第八十五回 楽羊子が中山羹を啜り、西門豹が河伯に婦を送る(後篇)

*今回は『東周列国志』第八十五回下編です。
 
文侯は中山の地が遠いため、親信の者に守らせなければ無虞(憂いがないこと)を保証できないと考えました。そこで世子撃を中山君にします。
世子撃が命を受けて都を出た時、田子方が敝車(粗末な車)に乗ってきました。世子撃は慌てて車から下り、道の傍で拱立して敬意を示します。しかし田子方は車を駆けさせて通過し、その態度は傲然としていて世子撃を顧みようともしませんでした。
世子撃は心中不満になり、人を送って田子方の車索(車の縄)を引かせました。
世子撃が追いついて言いました「撃(私)は子(あなた)に質問があります。富貴の者が人に対して驕るものですか?貧賎の者が人に対して驕るものですか?」
田子方が笑って言いました「古から貧賎の者が人に驕ってきました。どこに富貴の者が人に驕るという道理があるのですか?国君でありながら人に驕ったら社稷を保てなくなります。大夫でありながら人に驕ったら宗廟を保てなくなります。楚霊王は驕りによってその国を亡ぼし、智伯瑤は驕りによってその家を亡ぼしました。富貴というものが頼りにならないのは明らかです。貧賎の士なら、食べる物は藜藿の類に過ぎず、着る物は布褐の類に過ぎず、人に求めることなく、世に欲することなく、士を愛する主だけに喜んで仕え、主が言を聴いて計が合うようなら、そのような主のために勉めて留まります。そうでなかったら、浩然(堂々としており、名残を惜しまないこと)と去って戻ることがありません。これを誰に禁じることができるでしょう。武王は万乗の紂を誅殺できましたが、首陽の二士を屈させることはできませんでした。このように貧賎とは貴ぶに足りるものなのです。」
太子(世子)撃は大いに恥じ入り、謝罪して去りました。
文侯は田子方が世子にも屈しなかったと聞き、ますます敬礼を加えました。
 
 
当時、鄴都の守が欠けていました。
そこで翟璜が文侯に言いました「鄴は上党と邯鄲の間に位置しており、韓趙と隣接しているので、強明の士に守らせる必要があります。西門豹でなければ務まりません。」
文侯は西門豹を鄴都守に任命しました。
 
西門豹が鄴城に入りました。閭里は閑散としており、人民も稀少です。父老を招いて苦しみを問うと、父老は皆こう言いました「河伯が婦を娶ることに苦しんでいます。」
西門豹が言いました「おかしなことだ(怪事,怪事)河伯がどうやって婦を娶るのだ?汝等は詳しく話してみよ。」
父老が言いました「漳水(清漳水)は沾嶺から流れており、沙城で東に向かって鄴を通ってから漳河になります。河伯は清漳の神です。その神は美婦を好むので、毎年一人の夫人を納めています。婦を選んで嫁がせれば年豊歳稔(豊作)が保証され、雨水が調和します。しかし婦を納めなかったら、神が怒って水波を泛溢させ、人家が漂溺することになります。」
西門豹が問いました「この事は誰が始めに言いだしたのだ?」
父老が答えました「この邑の巫覡が言い始めました。邑の俗(風習)で元々水患を畏れていたので、従わないわけにはいきません。每年、里豪(富豪)と廷掾(小吏)が巫覡と一緒に計画し、民から銭数百万を集め、そのうち二三十万を河伯が婦を娶るための費用に使います。残りは彼等が分け合っています。」
西門豹が問いました「百姓は彼等の瓜分(分け合うこと)に任せて一言も口を出さないのか?」
父老が言いました「巫覡は主に祝祷の事を主宰しており、三老と廷掾には科歛(税を集めること)のために奔走している労があります。彼等が公費を分けて使うことに不満はありません。それ以上に苦しんでいることがあります。春初で種を撒かなければならない頃、巫覡が人家の女子をくまなく訪ねて、少しでも顔色(美色)がある者を見つけたら『この女は河伯夫人に相応しい』と告げます。娘を嫁がせたくない者の多くが財帛を送って免除を請い、他の女を探させますが、貧民で免除されない者はやむなく娘を送っています。巫覡は河上に斎宮を築き、絳帷(赤い幕)や床席は全て新しい物を準備し、娘を沐浴更衣させてから斎宮の中に住ませます。その後、卜いで吉日を選び、葦で舟を編んで娘を乗せ、河に浮かべます。舟は数十里ほど流れて水没します。人家は煩費(大量な出費)に苦しんでおり、また、愛する娘がいる者は河伯に娶られることを恐れ、娘を連れて遠くに逃げてしまいました。そのため城内はますます人がいなくなっているのです。」
西門豹が言いました「汝等の邑は今までに漂溺の患(洪水)を受けたことがあるか?」
父老が言いました「毎年、河神が婦を娶っているおかげで、河神の怒りに触れることはありません。しかし漂溺からは免れていますが、本邑は土地が高くて路(水路)が遠いので河水が達しにくく、毎年、歳旱(干害)に襲われて乾枯の患があります。」
西門豹が言いました「神には本当に霊(霊験)があるようだ。娘を嫁がせる時、私も共に送って汝等のために祈祷しよう。」
 
その日が来ました。父老が西門豹に報告します。
西門豹は衣冠を整えて河上に向かいました。邑中の官属、三老、豪戸、里長、父老が全て参加し、遠近の百姓も皆集まっており、見物に来た者の数は数千人に上ります。
三老や里長等が大巫を連れて西門豹に会わせました。西門豹が観ると一人の老女で、驕慢な様子でした。
弟子の小巫女が二十余人おり、楚楚(鮮やかで美しい様子)とした衣裳を身に着け、それぞれ巾櫛爐香の類を持って後ろに従っています。
西門豹が言いました「大巫には労苦をおかけします。河伯の婦を招いてもらえませんか。私も会ってみたいと思います。」
老巫は振り向いて弟子に新婦を連れて来させました。
西門豹が女を見ると、鮮衣と素襪(白い靴下)を身に着けており、顔色(容色。美色)は中等といったところです。
西門豹が巫嫗と三老および衆人に言いました「河伯は貴神なので女には殊色が必要です。そうでなければ釣り合いが取れません。この女は不佳(不美人)です。大巫には面倒をかけますが、私のために河に入って河伯に報告してください。太守の言としてこう伝えてもらえれば問題ありません『改めて別の好女(美女)を探し求め、後日送ることにします。』」
西門豹はすぐ数人の吏卒に命じて老巫を抱えあげさせました。老巫は河に投げられます。
左右の者が皆驚愕して色を失いました。
西門豹は立ったまま静かに待ちましたが、久しくしてこう言いました「嫗(老女)は年老いているから事をうまく行えないようだ。河の中に行って久しくなるのにまだ戻って来ない。弟子が行って私のために催促せよ。」
西門豹は再び吏卒に命じて弟子の一人を抱えあげさせました。弟子も河の中に投げられます。
少し待ってまた言いました「弟子が行ってからも久くなるが、これはなぜだ?」
西門豹は別の一人の弟子に命じて催促に行かせました。
暫くしてまた「戻るのが遅い」と言い、更に一人を投じます。
こうして三人の弟子が河に投げられ、水に沈みました。
西門豹が言いました「皆、女子の流だから伝言を明らかにできないのだろう。伝言を明白にするために、三老にも河に入っていただこう。」
三老が辞退しようとすると、西門豹が怒鳴って言いました「速く行って答えをもらって来い!」
吏卒が左右から三老を引っ張り、有無を言わさず河に向けて推しました。三老は波に呑まれて去っていきます。
見物に集まった者達は驚いて舌を出しました。
西門豹は簪筆鞠躬(正装で拝礼すること)し、河を向いて恭敬な姿で待ち続けました。
およそ一つの時辰(二時間)が過ぎた頃、西門豹が言いました「三老も年をとっているからうまくできないようだ。廷掾と豪長者(富豪)に行ってもらわなければならない。」
廷掾と里豪達は恐れて顔を土色にし、背に汗を流して一斉に命乞いを始めました。頭を地に打ちつけて顔中に血が流れましたが、決して立ち上がろうとしません。
西門豹が言いました「もう暫く待ってみよう。」
廷掾と里豪達が戦戦兢兢とする中、また一刻(二時間)が過ぎました。
西門豹が言いました「河水は滔滔と流れ、一度去ったら返ることがない。河伯がどこにいるというのだ。民間の女子を枉殺(罪がないのに殺すこと)したのだから、汝等の罪は命によって償うべきだ!」
廷掾や里豪達は再び叩頭して謝り、こう言いました「今までは巫嫗に騙されていたのです。某等(我々)の罪ではありません。」
西門豹が言いました「巫嫗は既に死んだ。今後また河伯が婦を娶るという事を語る者がいたら、その者が媒(仲人)となって河伯に伝えよ。」
廷掾、里豪、三老が民から奪ってきた財賦は全て没収され、民間に返すことになりました。また、父老に命じて百姓の中で妻がない年長者を探させ、女弟子を嫁がせました。こうして巫風(巫女の風習)がなくなります。
この噂を聞いて、逃走していた百姓も再び郷里に戻ってきました。
 
西門豹は地形を観察して漳水を通せる場所を探し、民を動員して渠を掘りました。十二カ所に漳水を引くと、河の勢いが削られ、渠内の田畝に渠水が行きわたって旱乾の患も解消されました。この後、禾稼(農作物)の収穫が倍増し、百姓が業(本業。農業)を楽しむようになります。
(明清時代)も臨漳県に西門渠があります。これが西門豹が掘った水渠です。
 
文侯が翟璜に言いました「寡人は子(汝)の言を聴いて楽羊に中山を討伐させ、西門豹に鄴を治めさせた。二人ともその任を全うしており、寡人は頼りにしている(原文「皆勝其任,寡人頼之」。楽羊は既に兵権を解かれています。文侯が頼りにしている対象は、楽羊と西門豹ではなく、翟璜を指すのかもしれません)。今、西河は魏の西鄙であり、秦人が魏を侵す時の道となっている。卿は誰に守らせるべきだと思うか?」
翟璜は暫く考えてからこう言いました「臣がある者を推挙します。姓は呉、名は起といい、大いに将才があります。最近、魯から魏に奔って来たので、主公は速やかに彼を召して用いるべきです。もし遅くなったら他の地に移ってしまいます。」
文侯が言いました「呉起は妻を殺して魯将の地位を求めた者ではないか?その者は貪財好色なうえに性格も残忍だと聞いている。重任を託すことができるのか?」
翟璜が言いました「臣が推挙する者は、その能力を用いたら国君のために一日の功を成せる者です。素行を考慮する必要はありません。」
文侯が言いました「試しに寡人のために召してみよ。」
 
呉起はどうやって魏で功を立てるのか、続きは次回です。

第八十六回 呉起が将を求め、騶忌が相を取る(一)