東漢時代 魏公曹操(2)

献帝の策命を紹介しています。

東漢時代 魏公曹操(1)

前回の続きです。

「朕が聞くに、先王は明徳を並建し(明徳がある者を並べて封建し)、土地を授けて民を分け与え(胙之以土,分之以民)、その寵章を崇めて礼物を備えた(高貴な爵位を示す礼服の格調を髙めて身分に相応しい典礼文物をそろえた。原文「崇其寵章,備其礼物」)。王室を藩衛(壁になって守ること)してその世を左右(輔佐)させるためである。周成西周成王)の時は、管・蔡(管叔・蔡叔)が静かではなかったので(乱を起こしたので)、難を懲らしめて功を念じるために、邵康公(召公・奭)を送って斉太公呂尚に履(履物)を下賜し、東は海に至り、西は河に至り、南は穆陵に至り、北は無棣に至るまで、五侯九伯に対して(斉が)実に征討できるようにし(斉が四方を征討する実権を与え。原文「実得征之」)、代々太師の地位を享受させ、東海を与えて功績を明らかにさせた(世祚太師以表東海)。その後、襄王に及ぶと、楚人も王職を供えなかったので朝貢しなくなったので)、また晋文(晋文公)に命じて侯伯(諸侯の長。覇者)に登らせ、二輅(二輌の車)、虎賁(勇士)、鈇鉞(斧鉞)、秬鬯(祭祀用の美酒)、弓矢を下賜し、大いに南陽を開き南陽の領土を拡大し)、代々盟主にさせた(世作盟主)。よって周室の不壊は(周室が滅びなかったのは)、二国のおかげである(繄二国是賴)
今、君は英明盛大な徳を称え(称丕顕徳)、明らかに朕の躬(身)を保ち、天命に奉答し(天命に応え)、大功を導き拡大させ(導揚弘烈)、九域を平穏にし(緩爰九域)(そのおかげで朝廷に)従わない者がいなくなった(莫不率俾)。功は伊・周(伊尹・周公)より高いのに、賞は斉・晋より卑い(低い)ので、朕は甚だ慚愧している(朕甚恧焉)。朕は眇眇の身(微少な身)によって兆民の上に託され、長くその艱難を思って淵に張った氷の上を渡るようであり(永思厥艱,若渉淵冰)、君の助けがなかったら朕は務まらなかっただろう(非君攸済朕無任焉)。今、冀州の河東・河内・魏郡・趙国・中山・常山・鉅鹿・安平・甘陵・平原、合わせて十郡をもって、君を魏公に封じる。君に白茅で包んだ玄土を下賜するので(「玄土」は黒土で、黒は北方の色です。白茅に土を包んで授けるのは、封侯して領地を授けることを意味します。原文「錫君玄土苴以白茅」)、汝の亀を刻み、それを用いて冢社(祭祀の場所)を建てよ(魏国の亀で卜を行い、社を建てよ。原文「爰契爾亀用建冢社」)。昔、周室では畢公と毛公が(朝廷に)入って卿佐(補佐の大臣)になり、周・邵(周公と召公)の師保(天子を輔佐・教導する官)が出て二伯(伯は諸侯の長です)になったが、外内の任は君が誠に相応しい(君実宜之)。よって丞相として今まで通り冀州牧を領させる(領冀州牧如故)
また、君に九錫を加える。謹んで朕の命を聴け(其敬聴朕命)
君が礼律を経緯(整理)し、民の軌儀(規範)になっているので、(民を)職業に安んじさせ、(人々が)意志を変えることがなくなった(動揺する者、二心を抱く者がいなくなった。原文「無或遷志」)。よって君に大輅・戎輅各一輌と玄牡(黒馬)二駟(八頭)を下賜する(錫君大輅戎輅各一,玄牡二駟)。君が分を勧めて本に務めたので(原文「勧分務本」。「分」は「財産がある者が貧しい者に分けること」です。「勧分」は「豊かな者と貧しい者が助けあうことを奨励する」という意味です。「務本」は「本業に務める」「農業を奨励する」という意味です)、穡人(農民)が昏作(勤勉に働くこと)し、粟帛が滞積して大業が興隆した(大業惟興)。よって君に袞冕の服(天子の冠と礼服)を下賜し、赤舄(赤い靴)を副える(是用錫君袞冕之服,赤舄副焉)。君が謙譲を厚く尊んだので、民にそれを興行させ(「興行」は「盛んに行うこと」、または「感化して実行すること」です)、少長(長幼)に礼があり、上下が皆、和すようになった。よって君に軒縣の楽(諸侯の部屋に置く楽器)と六佾の舞(三十六人による舞踊)を下賜する(錫君軒縣之楽,六佾之舞)。君が教化を輔佐宣揚して四方に発したので(翼宣風化爰発四方)、遠人が革面(顔色や態度を変えること)し、華夏(中華)が充実した。よって君に朱戸(赤い戸)を下賜して住ませる(錫君朱戸以居)。君はその明哲を研ぎ(とぎ)、帝が難とすることを思い(思帝所難)、才能がある者を官に就けて賢人を任用し(官才任賢)、群善を必ず挙げた。よって君に納陛(貴人専用の階段)を下賜して(殿上に)登らせる(錫君納陛以登)。君は国の鈞(政治)を主持し(秉国之鈞)、色を正して中におり(厳粛かつ中庸・公平で。原文「正色処中」)、纖豪(纖毫。些細なこと)の悪も抑え退けないことがない(靡不抑退)。よって君に虎賁の士三百人を下賜する(錫君虎賁之士三百人)。君は天刑(天の法)を謹んで敬い(糾虔天刑)、罪がある者を明らかにして(章厥有罪)、国の法規を犯した者を誅殛(誅滅)しないことがなかった(犯関干紀莫不誅殛)。よって君に鈇鉞(斧鉞)をそれぞれ一つ下賜する(用錫君鈇鉞各一)。君は龍のように飛躍して虎のように望み、八方を見渡して節に反す者を討伐し、四海を打ち破った龍驤虎視旁眺八維,掩討逆節折衝四海)。よって君に彤弓一・彤矢百、弓十・矢千(彤は赤、は黒です)を下賜する(錫君彤弓一彤矢百,弓十矢千)。君は温恭(温和恭敬)をもって基(基礎)とし、孝友をもって徳とし、明允篤誠(英明誠実で忠誠心が厚いこと)なので、朕の心を動かした(感于朕思)。よって君に秬鬯一卣(卣は酒器です)を下賜し、珪瓉(玉柄の酒器)を副える(是用錫君秬鬯一卣,珪瓉副焉)
魏国は丞相以下群卿百寮(百官)を置き、皆、漢初の諸侯王の制と同等にする。恭敬であれ(往欽哉)。謹んで朕の命に服せ(敬服朕命)。汝の衆をいたわり(簡恤爾衆)、常に諸功を明らかにし(時亮庶功)、そうすることで汝の顕著な徳を全うさせ、我が高祖の美命に応えてそれを宣揚せよ(用終爾顕徳,対揚我高祖之休命)。」
 
武帝紀』裴松之注によると、この文章は尚書左丞・潘勗によって書かれました。
潘勗は字を元茂といい、陳留中牟の人です。
 
献帝の策書に答えて曹操が令を発しました。次回に続きます。