第八十二回 夫差が歃を争い、子路が纓を結ぶ(二)

*今回は『東周列国志』第八十二回その二です。
 
呉将胥門巣が率いる上軍が先に到着しました。
国書が諸将に問いました「頭陣(先陣)を衝こうという者はいるか?」
公孫揮が進み出て出陣の許可を請い、自分の車馬を率いて疾駆していきました。
胥門巣が急いで迎え撃ちます。
双方が交戦して三十余合になりましたが、勝負が尽きません。
戦いを見守っていた国書は、鋭気がみなぎって我慢できなくなったため、自ら中軍を率いて挟撃しました。
軍中の鼓声が雷のように轟きます。
胥門巣は支えることができず、大敗して逃げ去りました。
一陣に勝った国書は意気を盛んにし、軍士に命じて陣に臨ませました(軍士に戦闘の準備をさせました)。それぞれに一本の長縄を持たせて「呉は断髪(短髪)を俗としている。(首を斬っても髪を結んで運ぶことができないので)縄でその首をつなげよ」と命じます。
昂揚した斉の一軍は、呉兵は旦暮(すぐ)にも掃討できると信じました。
 
胥門巣が敗兵を率いて呉王に謁見しました。
呉王は激怒して見せしめのために胥門巣を斬ろうとします。
胥門巣が言いました「臣は到着したばかりでまだ虚実(実態。状況)を知らなかったため、たまたま失敗しました。もし再戦しても勝てなかったら、甘んじて軍法に伏します。」
伯嚭も力を尽くして命乞いしたため、夫差は叱咤して退出させ、大将展如に胥門巣の軍を統率させることにしました。
ちょうどこの時、魯将叔孫州仇が兵を率いて合流しました。
夫差は一揃いの剣甲を下賜して嚮導(先導)に任命し、艾陵から五里離れた場所に営寨を築きました。
 
斉の国書が人を送って戦書を届けました。呉王は「来日(明日)決戦」と書いて返します。
翌朝、両軍がそれぞれ陣を構えました。
夫差は叔孫州仇を第一陣、展如を第二陣、王子姑曹を第三陣とし、胥門巣には越兵三千を率いて敵兵を誘い出させました。夫差自身は伯嚭と共に大軍を率いて高阜(丘)に駐軍し、状況に応じて各軍を援けます。越将諸稽郢を自分の傍に留めて観戦させました。
 
斉軍が陣形を整えると、陳逆が諸将に玉をくわえさせ(死者の口には玉を入れます)、「死んだらすぐ入殮(入棺)しよう!」と言いました。
公孫夏と公孫揮が軍中の将兵を指揮して送葬の詞を歌い、「生きて還った者は烈丈夫ではない」と誓います。
国書が言いました「諸君が必死の覚悟によって自分を励ませば、勝てないはずがない。」
 
両軍の陣が完成しました。
まず胥門巣が陣を出て戦いを挑みます。
国書が公孫揮に言いました「彼は汝の手中で敗れた将だ。擒にできるだろう。」
公孫揮が戟を揮って出撃します。
すると胥門巣は逃走し、叔孫州仇が兵を率いて公孫揮の軍に突進しました。両者が戦い始めると、胥門巣も戻って参戦します。
国書は公孫揮が挟撃されるのを恐れて公孫夏にも車を駆けさせました。
胥門巣はまた逃走し、公孫夏が追撃します。
呉陣からは大将展如が兵を率いて公孫夏に攻撃をしかけました。胥門巣がまた戻って展如を援けます。
反復を繰り返す胥門巣を見て、斉将高無平と宗楼が怒って一斉に出陣しました。呉軍からは王子姑曹が出撃します。王子姑曹は身を挺して一人で二将と戦いましたが、全く恐れる様子がありません。
両軍がそれぞれ力を尽くして奮戦し、互いに同程度の殺傷をもたらしました。
国書は呉兵が退かないのを見て、自ら枹を持って戦鼓を叩き、大軍を総動員して前線を援けさせました。
 
呉王は高阜の上で詳しく状況を見守っています。斉兵が大いに勇を奮い、呉兵が次第に利を失ってきたため、伯嚭に兵一万を率いて援けさせました。
国書は新たに呉兵が現れたのを見て、兵を分けて迎え撃とうとしました。
ちょうどその時、呉の陣で金声(撤退の合図)が鳴り響きました。鉦鐸が一斉に叩かれます。
斉人は呉兵が退却すると思いましたが、測らずも呉王夫差が自ら精兵三万を率いて出撃してきました。夫差の軍は三つに分かれ、金声(本来は撤退を指示します)を合図に斜めから斉陣に突撃します。斉兵は三か所に分断されました。
展如や姑曹等は呉王が自ら陣に臨んだと知り、勇気を百倍にして斉軍を切り崩していきました。
展如は戦陣で公孫夏を捕え、胥門巣は車上で公孫揮を刺し殺します。
夫差も宗楼を射て命中させました。
閭邱明が国書に言いました「斉兵が全滅します!元帥は微服に着替えて遁走し、改めて道理(方法)を考えてください!」
国書が嘆息して言いました「私は十万の強兵を率いながら呉人の手に敗れてしまった。何の面目があって朝廷に還れるのだ?」
国書は甲冑を解いて呉軍に突入し、乱軍に殺されました。
閭邱明は草の中に隠れましたが、魯将州仇に見つかって捕えられました。
 
こうして夫差が斉軍に大勝しました。諸将が功を献上します(戦果を報告しました)。上将国書と公孫揮の二人は斬られ、公孫夏と閭邱明の二人は生け捕りにされましたが斬首に処されました。高無平と陳逆の二人だけは逃走しました。その他の擒斬(捕虜になったり殺されること)の者は数え切れません。革車八百乗も全て呉軍に奪われました。
夫差が諸稽郢に言いました「子(汝)は呉兵の強勇を観たが、越と較べたらどうだ?」
諸稽郢が稽首して言いました「呉兵の強は天下に当たる者がいません。弱越を論じる必要はありません。」
夫差は喜んで重賞を越兵に与え、諸稽郢を先に返して戦勝の報告をさせました。
 
敗報に驚いた斉簡公は陳恒、闞止と商議し、使者を送って大量な金幣を呉に献上しました。謝罪して和を請います。夫差は斉と魯が兄弟の好を修復して互いに侵害しないことを要求しました。二国とも要求に同意して盟を受け入れます。
夫差は凱歌と共に帰国しました。
 
句曲の新宮に帰った夫差が西施に会って言いました「寡人が美人をここに住ませたのは、速く再会できるからだ。」
西施は拝賀して謝しました。
ちょうど新秋に入った時で、桐陰が生い茂り、涼風が吹き始めました。夫差は西施と台に登り、飲酒して楽しみます。
夜深くなってから、突然、小児達の歌声が聞こえてきました。夫差が注意して聞くとこういう内容です「桐葉が冷たくなった。呉王は目覚めたか?梧葉が秋になった。呉王は愁いてまた愁いる(桐葉冷,呉王醒未醒。梧葉秋,呉王愁更愁)。」
夫差はこの歌詞を嫌い、人を送って群児(子供達)を宮中に連れて来させました。
夫差が「歌を教えたのは誰だ?」と問うと、群児は「一人の緋衣(赤い服)を着た童子がどこからともなく現れて、私達に歌を教えました。今はどこに行ったのかわかりません」と答えました。
夫差が怒って言いました「寡人は天によって生まれ、神によって用いられている。何の愁いがあるというのだ!」
夫差は小児達を誅殺しようとしましたが、西施が力を尽くして諫めたため考え直しました。
伯嚭が言いました「春が至ったら万物が喜び、秋が至ったら万物が悲しみます。これは天道というものです。大王の悲喜は天と道を同じくしているのですから、(秋になって愁いが増えることを)憂慮する必要はありません。」
夫差は進言に喜びました。
 
夫差は梧宮に三日間滞在してから呉に帰りました。
呉王が殿に登り、百官が迎えて祝賀します。
伍子胥も入朝しましたが、一人だけ何も言いません。
夫差が伍子胥を責めて言いました「子は寡人に斉を討伐するべきではないと諫めた。今、勝利を得て帰ったが、子だけは功がない。自分を恥ずかしいと思わないのか?」
伍子胥は怒って袖を揮い、剣を抜いて言いました「天が人の国を亡ぼそうとする時は、先に小喜に逢わせてから大憂を授けるものです。斉に勝ったのは小喜に過ぎません。臣は大憂がすぐ至ることを恐れるのです。」
夫差が不快になって言いました「久しく相国に会わなかったから耳が清浄になったと思ったが、今また絮聒(うるさいこと)を聞かせるのか。」
夫差は殿上に座ったまま耳を覆って目をつぶりました。
 
暫くして夫差が突然目を開き、長い間一か所を直視してから叫びました「不思議な事が起きた(怪事)!」
群臣が「王は何を見たのですか?」と問うと、夫差はこう言いました「四人が背を向けて寄りかかっており、少しして四方に走り去った。また殿下に二人の者が向き合っており、北を向いた者が南を向いた者を殺した。諸卿はこれらの事を見たか?」
群臣は皆、「見ていません」と答えます。
伍子胥が言いました「四人が背を向け合って走ったのは、四方に離散する象です。北を向く者が南を向く者を殺したのは、下の者が上の者を賊(害)し、臣が君を弑殺するという意味です(国君は南を向き、臣下は北を向きます。呉と越の関係を指します)。王が儆省(警戒・反省)を知らなかったら、必ず身が弑されて国を亡ぼす禍を招きます。」
夫差が怒って言いました「汝の言は不祥すぎる。聞くつもりはない!」
伯嚭が言いました「四方が離散して呉庭に奔走したのは(四人が四方に離散した様子を、四方の国が離散して呉の朝廷に奔るという意味にすり替えています)、呉国が霸王となって周に代わることになるからです。これはまた下が上を賊し、臣が君を犯すことでもあります。」
夫差が言いました「太宰の言は心胸を開くことができる。相国は耄碌した。相手にする必要はない。」
 
 
 
*『東周列国志』第八十二回その三に続きます。