2016-08-11から1日間の記事一覧

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(四)

*今回は『東周列国志』第八十九回その四です。 秦孝公が衛鞅の功を嘉して列侯に封じました。以前、魏から奪った商於等の十五邑を衛鞅の食邑として与えます。衛鞅は商君と号しました。後世、商鞅と呼ばれるのはこのためです。 商鞅は恩を謝して屋敷に帰り、…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(三)

*今回は『東周列国志』第八十九回その三です。 話は秦に移ります。 秦の相国・衛鞅は龐涓が死んだと聞いて孝公にこう言いました「秦と魏は比鄰の国(隣り合わせの国。隣国)で、秦に魏があるのは人に腹心の疾(病)があるのと同じです。魏が秦を併呑しなけ…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(二)

*今回は『東周列国志』第八十九回その二です。 龐涓は道中で探りを入れており、斉兵が遠くない場所にいると聞いていました。すぐに追いついて勝敗を決したいと思っているため、将兵に対して前に進むことだけを督促します。 馬陵道に至った時、日が西山に落…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(一)

第八十九回 馬陵道で万弩が龐涓を射ち、咸陽市で五牛が商鞅を分屍する (馬陵道万弩射龐涓 咸陽市五牛分商鞅) *今回は『東周列国志』第八十九回その一です。 魏の龐涓と太子・申が韓を攻めるために兵を起こし、外黄を通った時、布衣(庶民)の徐生が太子に…