第八十八回 孫臏が禍から脱し、龐涓が桂陵で敗れる(二)

*今回は『東周列国志』第八十八回その二です。
 
龐涓が孫臏を訪ねて問いました「兄孫臏が家の大切な手紙(千金家報)を受け取ったと聞きましたが、本当ですか?」
孫臏は忠直の人なので全く疑いをもたず、「その通りです」と答えました。兄が孫臏に帰郷を勧めたことも詳しく話します。
龐涓が問いました「弟兄(兄弟)が別れて久しいので、帰りたいと思うのは人の至情(誠実な感情)です。兄長はなぜ魏王に一二カ月の假を求めて墳墓(故郷)に帰省し、改めて来ようとしないのですか?」
孫臏が言いました「主公が疑って請いに同意しないのではないかと心配しているのです。」
龐涓が言いました「兄は試しに請うべきです。弟(私)が横から尽力して助けましょう。」
孫臏が言いました「賢弟による玉成(助けること)を頼りにしています。」
 
その夜、龐涓が再び恵王に会って言いました「臣は大王の命を奉じて孫臏を諭しに行きましたが、臏には留まる意志がなく、しかも怨望の言葉がありました。もし近々暇を請う表章(上奏文)が提出されたら、主公は臏が秘かに斉と通じた罪を明らかにするべきです。」
恵王は頷きました。
 
翌日、孫臏が一通の表章を提出しました。斉に還って墓参りをするために一カ月余の暇を請うという内容です。
表章を見た恵王は激怒して文書の最後にこう書きました「孫臏は秘かに斉使と通じており、今また帰郷を報告してきた。魏に背く心を持ち、任を委ねた寡人を裏切る意志があるのは明らかだ。その官秩を削り、軍師府(龐涓の府)に送って罪を問え。」
軍政司が王命を奉じて孫臏を軍師府に連れて行きました。龐涓は孫臏を一目見ると驚いたふりをしてこう言いました「兄長はなぜこのようなことになってしまったのですか!」
軍政司が恵王の命を宣言すると、龐涓は旨(王命)を受け取ってから孫臏に言いました「兄はこのような奇冤(冤罪)を受けました。愚弟が王の前で力を尽くして守りましょう。」
龐涓はすぐに輿人を呼んで車を準備させ、恵王に会いに行きました。
 
龐涓は恵王にこう言いました「孫臏には秘かに斉と通じた罪がありますが、その罪は死刑には及びません。臣の愚見によるなら、刖(足を切断する刑)に処して黥(刺青)を施し、廃人にするべきです。そうすれば終生、故土に還れなくなります。彼の命を全うさせて(殺すことなく)しかも後患がなくなるので、両全といえます。微臣には勝手に処理できないので、旨(王命)を請いに来ました。」
恵王が言いました「卿の処分が最善だ。」
龐涓は本府に帰って孫臏にこう言いました「魏王は非常に悩怒(憤怒)しているので、兄に極刑(死刑)を加えたいと思っています。しかし愚弟が再三にわたって命を守るように上奏したので、幸いにも性命は保つことになりました。但し、足を刖して面(顔)に黥を施さなければなりません。これは魏国の法度です。愚弟はこれ以上尽力できません。」
孫臏が嘆いて言いました「我が師はこう言いました『残害(迫害)に遭っても大凶にはならない。』首領(頭)を保てるのは賢弟のおかげです。この恩に報いることを忘れません。」
龐涓は刀斧手を呼んで刑を行わせました。孫臏を縛り付けて両脚の膝の骨を抜き取ります(『東周列国志』は刖刑を「膝を切って骨を抜き取る刑」としていますが、実際は脚を切断する刑だったはずです。諸説あります)孫臏は一声叫んで意識を失い、地面に倒れました。
久しくして孫臏がやっと目を覚ましました。すると今度は針で顔に刺青をされます。「私通外国」の四字が墨で書かれました。
龐涓は偽って啼哭し、刀瘡(刀傷)の薬を孫臏の膝に塗ってから帛で縛りました。部下に命じて書館まで運ばせます。好言で慰め、好食を与えて休ませました。
一月余が経ち、孫臏の傷口がふさがりました。しかし膝の骨がないため両脚に力が入らず、自分では歩けません。両足を曲げて胡坐をかくしかありませんでした。
 
廃人になった孫臏は、終日、龐涓によって三餐が養われました(軍師府に囚われています)孫臏は申し訳ないと思うようになりました。
そこで龐涓は孫臏孫武の『兵書』を教えるように請いました。鬼谷子が注解した秘伝の内容です。孫臏は喜んで同意しました。
龐涓は木簡を与えて孫臏に書き記させました。
孫臏が十分の一も書き終えていない頃、龐涓が誠児という蒼頭(奴僕)に命じて孫臏の世話をさせることにしました。誠児は罪もない孫子が刑を受けたことに同情しています。
それを知らない龐涓が突然、誠児を呼び出し、孫臏が毎日どれくらい書いているか聞きました。
誠児が言いました「孫将軍は両脚が不便なため、寝る時間が長く、短い時間しか座っていられません。よって每日、二三策(二三段落)しか書けません。」
龐涓が怒って言いました「そのように遅いのでは、いつになったら書き終わるのだ!汝はわしのために厳しく催促せよ。」
退席した誠児が龐涓の近侍に問いました「軍師は孫君に繕写(書き移すこと)を求めましたが、なぜあのように急いでいるのですか?」
近侍が言いました「汝は知らないのだろう。軍師と孫君は、外見は互いに仲良くしているが、内実は互いに嫉妬しあっている。彼の性命を守ったのは兵書を得たいからだ。繕写が終わったら飲食を絶つことになるだろう。汝はこの事を決して漏らすな。」
誠児は聞いたことを秘かに孫子に伝えました。
孫子は大いに驚いてこう言いました「龐涓はこのように義がなかったのか!『兵法』を彼に伝えるわけにはいかない!」
しかしこう考えました「もし繕写しなかったら、彼は憤激するだろう。そうなったら私の命も旦夕に終わってしまう。」
孫臏は思考を繰り返して脱出する方法を探しました。すると突然思い出しました「山を下りた時、鬼谷先生が私に錦囊を授けて『至急の時に至ったら開けて看てみよ』と命じた。今がその時だ。」
孫臏が錦囊を開けると、一筋の黄絹が入っており、「詐瘋魔(狂ったふりをせよ)」という三字が書かれていました。
孫臏は「なるほど、そういうことか」と言いました。
 
その日の夜、晚餐の準備が整って孫臏が箸を持ち上げようとすると、突然、昏憒(意識がもうろうとすること)して嘔吐の様子を見せました。暫くすると怒り出し、目を見開いて叫びました「汝はなぜ毒薬で私を害すのだ!」
臏は瓶や甌(盆。食器)を全て地面に投げ捨て、兵法を書いた木簡を火の中に投げ棄てて焼いてしまいました。孫臏自身もその場に倒れてはっきりしない口調で罵詈を続けます。
誠児は偽りとは知らず、慌てて走って龐涓に報告しました。
 
翌日、龐涓が自ら確認に来ました。孫臏は顔中を痰や涎で汚し、地に伏せて大笑したかと思えば、突然、大哭を始めます。
龐涓が問いました「兄長は何に対して笑い、何に対して哭しているのですか?」
孫臏が言いました「わしが笑っているのは、魏王がわしの命を害そうとしたことだ。わしには十万の天兵による助けがある。わしをどうすることができるというのだ。わしが哭すのは魏邦に孫臏がいないことだ。魏には大将になる者がいないから哭すのだ。」
言い終わると龐涓を凝視してから何回も磕頭(頭を地面につける拝礼)しました。口では「鬼谷先生、我が孫臏の一命をお助けください!」と叫んでいます。
龐涓が言いました「私は龐某です。人違いです!」
しかし孫臏は龐涓の袍を引っ張り、手を離そうとせず「先生、命を助けてください!」と叫び続けます。
龐涓は左右の者に命じて孫臏を引き離させ、秘かに誠児に問いました「孫子の病症はいつ発したのだ?」
誠児が言いました「昨晩、発作が起きました。」
龐涓は車に乗って去りましたが、心中の疑惑が消えません。狂人を装っているのではないかと疑い、真偽を試すことにしました。左右の者に命じて孫臏を猪圏(豚小屋)に連れて行かせます。すると糞穢(汚物)が散乱した中、孫臏は乱れた髪で顔を覆ったまま、体を倒して横になりました。
龐涓が使者に酒食を送らせました。使者が偽って言いました「小人(私)は先生が刖の刑に遭ったことを哀憐しており、敬意を表したいと思って来ました。元帥は(私が酒食を持って来たことを)知りません。」
孫子は龐涓の計だと知っているため、目を怒らせて「汝はまた毒でわしを害しにきたのか!」と怒鳴り、酒食を地面にばらまきました。
そこで使者は狗矢(犬の糞尿)や泥の塊を進めました。孫臏はそれを受け取って呑みこみます。
使者が戻って龐涓に報告しました。
龐涓が言いました「本当に狂疾に中ったのだ。考慮する必要はなくなった。」
この後、龐涓は孫臏が自由に出入りできるようにしました孫臏は軍師府に囚われています)
孫臏は朝に外出して夜に帰り、戻ったらやはり猪圏の中で寝ました。外出したまま帰らず、市井で寝泊まりしたこともあります。ある時は自由気ままに談笑し、ある時は悲しそうに号泣して止みません。
市の人々は孫客卿と知って病廃を憐れみ、多くの人が飲食を贈りました。孫臏は食べたり食べなかったりで、狂言誕語(誕は虚妄の意味)が口から絶えません。瘋魔を装っていることに気づく者はいませんでした。
しかし龐涓は各地に命じて毎日早朝に孫臏の居場所を報告させました。まだ完全に警戒を解いたわけではありません。
 
 
 
*『東周列国志』第八十八回その三に続きます。