春秋時代 管仲の政治(三)
今回も管仲の政治に関する記述です。
『国語・斉語』から。
国内の政治が正され、軍も強化されました。
管仲が答えました「まだいけません。隣国が我が国と親しくなっていません。天下の諸侯を従えるには、隣国と親しくする必要があります。」
桓公がその方法を問うと、管仲が言いました「国境を定め、隣国から奪った土地を返し、国境を越えて利を得ることなく、隣国への皮幣(贈物)を盛んにし、頻繁に使者を送って諸侯を訪ね、四方の隣国を安心させれば、隣国が我が国と親しくなります。遊士(遊説の士)八十人を準備し、車馬や衣服を与え、大量な財貨を持たせて四方を周遊させて天下の賢士を招いてください。また、民を使って皮毛や幣帛、嗜好品を四方に売らせ、各国朝廷の上下の好みや追及を確認し、奢侈頽廃した国を優先して討伐すれば、覇を称えることができます。」
管仲が答えました「罪を侵した者の刑を軽くし、武器によって贖罪させましょう。重罪(死刑)は犀甲(犀の皮で作った甲冑)と一戟、軽罪(五刑うち死刑以外の罪)は鞼盾(装飾された革の盾)と一戟、小罪(五刑に属さない罪)は金銭で贖罪させます。訴訟を行う者は三日間拘束し、訴状を熟考させ、内容が確定したら審理を行います。一束(十二本)の矢を用意し、矢を射るところに双方を招きます。自分の発言に自信があり真実を語っている者は矢を恐れず、嘘を語っている者は矢を恐れるはずなので、矢を射た時の態度で裁決ができます。優良な金属は剣戟に用い、狗(犬)や馬で鋭利かどうかを試します。質の悪い金属は農具に用い、土を耕して使えるかどうかを試します。」
やがて斉国の武器は充足されました。
『管子・中匡(第十九)』から。
管仲が言いました「まず国内を愛すことができてから、国外で不善な者を憎むことができます。まず卿大夫の家を安定させることができてから、敵国を討つことができます。小国に地を与えてから、道を守らない大国を誅滅することができます。賢良を推挙してから、法を犯す卑劣な民を取り締まることができます。だから先王は置いてから廃し(制度を設けて環境を整えてから不要なものを廃した)、利があってから害した(利益を得たり与えてから不要なものを除いた)のです。」
『管子・小匡(第二十)』から。
管仲が桓公に仕えたばかりの時、次々に進言した内容が桓公を喜ばせました。そこで桓公は十日間斎戒し、管仲を相に任命することにしました。しかし管仲はこう言いました「私は罪を犯した者です。今こうして生きているだけで主公から幸をいただいています。国政は臣の任ではありません。」
管仲は任命を受け入れ、再拝して相となりました。
三日後、桓公が言いました「寡人には大きな欠点が三つある。まず狩猟が好きで、日が暮れても外出し、田野に獣が現れなくなってからやっと帰ることもある。そのため、諸侯の使者に会えず、百官の報告を聞くこともできない。」
管仲が言いました「確かに悪いことは悪いことですが、すぐに改める必要がある欠点ではありません。」
桓公が言いました「次に、寡人は酒を愛し、昼も夜も飲み続け、諸侯の使者に会えず、百官の報告も聞けないことがある。」
管仲が言いました「それも確かに悪いことですが、大きな問題ではありません。」
管仲が言いました「それも悪いことですが、重要ではありません。」
桓公が顔色を変えて言いました「この三つを重要ではないというのなら、もっと悪いことがあるのか?」
桓公が言いました「わかった。今日は先に帰れ。後日、また話をしよう。」
管仲が言いました「今でも語ることができます。なぜ後日にするのですか。」
桓公が管仲に意見を求めると、管仲が言いました「公子・挙は博聞で礼を知り、好学で謙虚です。彼を魯に遊説させて関係を結びましょう。公子・開方は柔軟で聡明です。衛に遊説させて関係を結びましょう。曹孫宿は廉潔で賢く、恭敬で辞令に長けているので荊(楚)の風格に合っています。彼を荊に遊説させて関係を結びましょう。」
『新序 雑事(第五)』から。
衛国の寧戚が桓公に会おうとしましたが、貧困なため仕官の道がありません。そこで商人となり貨物を車に載せて斉に入りました。斉に到着した日は既に日が暮れていたため郭門(城門)の外で露営します。
翌日は天下をどう治めるかを説きます。
桓公は大喜びし、任用しようとしました。群臣が争って言いました「あの客は衛人です。衛は斉から五百里しか離れていません。まずは人を送って賢人かどうかを調査し、それがはっきりしてから用いても遅くはありません。」
桓公が言いました「その必要はない。調査をすれば必ず小さな欠点が見つかるだろう。そのような欠点のために大きな長所を棄てていたら、人主が天下の士を失う原因となる。そもそも完全な人などいない。優秀な部分を用いればよい。」
『管子・小匡』から。
管仲が相に任命されて三カ月後、百官について評価しました「礼節をわきまえ、言葉に剛柔がある点では、臣は隰朋に及びません。大行(儀礼・外交の官)に任命してください。土地を開いて邑とし、食糧を蓄えて人を増やし、地の利を尽くすという点では、臣は寧戚に及びません。大司田(または「大田」。農業や開墾を掌る官)に任命してください。平原で戦車を使って乱れず、士は恐れて逃げることなく、戦鼓を敲けば三軍の将兵が死を帰還とみなして進軍する、この点では臣は王子城父に及びません。大司馬(軍事を掌る官)に任命してください。訴訟を適切に解決し、無辜を殺すことなく、無罪の者を罰することもないという点では、臣は賓胥無に及びません。彼を大司理(法律を掌る官)に任命してください。主君の顔色をうかがうことなく忠を守って諫言を進め、死を避けることなく、富貴にこだわることもない点では、臣は東郭牙に及びません。彼を大諫の官に任命してください。私はこの五子に及びませんが、私と換えることもできません。主君が治国強兵を望むだけならこの五子で充分です。しかし霸王を望むのなら、私がここにいる必要があります。」
桓公は賛同しました。
『管子・軽重戊(第八十四)』から。
管仲が桓公に言いました「天子(周王)は幼弱で、諸侯はますます強盛になっており、天子に進貢をしなくなりました。公は強国の勢力を弱めさせ、滅ぼされた小国を恢復させ、諸侯を率いて周室の祭祀を復興させるべきです。」
桓公は同意しました。
『管子・大匡』から。
管仲が国内で功績がある者や諸侯に褒賞を与えることを進言し、桓公は同意しました。管仲が国内を賞し、桓公が諸侯を賞します。諸侯で善行がある国君には重幣(高価な財物)を与え、列士以下で善行がある者には衣裳を与えて祝賀しました。また、諸侯の臣で主君を諫言した者には璽を贈って慰労し、その発言を表彰しました。
『管子・軽重丁(第八十三)』から。
桓公の時代、龍が馬瀆の南、牛山の北で争ったといいます。
天下の諸侯がそれを聞いて言いました「斉公は神か。天使の使者が郊外に訪れた。」
斉国が兵を動かすことなく八国の諸侯が斉に来朝しました。
これは天威に乗じて天下を操る方法です。智者とは鬼神を利用し、愚者はそれを信じるものです。
『淮南子・主術訓(下)』から。
民の危害となることを除き、民の利益と成ることを行えば、君主の威信を行きわたらせることができます(中略)。
*民が動物を捕獲することを禁止したとは思えないので、官員に対して発せられた禁令か、民が捕獲する時の方法に規制を作ったという意味だと思います。