2016-05-14から1日間の記事一覧

第四十回 先軫が子玉を激し、晋楚が城濮で戦う(後編)

*今回は『東周列国志』第四十回後編です。 晋文公が諸将を集めて計を問いました。 先軫が言いました「元々楚を誘い出して戦威を挫くことが目的でした。しかも楚は斉を攻め、宋を包囲してから今に至っているので、その師は疲労しています。楚と戦うべきです…

第四十回 先軫が子玉を激し、晋楚が城濮で戦う(中編)

*今回は『東周列国志』第四十回中編です。 華秀老が斉に入って昭公に言いました「晋と楚が憎しみあっており、この難は上国(貴国)でなければ解決できません。もし上国によって社稷を保つことができるのなら、先朝の重器を惜しまないだけでなく、毎年、聘好…

第四十回 先軫が子玉を激し、晋楚が城濮で戦う(前編)

第四十回 先軫が詭謀で子玉を激し、晋楚が城濮で大いに兵を交わらせる (先軫詭謀激子玉 晋楚城濮大交兵) *今回は『東周列国志』第四十回前編です。 趙衰は晋侯の密旨を奉じて車で魏犨に会いに行きました。 この時、魏犨は胸に重傷を負い、床に寝ていまし…

戦国時代45 東周顕王(十三) 商鞅の失脚 前338~337年

今回は東周顕王三十一年と三十二年です。 顕王三十一年 前338年 癸未 [一] 『史記・秦本紀』によると、秦が晋(魏)と雁門(『史記・索隠』は「岸門」の誤りとしています。『六国年表』では「岸門」です)で戦いました。魏の将・魏錯を捕虜にします。 『六国…