第七十二回 棠公尚が父の難に奔り、伍子胥が昭関を通る(四)

*今回は『東周列国志』第七十二回その四です。
 
楚将越は皇甫訥を縛って拷問し、供述させてから郢都に送るつもりです。
しかし皇甫訥が弁解して言いました「私は龍洞山下の隠士皇甫訥です。故人(友人)の東皋公に従って、関を出て東遊するところでした。法を犯したことはありません。なぜ捕まえたのですか?」
越は声を聞いてこう思いました「子胥の目は閃電のようで声は洪鐘(大鐘)のようだった。この者は確かに形貌が似ているが、声が低くて小さい。道中の風霜で変わってしまったのだろうか?」
疑問をいだいている時、「東皋公が来ました」という報告がありました。
越は皇甫訥を一辺に連れて行かせてから東皋公を中に入れ、賓主の秩序に従って席に座りました。
東皋公が言いました「老漢は関を出て東遊するつもりです。ちょうど将軍が亡臣伍子胥を捕えたと聞いたので、こうして祝賀に来ました。」
越が言いました「小卒が一人を捕えました。容貌は子胥に似ています。しかしまだ認めていません。」
東皋公が問いました「将軍と子胥の父子は共に楚の朝廷にいたはずです。なぜ真偽が分からないのですか?」
越が言いました「子胥の目は閃電のようで声は洪鐘のようでした。しかし捕えた者は目が小さく、声も雌のようです。私は子胥が久しく憔悴したため、以前の様子を失ってしまったのではないかと疑っています。」
東皋公が言いました「老漢も子胥とは一面したことがあります。その者を私に見せてもらえば虚実が分かるでしょう。」
越は捕えた者を前に連れて来させました。
皇甫訥は離れた所から東皋公を見つけると、急いで叫びました「公が関を出る時間を約束したのに、なぜ早く来ないのだ!私が辱めを受けることになった!」
東皋公が笑って越に言いました「将軍の誤りです。彼は私の郷友で皇甫訥といいます。私と共に遊行を約束し、関の前で会うことになっていたのですが、計らずも彼が先に進んでしまったようです。もし将軍が信用できないようなら、老夫には関を通る文牒(通行証)があります。彼を亡臣とみなすのは誤りです。」
言い終わると袖の中から文牒を取り出し、越に見せました。
越は大いに恥じ入って自ら縄を解き、酒を与えて落ち着かせてからこう言いました「小卒の判断に誤りがありました。お赦しください(万勿見怪)。」
東皋公が言いました「将軍は朝廷のために執法しています。老夫が譴責することはありません。」
越は金帛を二人に贈って東遊の資金にさせました。二人は謝辞を述べて関を下ります。
越は再び将士に号令し、以前のように関を堅く守らせました。
 
昭関を越えた伍員は心中で喜び、大股で歩きました。しかし数里も進んでいない所で一人の男に遭遇します。
伍員はその男を知っていました。姓を左、名を誠といい、昭関で柝(時間を報せる拍子木)を敲いている小吏です。元々は城父の人で、かつて伍家の父子に従って狩猟に行ったことがあったため、お互いに顔を知っていました。
伍員を見た左誠が驚いて言いました「朝廷は緊急で公子を探しています。公子はどうやって関を通ったのですか?」
伍員が言いました「主公は私が夜光の珠を持っていると知り、それを要求しました。しかし珠は既に別の者の手に渡ったので、今から取りに行くのです。先ほど将軍に報告して関を通してもらいました。」
左誠はこれを信じず、「楚王の令では『公子を逃がした者は全家が斬首される』と決められています。公子と一緒に関に戻り、主将に確認させてください。明らかになったら行ってもかまいません。」と言いました。
伍員が言いました「もし主将に会ったら、私は美珠をあなたに渡したと言います。あなたは弁解できないでしょう。人情によって私を放てば、後日また仲良く会うこともできます。」
左誠は伍員の英才と武勇を知っていたため、敢えて抵抗せず東に去らせました。関に帰ってからもこの事は内緒にします。
 
伍員は急いで進んで鄂渚に至りました。遠くに大江(長江)が悠々と流れ、大きな波濤を立てています。しかし舟がありません。前は大水が阻み、後ろは追手が迫っている恐れがあります。伍員は心中で焦慮しました。
すると突然、漁翁が船に乗って下流から上流に登って来ました。
伍員は喜んで「天はわしの命を絶たなかった!」と言うと、急いで叫びました「漁父よ!私を渡らせてくれ!速く渡らせてくれ!」
漁父は船を近づけようとしましたが、岸の上に人が動いているのを見つけたため、声を挙げてこう歌いました(以下、訳すのが困難なので原文と大意を書きます)「日月昭昭乎侵已馳,與子期乎蘆之漪。」
「空がまだ明るいから国境を越えようとする者を乗せるわけにはいかない。芦が生えた岸で会おう」という意味が込められています。
伍員は歌の意図を悟って下流に向かって走り、蘆洲に至りました。蘆荻の中に身を隠します。
 
暫くすると漁翁が船を岸に近づけました。伍員の姿が見えないため再び歌を歌います「日已夕兮,予心憂悲。月已馳兮,何不渡為。」
「日が既に傾き、私の心は憂い悲しむ。月が登ったのになぜ渡らない」という意味で、早く船に乗るように勧めています。
伍員は羋勝と一緒に蘆の茂みから這い出しました。漁翁が急いで二人を招きます。
二人は石を踏み台にして船に乗りました。
漁翁は篙(竹等の竿)で船を岸から離し、軽く蘭槳(蘭木の櫂。「蘭木」は「楠」かもしれません)を漕いで飄飄と去っていきました。
 
一つの時辰(二時間)も経たずに対岸に到着します。
漁翁が言いました「昨晩、夢の中で星が私の舟に落ちたので、老漢(私)は異人が大江を渡ろうとするはずだと知り、槳を漕いで出てきました。その結果、計らずも子(あなた)に会えたのです。子の容貌は常人のものではありません。隠さず本当の事を教えてください。」
伍員は自分の姓名を伝えました。
漁翁は驚いて暫く嘆息してから、「子の顔には飢色が現れています。私が食糧を探して子に食べさせましょう。暫くお待ちください」と言い、舟を緑楊の下に縛って村に行きました。
しかし久しく経っても戻って来ません。
伍員が公子勝に言いました「人心とは測り難いものです。徒を集めて私達を捕えるつもりかもしれません。」
二人はまた蘆の花の深い場所に隠れました。
 
やがて、漁翁が麦飯、鮑魚羹、盎漿(酒)を持って木の下まで来ました。
伍員の姿がないため大きな声で言いました「蘆中の人よ!蘆中の人よ!私は子(あなた)を使って利を求めるような者ではありません!」
伍員が蘆の中から出て応えました。
漁翁が問いました「子に飢困が見えたのでわざわざ食糧を取ってきたのです。なぜ私を避けるのですか?」
伍員が答えました「性命は天に属すものですが、今は丈人(老人)に属しています。憂患が積もっているので心中が落ち着かないのです。あなたを避けているのではありません。」
漁翁が食事を進め、伍員と公子勝は満腹になりました。
 
伍員は去る時に佩剣を解いて漁翁に譲り、「これは先王から下賜された物で、祖父と父が佩して私で三世になります。中には七星があり、百金に値します。これで丈人の恩恵に答えさせてください」と言いました。
漁翁が笑って言いました「楚王の令は『伍員を得た者には粟五万石を下賜し、上大夫の爵位を与える』となっているそうです。私は上卿の賞も必要としないのに、あなたの百金の剣を自分の利にすると思いますか?それに、『君子は剣がなければ周遊しない(君子無剣不遊)』と言います。この剣は、子には必要ですが私には無用です。」
伍員が言いました「丈人が剣を受け取らないのなら、姓名を教えてください。後日、恩に報います。」
漁翁が怒って言いました「私は子の含冤負屈(冤罪によって難を受けて身を屈すること)を知ったから江を渡らせたのです。子が後日の報いという利で私を誘ったら、丈夫(君子)ではなくなります。」
しかし伍員は「丈人は報いを望んでいませんが、それでは某(私)の心が安らぎません」と言って頑なに姓名を請います。
漁翁が言いました「今日の出会いによって、子は楚難から逃れ、私は楚賊を放ちました。姓名を名乗る必要はありません。そもそも私は舟楫で生計を立てており、生涯波浪の中にいます。たとえ姓名を知ったとしても、どうして再会できるでしょう。万一、天が我々をめぐり会わせることがあったら、私は子を『蘆中の人』と呼びます。子は私を『漁丈人』と呼んでください。お互いに覚えておくのはこれだけで充分です。」
伍員は喜んで拝謝し、別れました。
 
しかし数歩進むと引き返して漁翁に言いました「後から追兵が来ても私の事は洩らさないでください。」
この一言が漁翁の性命を失わせることになります。
 
後の事がどうなるか、続きは次回です。

第七十三回 伍員が呉市で乞い、専諸が王僚を刺す(一)