちながら考えて不安になり、身も心も芒刺(草木の刺)の中にいるようでした。
横になったかと思えば立ち上がり、部屋の中を歩き回ります。
そのうちに東の空が白くなりました。
 
東皋公が門を叩いて部屋に入って来ました。伍員を見た東皋公が驚いて言いました「足下の鬚鬢(鬚ともみあげ)は、なぜ突然、色を変えたのですか!愁い悩んでそうなってしまったのですか!」
伍員は信じず、鏡を取って顔を映しました。そこには蒼然頒白(「蒼然」は老齢の様子。「頒白」は髪や鬚が一部白くなること)とした自分の顔があります。
伍子胥が昭関を通る時、一晩で愁いのために頭が白くなったと伝わっていますが、浪言(偽り)ではなかったようです。
伍員は鏡を地面に投げ捨てると、痛哭して言いました「一事を成すこともできないのに双鬢(両方のもみあげ)が斑(まだら)になっている!ああ、天よ(天乎,天乎)!」
しかし東皋公はこう言いました「足下が悲傷することはありません。これは足下の佳兆(良い兆し)です。」
伍員が涙を拭いて問いました「なぜ佳兆なのですか?」
東皋公が言いました「公の状貌は雄偉なのですぐに見破られます。しかし鬚鬢が突然白くなったので、一目では分からなくなりました。なんとか俗眼(人々の目)から逃れることができるでしょう。それに、私の友人も老夫の請いに応じて来ました。私の計は成功します。」
伍員が問いました「先生の計とはどのようなものですか?」
東皋公が言いました「私の友は複姓の皇甫、名は訥といい、ここから西南に七十里離れた龍洞山で生活しています。彼の身長は九尺あり、眉の太さも八寸に達し、足下の容貌に似ています。彼に足下のふりをさせて、足下が僕者の姿になれば、私の友が捕らえられて紛論(議論。揉めること)している間に、足下が昭関を通り過ぎることができます。」
伍員が言いました「先生の計は素晴らしいものですが、貴友に累が及ぶと思うと、心が不安になります。」
東皋公が言いました「それは心配ありません。友人を援ける策はその後にあります。老夫は既に友人にも詳しく説明しました。彼もまた慷慨(度量があること)の士なので、任せれば断りません。心配は無用です。」
言い終わると人(下僕。従者)を送って皇甫訥を土室に招き、伍員に会わせました。確かに伍員に似ています。伍員は心中でとても喜びました。
東皋公は薬湯で伍員に顔を洗わせました。顔の色が変わります。
黄昏になるのを待って、伍員の素服(白い服。喪服)を脱がせて皇甫訥に着せました。伍員は少し窮屈な褐衣(粗末な服)を着て僕者のふりをします。羋勝(公子・勝。羋は楚王族の姓)も衣服を換えて村家の児童に化けました。
伍員と公子勝は東皋公を四拝し、「後日、出頭(出世)の日が来たら必ず重く報います」と言いました。
しかし東皋公はこう言いました「老夫はあなたの冤罪を哀れんだから危難から逃れさせたいと思ったのです。報いを望んでいるわけではありません。」
伍員と公子勝は皇甫訥について夜の間に昭関を目指しました。
一行は黎明に到着します。ちょうど関が開く時でした。
 
関門は楚将越に固く守られています。越は部下にこう命じていました「北人で東に移動しようとしている者がいたら、全て厳しく取り調べてから関を通せ。」
関の前に伍子胥の面貌を掲げて一人一人確認します。真に「水も漏らさず飛ぶ鳥も通さない(水洩不通,鳥飛不過)」という状態です。
 
皇甫訥が関門に着きました。容貌が絵に描かれた姿に似ており、素縞(喪服)を着ています。しかも驚悸(恐懼の動悸)も見られました。関卒はすぐに足止めして越に報告します。
越は関から駆け出すと遠くから眺めて「間違いない(是矣)!」と言い、左右の近臣を一喝して一斉に捕えさせました。皇甫訥は関の上に連れて行かれます。
皇甫訥は何が起きているのかわからないふりをして、釈放を請い続けました。
関を守る将士も関の周辺にいた百姓も「子胥を捕えた」と聞き、伍員を見るために興奮して集まります。伍員は関門が大きく開かれている隙に公子勝を連れて衆人の中に紛れ込みました。
この時の関内は、大勢の人がいて混乱しており、また、伍員は服装を変えています。更に、顔色も改められ、鬚鬢も白くなっているため、一目見ただけでは正確な年齢がわかりません。その上、人々は伍員が既に捕えられたと思っています。伍員は取り調べを受けることなく、人混みの中を通り抜けて関門を出ました。
真に「鯉が釣り針から逃げて泳ぎ去り、尾を振り頭を振って二度と戻らない(鯉魚脱卻金鉤去,擺尾搖頭再不來)」という状態です。
 
 
 
*『東周列国志』第七十二回その四に続きます。