第九十八回 秦王が魏斉を要求し、長平で白起が趙卒を坑す(四)

*今回は『東周列国志』第九十八回その四です。
 
范雎が送った門客は邯鄲で詳しく状況を探っていました。趙括が趙王に語った言葉や趙王が既に趙括を大将に任命したこと、吉日を選んで出征することを知ると、夜を通して咸陽に帰って報告します。
秦王は范雎と相談して「武安君でなければこの事を成功できない」と言い、白起を上将に任命しました。王齕は副将になります。軍中には白起の投入を秘密にするように命じ、「武安君が将になったことを漏らした者は斬る」と宣言しました。
 
趙括が長平関に到着しました。廉頗は符節を確認してから軍籍を趙括に譲り、親軍百余人を率いて邯鄲に帰ります。
趙括は廉頗の軍令を全て改めました。星のように連なっていた軍塁を全て合わせて大営にします。
軍中にいた馮亭が強く諫めましたが、趙括は聴き入れませんでした。
趙括は自分が連れて来た将士を旧将と交代させ、厳しく諭して言いました「秦兵が来たら勇を奮って先を争え。もし秦兵に勝ったらすぐに追逐せよ。秦軍の一騎も返らせてはならない。」
 
秦の軍営に入った白起は趙括が廉頗の軍令を変えたと聞き、まず士卒三千人を出撃させました。
趙括はすぐに一万人を出して迎撃させます。
秦軍は大敗して逃げ帰りました。
白起が営塁の壁に登って趙軍を眺め、王齕に言いました「どうすれば勝てるかわかった。」
 
一戦して勝った趙括は小躍りして喜び(手舞足蹈)、人を送って秦営に戦書を届けました。
白起は王齕に「明日、勝敗を決しよう(来日決戦)」と書かせて送り返しました。その後、軍を趙営から十里離れた場所にさがらせます。そこは以前、王齕が駐留していた場所です。
趙括が喜んで言いました「秦兵は我々を畏れている。」
趙括は牛を殺して士卒を労い、「明日の大戦で王齕を必ず生け捕りにせよ!諸侯の笑い話にしてやろう」と軍令を伝えました。
 
白起は営塁を構えてから諸将を集めて命令を発しました。将軍王賁と王陵が一万人を率いて陣を並べ、順番に趙括と戦います。但し、必ず敗走しなければなりません。趙兵を誘い出して秦壁を攻撃させれば一功とみなされます。
大将司馬錯と司馬梗の二人がそれぞれ兵一万五千を率い、間道から趙軍の後ろに出て糧道を断ちます。
大将胡傷が兵二万を率いて付近(左近)に駐軍し、趙人が営壁を開いて秦軍を追撃したら、出撃して趙軍を分断します。
大将蒙驁と王翦がそれぞれ軽騎五千を率いて待機し、白起と王齕が老営(本営)を堅守します。
正に「天地に網を設けて龍虎のような敵を待つ(安排地網天羅計,待捉龍争虎闘人)」という態勢です。
 
趙括も軍中に指示を出しました。四鼓(四更。午前一時から三時)に炊事を初めて五鼓(五更。午前三時から五時)に食事を終わらせ、平明(空が明るくなる頃)になったら陣を連ねて前進を始めます。
五里も進まない所で秦軍に遭遇しました。双方が陣を構えます。
趙括は先鋒傅豹を出陣させました。秦将王賁が応じましたが、三十余合で敗走します。傅豹が追撃を始めました。
趙括は傅豹を援けるために王容を出撃させました。すると今度は秦将王陵に遭遇します。王陵も数合戦っただけで退走しました。
趙括は趙軍が連勝するのを見て、自ら大軍を率いて後を追いました。
馮亭が諫めて言いました「秦人には詐術が多いので、敗走は信じられません。元帥は追撃してはなりません。」
趙括は無視して十余里走り、秦の営壁に至りました。王賁と王陵は秦営に入らず周りを走って逃げます。営壁は固く閉ざされたまま開きませんでした。
趙括は一斉に攻撃するように命じました。しかし数日経っても秦軍は堅守し続けます。
趙括が後軍に人を送って営内の兵を全て進めさせようとしました。すると趙将蘇射が馬を飛ばして報告に来ました「秦将胡傷が兵を率いて道を塞いでいるので、後営は前に進めません!」
趙括が激怒して言いました「そのように胡傷に礼がないのなら、わしが自ら相手をしてやろう!」
趙括はまず部下を送って秦軍の動きを偵察しました。部下が戻って言いました「西路は軍馬が絶えませんが、東路には人がいません。」
趙括は軍を指揮して東路から迂回することにしました。ところが、二三里も進まない所で大将蒙驁の一軍が斜めから襲いかかります。蒙驁が叫びました「趙括、汝は我が武安君の計に落ちた!まだ投降しないのか!」
趙括は怒って戟を揮い、蒙驁と戦おうとしました。すると偏将王容が進み出て言いました「元帥を煩わせることはありません。某(私)に功を建てさせてください。」
王容が蒙驁と交戦しました。
すぐに王翦の一軍が到着しました。趙兵に多数の負傷者が出たため、趙括は勝利を得るのが難しいと判断し、鉦を鳴らして撤退させました(鳴金收軍)
 
趙括が水草がある場所を選んで営塁を構えると、馮亭が諫めて言いました「軍の気とは鋭(鋭気)を使うものです。今回、我が兵は利を失いましたが、まだ力戦できます。敵を突破して本営に戻り、力を合わせて敵を防ぐべきです。もしここで営を構えたら、腹背を困窮させて脱出できなくなります。」
趙括はやはり諫言を聴きませんでした。軍士に命じて長塁を築かせ、壁を堅くして守りに入ります。同時に趙王に急使を送って援軍を求め、また後隊に人を送って速く食糧を運ぶように催促しました。
ところが食糧を運ぶ路も司馬錯と司馬梗に遮られています。
白起の大軍が趙軍の前を塞ぎ、胡傷や蒙驁等の大軍も後ろの道を断ちました。秦軍は每日、武安君の将令を伝えて趙括に投降を勧告しました。趙括はやっと白起が本当に軍中にいると知り、恐れて心胆を潰しました。
 
秦王は武安君の捷報を得て趙括の兵が長平で窮していると知りました。自ら車に乗って河内に至り、民家の壮丁で十五歳以上の者を総動員して従軍させます。秦軍は路を分けて趙人の糧草を奪い、援軍の道を塞ぎました。
趙括が秦軍に包囲されて四十六日が経ちました。軍中の食糧が完全になくなります。
趙括は軍将を四隊に分けました。傅豹が一隊を率いて東に、蘇射が一隊を率いて西に、馮亭が一隊を率いて南に、王容が一隊を率いて北に向かいます。四隊に指示を与え、一斉に戦鼓を敲いて出撃させました。もし一路でも突破口が開けたら、趙括が三路の兵を率いて脱出するという計画です。
ところが武安君白起はあらかじめ射撃が特異な者を選んでおり、趙塁の周りに埋伏させていました。趙塁から出て来る者がいたら将兵に関わらず矢を射させます。
四隊の軍馬は三四回出撃しましたが、いずれも矢を浴びて逃げ戻りました。
 
こうしてまた一月が経ちました。趙括は憤りを抑えることができず、上等の鋭卒五千人を選び、重鎧を着せて駿馬に座らせました。趙括が戟を握って先を進み、傅豹と王容がすぐ後に続いて包囲網に突撃します。
しかし王翦と蒙驁の二将が一斉に迎撃したため、趙括は数合大戦しても包囲を突破できませんでした。
趙括は長塁に帰ろうとしましたが、馬が躓いて地に落とされ、矢が中って死んでしまいました。趙軍が大混乱に陥り、傅豹と王容も戦死します。
蘇射が馮亭を連れて一緒に奔ろうとしましたが、馮亭は「私が三回諫言したのに三回とも従わず、こうなってしまった。これは天(天命)だ。どうして逃げる必要があるのだ」と言って自刎しました。
蘇射はなんとか脱出して胡地に向かいました。
 
白起が招降旗を建てました。趙軍は武器を捨て、甲冑を解き、投拝(投降)して「万歳!」と叫びます。
白起は部下に命じて趙括の首を掲げさせ、趙の営塁(本営。後軍)に派遣して投降を勧めました。営内にはまだ軍士二十余万がいましたが、主帥が殺されたと聞き、敢えて抵抗しようとする者はなく、皆投降を願いました。
甲冑や器械(武器、物資)が山のように積まれ、営内の輜重も全て秦軍に奪われました。
白起が王齕と相談して言いました「以前、秦が野王を攻略し、上党を掌中に握ったのに、吏民は秦に仕えることを喜ばず、趙に帰順することを願った。今、趙卒で前後して投降した者は四十万に近い衆になる。もし一旦変が起きたら防ぎようがない。」
白起は降卒を十営に分けて十将に統率させ、秦軍二十万を配置しました。それぞれに牛酒を与えてこう宣言します「明日、武安君が趙軍を汰選(選別)し、上等の精鋭で戦う能力がある者は、今後の出征で用いるために、器械を与えて秦国に連れて帰る。老弱で戦えない者や力怯(虚弱)な者は、全て釈放して趙に返らせる。」
趙軍は大喜びしました。
その夜、武安君が十将に対して秘かに軍令を出しました「起更(一更。夜七時から九時)になったら、全ての秦兵は一枚の白布で首を覆え。首に白布がない者は趙人とみなし、悉く殺し尽せ。」
軍令を聞いた秦兵は一斉に行動を起こしました。降卒には何の備えもなく、武器も持っていないため、手を束ねて殺戮されていきます。営門から逃げた者も蒙驁や王翦等が率いる巡邏の軍に斬り殺されました。四十万の軍が一夜にして全滅し、血が音を立てて流れ、楊谷の水が丹(赤)に染まりました。そのため今(明清時代)でも丹水とよばれています。
武安君は趙卒の頭顱(頭)を秦塁の中に集めました。これを頭顱山といいます。更にその上に高大で雄峻な台を築きました。これを白起台といいます。台の下が楊谷になります。
後に大唐の玄宗皇帝がこの地を巡幸して淒然と長嘆し、三藏高僧に命じて七昼夜の水陸道場(水陸法会。仏教の儀式)を行わせました。坑卒(埋められた将兵の亡魂を超度(成仏)させるためです。そこからこの谷は省冤谷とよばれるようになりました。
 
長平の戦いは前後して四十五万人が斬首されました。白起が来る前に王齕に降った趙卒も全て誅戮されました。但し年が若い者二百四十人だけは殺されず、秦国の武威を宣揚するために邯鄲に返されました。
趙国の存亡はどうなるのか、続きは次回です。

第九十九回 武安君が杜郵で死に、呂不韋が異人を帰らす(一)