第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(四)

*今回は『東周列国志』第九十七回その四です。
 
范雎が須賈に「大夫は何の用事があって来たのですか?」と問いました。
須賈が言いました「今の秦では相の張君が政治を行うようになった。私は彼と通じたいのだが、困ったことに取り次ぐ人がいない。孺子(汝)は秦にいて久しいが、私のために張君に取り次げる者を知らないか?」
范雎が言いました「某(私)の主人翁は丞相と仲がいいので、臣も主人翁に従って相府に行ったことがあります。丞相は談論を好み、反覆の間(議論応答の間)で主人が応えられないと、某がいつも助けて一言しました。丞相は某に口辯(口才)があると認めて、時々酒食を下賜されます。そのおかげで某も丞相と親近になれました。あなたが張君に謁見したいのなら、某が一緒に行きましょう。」
須賈が言いました「それならば私のために会見の日時を決めてくれ。」
范雎が言いました「丞相は多忙ですが、今日ならちょうど時間があります。すぐに行くべきです。」
須賈が言いました「私の大車は駟馬が牽いてきたが、馬が足を負傷し、車軸も折れてしまったので、すぐに行くわけにはいかない。」
范雎が言いました「私の主人翁に馬車があるので借りられます。」
范雎は一度府に帰り、大車を駟馬に牽かせて再び館駅の前に行きました。
范雎が須賈に言いました「車馬の準備ができました。某をあなたの御者にさせてください。」
須賈は喜んで車に乗りました。范雎が手綱を取ります。
街市の人々は丞相が車を御して通るのを見て、皆、道の左右で拱立しました。走り去って姿を隠す者もいます。
須賈は自分が尊重されていると思い、范雎のためだとは思いもよりませんでした。
相府の前に来ると、范雎が言いました「大夫はここで少しお待ちください。某が先に入って大夫のために伝えて来ます。丞相の許しがあれば謁見できます。」
范雎はまっすぐ府門に入っていきました。須賈は車を下りて門外に立ちます。
長い間待ってから、府中で鼓の音が鳴り、門上から大きな声で「丞相が堂に昇られる」と伝えられました。属吏や舍人が絶え間なく奔走していますが、范雎からの連絡はありません。
須賈が門を守る者に問いました「先ほど、私の故人(知人)の范叔が中に入って相君に言づてをしに行った。久しく出てこないが、子(汝)が私のために呼んできてくれないか?」
門を守る者が問いました「あなたが言う范叔という人は、いつ府に入ったのですか?」
須賈が言いました「さっきまで私のために車を御していた者がそうだ。」
門下の人が言いました「車を御していたのは丞相の張君です。彼はこっそり駅中の友人を訪ねるため、微服(庶民の服)で外出しました。どうして范叔と呼ぶのですか?」
須賈は夢の中で突然霹靂を聞いたように、心坎(心の中の深い場所)が突突(ドキドキ)と飛び跳ねました。
須賈が言いました「私は范雎に欺かれた。私の死期が来た。」
こういう言葉があります「醜い嫁も公婆(夫の父母)に会わなければならない(原文「醜媳婦少不得見公婆」。会いたくない相手でも会わなければならないという意味)。」須賈は袍を脱いで帯を解き、冠を外して門外で跪きました。門下の人に託して「魏国の罪人須賈が外で死を受け入れます」と伝えさせます。
長い間待ってから、やっと門内の者が招き入れました。
須賈はますます恐懼し、頭を垂れたまま膝で歩きます。耳門(正門の横にある小門)から入って階段の前まで進むと、何回も叩首して「死罪に値します(死罪)」と言いました。
范雎は威風凜凜と堂上に座っており、須賈に問いました「汝は罪を知っているか?」
須賈が地に伏せて答えました「罪を知っています。」
范雎が問いました「汝の罪はいくつある?」
須賈が答えました「賈(私)の髪を抜いて賈の罪を数えてもまだ足りないほどです。」
范雎が言いました「汝の罪は三つある。我が先人の邱墓(墳墓)は魏にあるから、私は斉に仕えるつもりがなかった。しかし汝は私が秘かに斉と通じていると考え、魏斉の前で妄言して怒りに触れさせた。これが一つ目の罪だ。魏斉が怒って笞辱を加え、歯が折れて脅(肋骨)が断たれたが、汝は全く諫止しなかった。これが二つ目の罪だ。私が昏憒して厠に棄てられてから、汝は賓客を連れて私に尿をかけさせた。昔、仲尼孔子は度を過ぎたことをしてはならないと教えたが(不為已甚)、汝はなぜあれほど残忍になれたのだ。これが三つ目の罪だ。今日、ここに来たからには、本来、頭を断って血をまき散らし、前恨に報いるはずだった。しかし汝が死なずに済むのは、私を想って綈袍を贈り、まだ故人(旧知)としての情があったからだ。よって今は汝の命を保ってやろう。汝は感謝せよ。」
須賈は叩頭して謝辞を述べ続けました。
范雎が手を振って去るように命じると、須賈は匍匐して出て行きます。
この時になって秦人は始めて張禄丞相が魏人の范雎で、名を偽って秦に来た事を知りました。
 
翌日、范雎が秦王に謁見して言いました「魏国が恐懼して和を乞う使者を送って来たので、兵を用いる必要はなくなりました。全て大王の威徳のおかげです。」
秦王は大喜びしました。
范雎が続けて言いました「臣には国君を欺いた罪があります。大王の憐恕がなければ詳しく話すわけにはいきません。」
秦王が言いました「卿は何を欺いたのだ?寡人は罪を問わない。」
范雎が言いました「臣が張禄と名乗ったのは偽りです。本当は魏人の范雎といいます。幼い頃から孤貧(貧困)で、魏の中大夫須賈の舍人になりました。後に、賈に従って斉に使いした時、斉王が個人的に臣に金を贈りました。臣は固辞して受け取らなかったのですが、須賈は相国魏斉の前で臣を誹謗し、臣を捶撃して死に至らしめました。幸いにも再び目を覚ますことができたので、張禄に改名して秦に逃奔し、大王のおかげで上位に抜擢されたのです。今回、須賈が使者として来ました。臣の本当の姓名が既に暴露されたので、元の姓名に戻したく思います。伏して我が王の憐恕を乞います。」
秦王が言いました「寡人は卿がそのような冤罪を受けていたとは知らなかった。既に須賈が来たのだから、斬首に処して卿の憤りを晴らさせよう。」
范雎が言いました「須賈は公事のために来ました。古から両国が兵を交えても使者は斬らないものでした。和を求める使者ならなおさらです。臣には私怨によって公義を傷つけるようなことはできません。そもそも、残忍な心で臣を殺そうとしたのは魏斉です。全て須賈のせいというわけではありません。」
秦王が言いました「卿は公を優先して私を後にしている。大忠というものだ。魏斉の仇は寡人が卿のために報いてやろう。来使(使者)は卿が自由に対処せよ。」
范雎は恩を謝して退出しました。
 
秦王が魏国との講和に同意したため、須賈が范雎を訪ねて謝意を述べました。范雎が言いました「故人(旧知)がここに来たのだから、一飯の敬もないわけにはいかない。」
范雎は舍人に命じて須賈を門内に留めさせ、大規模な筵席(宴席)を準備しました。
須賈は心中で天に感謝してこう言いました「ありがたいことだ(慚愧,慚愧)。測らずも丞相の寬洪大量を得られた。このようにもてなされるとは、礼を越えすぎている(忒過礼了)。」
范雎が堂から出て行きました。須賈は一人で門房(門内の部屋)の中に座っています。傍で軍牢(衛兵)が見守っているため身動きが取れません。
辰の時(午前七時から九時)から正午になり、しだいに腹が減って来ました。須賈はこう考えました「先日、私は館駅の中で、でき合せの飲食でもてなしただけだ。今回の答席(返礼の席)は故人(知人)の情によるものだ。なぜ礼を越える必要があるのか(なぜ時間をかけて過分なもてなしをするのだろう。原文「何必過礼」)。」
暫くして、堂上で宴席の準備が終わりました。府中から名簿が読み上げられ、各国の使臣や本府(丞相府)の有名な賓客が次々に招かれます。
須賈が心中で考えました「彼等は私と席を共にするために招かれたのだ。しかしどこの国のどのような人かわからない。もう少ししたら席に着くことになるが、よく斟酌(深く考えること)しよう。僭妄(立場を越えて自分がいる場所ではない場所にいること)するわけにはいかない。」
須賈が客達の様子を窺いながら考えている間に、各国の使人や賓客が続々と到着して堂の階段を登りました。管席者(宴席を管理する者)が伝板(吊るされた板等を敲いて報せること)して「客が集まりました!」と報告します。
范雎が堂に現れ、客達と挨拶の言葉を交わし始めました。范雎が客達に盞(杯)を勧めて席に着かせます。両側の廡(正堂の周りの小部屋。廊屋)で鼓が敲かれて音楽が始まりましたが、須賈だけは声がかかりません。
須賈は腹が飢えて喉も渇き、心は苦しみ、また憂患し、羞恥と苦悩を覚え、胸中の煩懣(憂鬱)は形容できないほどでした。
酒が三杯回ってから范雎が言いました「もう一人、故人がいるのを今まで忘れていた。」
客達が一斉に立ち上がって言いました「丞相の貴い相知(友人)がいるのなら、某等(我々)は礼を用いて待たせていただきます。」
范雎が言いました「彼は故人だが、諸公と同席させるわけにはいかない。」
范雎は堂下に一つの小さな席を設けて魏の客を呼びました。二人の黥徒(刺青をした囚人)が両側から須賈を挟んで座らせます。席上には酒食がなく、炒めた料豆(馬の飼料にする豆)だけが置かれていました。二人の黥徒が手で須賈をつかんで馬に餌を与えるように食べさせます。
客達が見ていられなくなって范雎に問いました「丞相はなぜあれほど深く憎んでいるのですか?」
范雎がかつて起きたことを一通り説明しました。
客達が言いました「そのような事があったのなら、丞相が怒っても当然です。」
須賈は辱めを受けましたが、抵抗することもできず料豆を食べて飢えをしのぎ、食べ終えてから叩頭して恩を謝しました。
范雎が目を見開いて須賈を譴責し、こう言いました「秦王は和に同意したが、魏斉の仇に報いないわけにはいかない。汝の蟻のような命は留めてやるから、帰って魏王に告げよ。速やかに魏斉の頭を斬って送って来い。我が家眷(家族)も秦邦に送り入れよ。そうすれば両国が通好できる。逆らったら私が自ら兵を率いて大梁に行き、魏の民を皆殺しにしてやろう。その時になって後悔しても手遅れだ。」
須賈は魂が抜けたように恐れおののき、「はい、はい(喏喏)」と言いながら出て行きました。
魏国は魏斉の頭を斬って献上するのか、続きは次回です。