東漢時代 孫策の書

袁術が僭号したため、献帝建安元年196年)孫策が書を送って譴責し、関係を絶ちました。

以下、『三国志呉書一孫破虜討逆伝』裴松之注から孫策の書を紹介します(『資治通鑑』の内容とはだいぶ異なります。また、実際には関係を絶つというほど厳しい内容ではありません)
「そもそも上天が司過の星(人々の過失を監視する星)を垂らし、聖王が敢諫の鼓(諫言をする者が敲く太鼓)を建て、非謬の備(過ちを避けるための備え)を設け、箴闕の言(過失を戒める言葉)を急とするのは(急いで求めるのは)何故でしょうか。およそ長所があるところには、必ず短所もあるからです。去冬(昨年の冬)、大計袁術が帝位に即くという計画)があると伝えられ、悚懼(恐れおののくこと)しない者はいませんでしたが、間もなくして朝廷に貢物を献上した(供備貢献)と知り、万夫が惑(疑惑)を解きました。しかし最近袁術が帝位に即くという)建議を聞き(頃聞建議)、また前図を追遵しよう(さかのぼって以前の意図に則ろう)と欲しており、事に即く時期は既に月まで定まっているとのことでした(何月に即位するかも決定しているとのことでした。原文「即事之期便有定月」)。ますます(我々を)憮然(失望驚愕の様子)とさせていますが、想うにこれは(妄言。根拠のない噂)が流れているのでしょう。もし必ずこのようであるのなら、民は何を望むのでしょうか(もしそれが本当だったら、民を失望させることになります。原文「設其必爾,民何望乎」)
曩日(過日)、義兵を挙げた時、天下の士が響応したのは(迅速に呼応したのは)董卓(皇帝の)廃立を勝手に行い(擅廃置)太后と弘農王を害し、宮人(宮女)を略烝(奪って姦淫すること)し、園陵を発掘し、暴逆がここに至ったので、諸州郡の雄豪が声袁術の呼びかけ)を聞いて義を慕ったのです。こうして神武が外で振るわれると、董卓は遂に内で殲(滅亡)しました。元悪が既に斃れてから(倒れてから)、幼主献帝が東顧し(東の雒陽に還り)、保傅(皇帝を教導輔佐する官員)命を宣布させ、諸軍に振旅(兵を整えて帰還すること)させようと欲しました董卓の乱が解決したので、帝は雒陽に還り、諸軍を解散させようとしました)。しかし河北袁紹が黒山と通謀し、曹操が東徐で放毒し(東方の徐州を侵略して民を害し)劉表が南荊で称乱し(南方の荊州で兵を挙げて乱を為し)、公孫瓉が幽で炰烋し(北の幽州で横暴に振る舞い。「炰烋」の元の意味は獣の咆哮です)劉繇が江滸で決力し(江辺で力を尽くし)劉備が淮隅で争盟し(淮水の下流で盟主の地位を争い)、これらの事があったので、(陛下の)命を承り、弓をしまって戈を止めることがまだできませんでした(是以未獲承命櫜弓戢戈也)。今、劉備劉繇は既に破れ、曹操等は饑餒(食糧が欠乏すること)しています。(今こそ)天下と合謀して醜類を誅すべきだと考えます。(逆に)それを捨てて図ろうとせず、自取の志(自ら帝位を奪う野心)を持つのは、海内が望むことではありません。これが一です(諫言する第一の理由です)
昔、(商の)成湯が(夏の)桀を伐った時は『夏に多くの罪がある(有夏多罪)』と称し、(周の)武王が(商の)紂を伐った時は『殷に重罰(重罪)がある(殷有重罰)』と言いました。この二王は確かに聖徳があって世の君となるべきでしたが(宜当君世)、もしその時に遭わなかったら、興る理由もありませんでした(如使不遭其時亦無由興矣)。幼主は天下において悪があるわけではなく、ただ春秋がまだ少ない(年が幼い)というだけで、彊臣(強臣)に脅かされています。もし過ちがないのにそれ(帝位)を奪ったら、湯(商成湯と周武王)の事と合致しないのではないかと懼れます。これが二です(諫言する第二の理由です)
董卓は狂狡(道理に背いて狡猾なこと)でしたが、主を廃して自ら興るということは、まだありませんでした(原文「至廃主自興亦猶未也」。『三国志』は「廃主自與」としていますが、ここは『資治通鑑』の「廃主自興」に従いました)。しかし天下はその桀虐(暴虐)を聞き、腕を振るって心を同じくし(攘臂同心)これを疾しました(憎みました)。中土の希戦の兵(中原の戦の経験が少ない兵)をもってして辺地の勁悍の虜(辺境の勇猛精悍な賊)に当たり、短い時間で董卓を)游魂させることになったのです(所以斯須游魂也)。今は四方の人が敵を軽視して戦闘に習熟しています(原文「玩敵而便戦闘矣」。「便」は「慣れる」「習熟する」の意味です)。勝利を得られる者は、相手が混乱していて自分が治まっているか、相手が道理に逆らっていて自分が道理に順じているという状況をもってするのです(このような状況でなければ勝利を得られません。原文「可得而勝者,以彼乱而我治,彼逆而我順也」)当世の紛若(混乱)を見るに、大挙することで臨もうと欲しても(強大な兵力に頼って四方の敵に臨もうとしても)、足を禍に向かわせるのと同じです(欲大挙以臨之,適足趣禍)。これが三です(諫言する第三の理由です)
天下の神器は虚ろに求めることはできず(天下を治める権力は妄りに求めることができず。原文「天下神器不可虚干」)、必ず天賛(天の助け)と人力(人々の協力)を待たなければなりません。殷湯には白鳩の祥があり、周武には赤烏の瑞があり、漢高には星聚の符があり、世祖には神光の徵があり(商の成湯には白鳩の吉祥があり、西周武王には赤烏の瑞祥があり、漢高祖には星が集まるという符瑞があり、世祖光武帝には神秘な光が現れるという吉徵がありました)、それぞれにおいて民が桀紂の政に困瘁(困憊困窮)し、秦(王莽)の役に毒苦(怨恨)していたので、無道を刈り除き、その志を達成できたのです(能芟去無道致成其志)。今は天下が幼主のために患いているのではなく、受命の応験(新しい帝王が天命を受ける兆)もまだ現れていません。それなのに一旦にして突然尊号に登ろうと欲するのは、今までなかったことです。これが四です(諫言する第四の理由です)
天子の貴、四海の富を誰が欲しないでしょう。しかしそれは義において許されず、勢(形勢情勢)において得られないのです陳勝、項籍、王莽、公孫述の徒は、皆南面して孤(君王の自称)を称しましたが、成功できた者はいません(莫之能済)。帝王の位は妄りに望んではならないのです(不可横冀)。これが五です(諫言する第五の理由です)
幼主は岐嶷(幼年ながら聡明なこと)としているので、もしその偪献帝を逼迫している者)を除き、その鯁(禍害。障害)を去らせれば、必ず中興の業を成せます。主を輔佐して周成の盛西周成王の盛世)をもたらし(致主於周成之盛)、自らは旦奭の美(周公と召公の名声)を受けること、これが誠に尊明(あなた)に対して望むことです。もしも幼主に他の改異があるとしても(幼主が他の者に位を譲る必要があるとしても)、宗室の譜属を推し(宗室の系図を調べ)、近親の賢良を論じ、そうすることで劉統(劉氏の家系)を継承させ、漢宗(漢の皇室)を固めることを望みます。これらの事は全て功績が金石に書かれ、容貌が丹青(顔料)によって描かれ、慶賀が無窮に伝えられ、名声が管弦(音楽。讃歌)によって残されることです(皆所以書功金石,図形丹青,流慶無窮,垂声管弦)。これを捨てて為そうとせず、難(困難な事)を為すのは、(あなたの)明明の素明智な本質)を想うと、忍べない(できない)に違いありません(必所不忍)。これが六です(諫言する第六の理由です)
(あなたは)五世にわたって相になり、権の重、勢の盛において(重い権威と盛んな勢力形勢において)、天下で比べられる者がいません。忠貞の者は必ずこう言います『朝から夜まで思考するべきだ(宜夙夜思惟)。国家の躓頓(つまずき。転倒)を扶け(助け)社稷の危殆(危機)を念じ、そうすることで祖考(父祖)の志を奉じ、漢室の恩に報いるのである(宜夙夜思惟,所以扶国家之躓頓,念社稷之危殆,以奉祖考之志,以報漢室之恩)。』(逆に)履道の節(正道を踏み歩くという節)を忽か(おそろか)にして進取の欲(奪い取ろうとする欲求)を強くする者はこう言います『天下の人は家吏(自分の属官)でなければ門生(門下の学生)である。誰が私に従わないだろう。四方の敵は吾匹(自分の同輩)でなければ吾役(自分の部下)である。誰が私に違えるだろう。なぜ累世の勢に乗じ、起ちあがってこれを取らないのだ。』この二者は数(天数。命運)が異なるので、詳しく考察しないわけにはいきません(二者殊数不可不詳察)。これが七です(諫言する第七の理由です)
聖哲が貴いとされるのは、彼等が機宜(時宜。その時に必要なこと)を詳しく考慮し、言動を慎重にするからです(審於機宜,慎於挙措)。難図の事(実現が困難な計画)、難保の勢(保つのが困難な形勢)によって群敵の気を刺激し、衆人の心(思慮。恐らく猜疑や批難の気持ちです)を生むのは、公義において元より許されることではなく、私計においても利がないので、明哲は(そのような状況に)身を置きません(明哲不処)。これが八です(諫言する第八の理由です)
世人は多くが図緯(預言書)に惑わされて非類を牽き(「経典以外の文書を引用し」。または「関係ないことまでこじつけて」。原文「世人多惑於図緯而牽非類」。『資治通鑑』では「時人多惑図緯之言,妄牽非類之文」としています)、文字を比べて(都合よく)組み合わせることで自分が仕えている者(自分の主)を悦ばせています(比合文字以悦所事)。とりあえず上におもねって衆人を惑わし、最後に後悔することになった者は、昔から今まで無くなったことがありません。これは深く選択して熟思(熟慮)しないわけにはいきません。これが九です(諫言する第九の理由です)
この九者は、尊明(あなた)が見てきたことの余りに過ぎませんが(わざわざあなたに語るほどのことでもありませんが。原文「尊明所見之餘耳」)、起予(自分や他者を啓発すること)を備えて遺忘を補うことを望みました(あらかじめ過ちに気づかせて、失念していることが補われるように期待しました。原文「庶備起予補所遺忘」)。忠言は耳に逆らうものですが、神聴(英明な聴察)を留められれば幸いです(忠言逆耳,幸留神聴)。」