第七十三回 伍員が呉市で乞い、専諸が王僚を刺す(二)

*今回は『東周列国志』第七十三回その二です。
 
伍員は公子光が諫言したと知り、「光には内志があるから外事を語ることができないのだ」と言って大夫の職を辞退しました。
それを知って姫光が再び王僚に言いました「王が出師に賛成しなかったため、子胥は職を辞退しました。怨望の心を持っているので用いてはなりません。」
王僚は伍員を疎遠にし、辞退を許可しました。陽山の田百畝だけを伍員に与えます。
伍員は公子勝と一緒に陽山の野を耕して生活することにしました。
 
やがて、姫光が秘かに伍員を訪ね、米粟や布帛を贈ってこう問いました「子(あなた)が呉楚の国境を出入りした時、子胥(あなた)のような才勇の士に会いませんでしたか?」
伍員が言いました「某(私)は語るに足りません。専諸という者に会いましたが、彼こそ真の勇士です。」
姫光が言いました「子胥を通して専先生と交わりたいものです。」
伍員が言いました「専諸はここから遠くない所に住んでいます。すぐに招けば明日の朝には謁見に来れます。」
姫光が言いました「才勇の士なら某(私)が自ら訪ねるべきです。呼び出すことはできません。」
公子光は伍員と同じ車に乗り、専諸の家を訪ねました。
 
専諸は街坊で刀を磨き、人のために豕(豚)をさばいていました。
遠くから車馬が騒々しく迫ってきたため、走って避けようとします。すると車の上で伍員が声をかけました「私は愚兄だ(愚兄在此)。」
専諸は慌てて刀を置き、伍員が車を下りるのを待ちます。
伍員が公子光を指して言いました「この方は呉国の長公子だ。弟の英雄としての名声を慕ってわざわざ訪ねて来た。弟は訪問を辞退するな。」
専諸は「某(私)は閭巷の小民に過ぎず、大駕(豪華な車)を煩わせるような徳能はありません」と言ってから、公子光に揖礼して家に進めました。頭を低くして篳門蓬戸(草の門や戸)を入ります。
公子光が先に拝してかねてから慕っていたと告げました。専諸が答拝します。公子光が金帛を贄(礼物)として贈りましたが、専諸は固辞しました。伍員が横から受け入れるように強く勧めたため、やっと受け取ります。
この時から専諸も公子光の門下に投じることになりました。
公子光は毎日人を送って粟肉を与え、毎月布帛を支給し、頻繁に母を気遣って安否を伺いました。専諸は公子・光を感謝して心が動かされました。
 
ある日、専諸が公子光に問いました「村野の小人に過ぎない某(私)が公子から豢養(養育)の恩を受けていますが、報いることができません。もし差遣(指示)があれば、必ず命に従います。」
すると公子光は左右の人払いをして王僚暗殺の意志を伝えました。
専諸が問いました「前王の夷昧が死んだらその子が立つのは当然です。公子は何の名分があって王を害そうとするのですか?」
公子光は祖父の遺命があったため王位を兄弟で継承したことを説明し、こう言いました「季札が辞退したのだから適長(嫡長子)に戻るべきだ。適長の後代は光(私)の身となる。僚が国君になるのは相応しくない。しかし私の力は弱く、大事を図るには足りないので、有力の者の助けを借りたいのだ。」
専諸が問いました「なぜ近臣を使って平穏に王の側に伝え、前王の命を述べて退位させないのですか?なぜ秘かに剣士を準備して先王の徳を損なおうとするのですか?」
公子光が言いました「僚は貪婪で、しかも力に頼っている。進んで利を得ることは知っていても退いて譲ることはできない。もし彼に話したら逆に忌害を生むだろう。光と僚は両立できない立場にいるのだ。」
専諸が奮い立って言いました「公子が言うことに間違いはありません。しかし諸(私)の堂には老母がいるので、まだ死をもって身を捧げることはできません。」
公子光が言いました「私も汝の母が年老いており、子も幼いことを知っている。しかし汝でなければ共に事を図る者はいない。もし事が成功したら、汝の子母は私の子母と同じだ。心を尽くして養育し、汝を裏切るようなことはしない。」
専諸は長い間深く考えてから言いました「どんな事でも軽率に行動したら功を立てられません。必ず万全を図るべきです。千仞の淵にいる魚でも漁人の手に捕まるのは香餌があるからです。王僚を刺すにはまず王が好む事に投じるべきです。そうすれば近づくことができます。王が好むものは何ですか?」
公子光が答えました「王は美味を好む。」
専諸が問いました「美味の中でも最も好きなものは何ですか?」
公子光が答えました「特に魚炙(焼き魚)が好きだ。」
専諸が言いました「某(私)を暫く去らせてください。」
公子光が問いました「壮士はどこに行くつもりだ?」
専諸が言いました「某(私)は治味(料理)を学びに行きます。習得すれば呉王に近づけるかもしれません。」
専諸は太湖に行って炙魚を学びました。
三カ月で専諸の炙魚を食べた者は皆その美味を褒めたたえるようになります。
専諸が戻って姫光に会いに行きました。公子光は専諸を府中に隠します。
 
姫光が伍子胥を招いて言いました「専諸は味(料理)に精通した。どうすれば呉王に近づけるだろう?」
伍員が言いました「鴻鵠を制することができないのは羽翼があるからです。鴻鵠を制するにはまずその羽翼を除かなければなりません。公子慶忌は鉄のような筋骨をもち、万夫でも敵わず、手は飛鳥を捕まえ、歩(「足」。または「歩いている時」)は猛獣と格闘できると聞いています。慶忌を得た王僚は朝から晩まで傍に仕えさせているので、手出しができません。その上、同母弟の掩餘と燭庸が兵権を握っているので、たとえ我々に龍を捕えて虎を打つ勇があり、鬼神も測り知れない謀があったとしても、事を成すのは不可能です。公子が王僚を除きたいのなら。まずこの三子を去らせてから大位を図るべきです。そうでなければ幸い成功しても公子が安心して位に居ることはできません。」
公子光はうつむいてしばらく考えてから、突然言いました「君の言う通りだ。暫く汝の田に帰れ。隙が生まれるのを待ってまた協議しよう。」
伍員は別れを告げて去りました。
 
 
この年、周景王が死にました。
嫡世子の名を猛といい、次子を、長庶子を朝といいます。
景王は朝を寵愛したため、大夫賓孟に託して世子の位を換えようとしていましたが、実行する前に死にました。
劉献公摯も既に死に、子の劉巻(字は伯蚡)が跡を継いでいます。
劉巻はかねてから賓孟と対立していたため、単穆公旗と共に賓孟を殺して世子猛を即位させました。これを悼王といいます。
ところが、尹文公固、甘平公鰌、召荘公奐が以前から子朝を支持していたため、三家が兵を合わせ、上将南宮極に指揮させて劉巻を攻撃しました。
劉巻は揚に出奔し、単旗は王猛(悼王)を奉じて皇(地名)に駐軍します。
子朝は自分の党の鄩肹に皇を攻撃させましたが、鄩肹は敗死しました。
 
晋頃公が王室の大乱を聞いて大夫籍談と荀躒を派遣し、王を王城に入れさせました。
しかし尹固が子朝を京で擁立します。
 
暫くして王猛が病死しました。
単旗と劉巻は弟のを立てます。これを敬王といいます。敬王は翟泉に住みました。
周人はを東王、朝を西王と呼ぶようになります。
 
二王は互いに攻撃し合い、六年経っても決着がつきませんでした。
その間に召荘公奐は死に、南宮極も天雷で命を落とします。人心が懼れて安定しなくなりました。
 
後に晋の大夫荀躒が再び諸侯の兵を率いて敬王を成周に入れ、尹固を捕えました。子朝の兵が壊滅します。
召荘公奐の子(史実では「盈」。「嚚」は南宮極の子の名)が子朝を裏切って攻撃したため、子朝は楚に出奔しました。
諸侯は成周の城を修築して還ります。
敬王は召嚚を反覆(背反を繰り返すこと)の罪で捕え、尹固と共に市で処刑しました。周人は乱の平定を悦びました。
 
 
周敬王元年にさかのぼります。呉王僚八年です。
楚の元太子建の母が鄖(恐らく「」の誤り。蔡地)に住んでいました。
費無極は伍員の内応になることを恐れ、平王に誅殺するように勧めます。それを知った建の母は秘かに呉に人を送って助けを求めました。
呉王僚は公子光を鄖に派遣して建の母を奪わせます。
呉軍が鐘離まで来た時、楚将越が軍を率いて進路を塞ぎました。越は急いで郢都に報告します。
平王は令尹を大将に任命し、陳、蔡、胡、沈、許五国の兵を徴集しました。
 
胡子は名を髠といい、沈子は名を逞といいます。二君とも自ら兵を率いて合流しました。
陳は大夫夏齧を送り、頓と胡の二国も大夫を参戦させました。
胡、沈、陳の兵が右に、頓、許、蔡の兵が左に営を構え、越の大軍が中軍になります。
 
姫光も楚の動きをすぐ呉王に報告しました。
王僚は公子掩餘と共に大軍一万と罪人三千を率いて雞父に駐軍します。
 
両軍が戦いの期日を約束する前に、楚の令尹が暴疾(突然の病)で死んでしまいました。越が代わって大軍を率います。
姫光が王僚に言いました「楚は大将を失ったので、軍が士気を喪失させています。諸侯で従っている者は多数いますが、全て小国で、楚を畏れてやむなく来ているだけです。胡と沈の君は若くて戦に慣れておらず、陳の夏齧は勇があっても無謀です。頓、許、蔡の三国は以前から楚の令に苦しめられているので、心が服しておらず、力を尽くさないはずです。七国は同じ役にいながら心が同じではなく、楚帥(楚将)は位が卑しくて(低くて)威がありません。師を分けてまず胡沈と陳の陣を攻めれば必ず奔走します。諸国が混乱したら楚も必ず震撼し、大敗するでしょう。弱い姿を示して誘い出し、後ろで精卒に出撃の準備をさせるべきです。」
王僚はこの計に同意しました。
呉軍は三陣に分けられ、王僚自ら中軍を率い、姫光が左軍を、公子掩餘が右軍を指揮します。それぞれ充分な食事をとって陣を固め、出撃の時を待ちました。
 
 
 
*『東周列国志』第七十三回その三に続きます。