第二回 褒人が美女を献じ、幽王が烽火で戯れる(後編)

*『東周列国志』第二回後篇です。
 
ある日、年長の宮人が申后の哀しみを知り、跪いて言いました「娘娘が殿下を想うのなら、なぜ一通の書を書いて秘かに申国に送り、殿下に謝罪の上表をさせないのですか。もし万歳(国王)の心を動かし、東宮(太子)を呼び戻して母子が一緒になれるなら、素晴らしいことではありませんか。」
申后が言いました「その通りです。しかし恨めしいことに、書信を送る者がいません。」
宮人が言いました「妾(私)の母・温媼(媼は老女の意味)は医術に精通しています。娘娘が病と偽って温媼を後宮に招き、脈を看させれば、その書信を持ち出すことができます。その後、妾の兄が送り届ければ、万に一つも失敗はありません。」
申后は宮人の勧めに従って一通の書信を書きました。その大略はこうです「天子は無道で妖婢を寵信し、我々母子を別れさせました。今、妖婢は子を産み、その寵はますます固くなっています。汝は自分の罪を認めるふりをして、こう上表しなさい『悔悟自新しましたので、父王の寬赦を願います。』もしも天が汝を朝廷に還らせ、母子が再び会うことができたら、その後のことを考えましょう(別作計較)。」
書き終えた申后は病と称して床に伏し、温媼を召して脈を看させました。
ところが早くも温媼の入宮を褒妃に報告する者がいました。褒妃が言いました「これは太子に消息を伝えるためにやっているのです。温媼が後宮を出るのを待って、その身を検査すれば、企みが分かるはずです。」
 
媼が正宮(申后の宮)に入ると、宮人媼の娘)が詳しく説明しました。申后は病と偽って媼に脈をとらせてから、枕の下に隠していた書信を取り出して言いました「夜も駆けて申国に届けてください。遅くなってはなりません。」
二匹の綵繒(彩色の絹)媼に与えられます。
媼は書信を懐にしまい、手に綵繒を持つと、嬉しそうに後宮を出ました。
しかしすぐに守門の宮監(宦官)に遮られ、「この繒はどこで手に入れた?」と聞かれました。温媼は「老妾(私)は王后の脈を看てきました。これは王后から賜ったのです」と答えました。
(宮監)が更に問いました「他に隠している物はないか?」
媼は「ありません」と答えます。
宮監が媼を放そうとすると、別の宮監が言いました「搜検(体を調べること)しなければ、本当にないか分からないだろう。」
宮監が温媼の手を牽いて連れ戻そうとすると、温媼は慌てて左右に逃げようとしました。
宮監は疑ってますます厳しく検査します。他の者達も集まって来ました。衣服の襟が引き破られ、ついに書信の角が現れます。申后の書を見つけた宮監は媼を連れて瓊台に行きました。褒妃は封を破って中を読み、心中激怒しました。情報を漏らさないため、温媼を鎖で空房に繋ぎ、二匹の綵繒を自分の手で裂いて粉々にします。
幽王が後宮に入ると、案(机)の上に破れた綵繒が散乱していたため理由を聞きました。褒姒は目に涙を溜めてこう言いました「妾(私)は不幸にも深宮に入り、誤って寵愛を受けてしまったので、正宮の嫉妬を招きました。また、不幸にも子を産んだので、嫉妬はますます深くなりました。今、正宮は太子に書信を書き、末尾で『別作計較』と言っています。これは妾の母子の性命を奪おうとしているのでしょう。王の力で解決できることを願います。」
言い終わると申后の書を幽王に見せました。幽王は申后の筆跡と認め、書信を持っていた者が誰か聞きます。褒妃が言いました「既に捕えてある温媼です。」
幽王はすぐに温媼を部屋から出させると、有無を言わさず剣を抜いて斬り棄てました。
 
その夜、褒妃が再び幽王の前で甘えて言いました「賎妾(私)の母子の性命は、太子の手にかかっています。」
幽王が言いました「朕が居るのだから、太子には何もできまい。」
褒姒が言いました「吾が王が千秋万歳崩御の後は、太子が国君になります。今、王后は日夜、宮中で咒詛しています。万一、あの母子が権力を握ったら、妾と伯服は死んでも埋葬する地がないでしょう。」
言い終わると褒姒は静かにむせび、やがて声を上げて泣き始めました。
幽王が言いました「わしは王后の太子を廃し、汝を正宮に立てて伯服を東宮(太子)にしようと思っている。しかし群臣が従わないのではないかと心配しているのだ。」
褒妃が言いました「臣下が国君の言を聴くのは順です。国君が臣下の言を聴くのは逆です。王がその考えを大臣に示して公議させたら如何でしょう。」
幽王は「卿(汝)の言う通りだ」と言って同意しました。
その夜、褒妃は腹心を送って虢石父と尹球に答弁の用意をさせました。
 
翌日、早朝(朝の会)の礼が終わってから、幽王が公卿を殿上に招き、こう言いました「王后は嫉妒と怨望によって朕の身体を呪っており、天下の母に相応しくない。捕えて罪を問うべきではないか。」
虢石父が言いました「王后は六宮後宮の主なので、罪があっても逮捕してはなりません。もし徳がなく、その位が相応しくないとしても、旨(命令)を伝えて廃すだけです。他に賢徳の女性を選んで母の儀を天下に示すことができれば(母儀天下)、万世の福となります。」
尹球が上奏しました「臣は褒妃の徳性が貞静だと聞いています。中宮の主に相応しいでしょう。」
幽王が問いました「太子が申に居るのに申后を廃したら、太子はどうなる?」
虢石父が言いました「『母は子によって貴くなり、子は母によって貴くなる(母以子貴,子以母貴)』といいます。今、太子は罪を避けるため申に居り、温凊の礼(冬は暖かくなる物を届け、夏は涼しくなる物を届けること。父母に対して子が行う礼)が廃されて久しくなります。そもそも、母が廃されるのにその子を立てる必要があるでしょうか。臣等は伯服を東宮に立てることを願っており、それが社稷の幸にもなります。」
幽王は大喜びし、申后を冷宮(寵を失った妻妾が入る宮)に入れさせ、太子・宜臼を廃して庶人に落としました。褒妃が王后に、伯服が太子に立てられます。
諫言する者は宜臼の党とみなされ、重辟(重刑。死刑)に処せられました。幽王九年の出来事です。
文武百官は不満でしたが、幽王の意志が固いと知り、自分の身を犠牲にしても無益なので、口をつぐみました。
太史・伯陽父が嘆いて言いました「三綱(君臣・父子・夫婦の道)が絶たれてしまった。周の滅亡は目前に迫っている。」
伯陽父は即日、告老(引退)しました。
群臣の多くも職を棄てて田舎に帰ります。
朝廷には尹球、虢石父、祭公易といった佞臣が残り、幽王は朝から夜まで宮内で褒妃と楽しみました。
 
 
褒妃は正宮の位を奪って寵愛を独占しましたが、一度も笑ったことがありませんでした。
幽王は褒妃を楽しませるために、楽工を集めて様々な楽器を弾かせ(鳴鐘撃鼓・品竹弾絲)、宮人に歌舞を披露させたり觴(酒杯)を勧めさせました。しかし褒妃には喜ぶ様子が見られません。
幽王が問いました「愛卿は音楽が嫌いなようだが、好きなものは何だ?」
褒妃が言いました「妾には好きなものがありません。でも、以前、手で綵繒を裂いた時、その音が気持ちよかったのを覚えています。」
幽王が言いました「繒を裂く音が好きなら、なぜそれを早く言わないのだ。」
幽王はすぐ司庫に指示を出し、毎日、綵繒百匹を宮内に運ばせました。褒妃を喜ばせるために、力が強い宮娥に大量な綵繒を引き裂きます。ところが、褒妃は繒を裂く音を好んでも笑顔を見せることはありません。
幽王が問いました「卿はなぜ笑わないのだ?」
褒妃が答えました「妾は生まれてから笑ったことがありません。」
幽王が言いました「朕は卿が口を開けて笑うのを見てみたい。」
そこで幽王の令が出されました「宮内宮外に関わらず、褒后に一笑をもたらした者には、賞賜千金を与える。」
すると虢石父が計を献じて言いました「昔、西戎が強盛になったため、先王は入寇を恐れて驪山の下に二十余カ所の煙墩(烽火台)を設け、また、数十架の大鼓を置きました。賊寇がいったん現れたら狼煙(烽火)が上がって霄漢(天空)を衝き、附近の諸侯が相次いで救兵を発します。同時に大鼓の音が鳴り響き、救援を督促しました。しかしここ数年は天下太平なので烽火が止んでいます。我が主が王后の口を開きたいのなら、王后と驪山で遊んだら如何でしょうか。夜に烽煙を挙げれば諸侯の援兵が必ず集まります。その時、寇(敵)がいなければ、王后は必ず笑うはずです。」
幽王は「素晴らしい計だ!」と言うと、褒后と一緒に駕に乗って驪山を巡遊しました。
 
夜、驪宮で宴が設けられました。幽王が烽火を挙げる命令を発します。
この時、鄭伯(鄭国の君主)・友が朝廷におり、司徒として前導(指揮をとること。ここでは恐らく王の代わりに朝廷をまとめること)を勤めていました。烽火を挙げる命を聞いた鄭伯・友は驚いて驪宮に走り、上奏して言いました「煙墩は先王が緊急時の備えとして造り、諸侯の信を得て成り立っているのです。今、理由もないのに烽火を挙げたら、諸侯を戯弄することになります。他日、もし不測の事態が起きたとしても、諸侯は烽火を信じなくなるでしょう。緊急の時に何をもって兵を集めるつもりでしょうか。」
幽王が怒って言いました「今の天下は太平である。なぜ兵を集める必要があるのだ。朕は王后と驪宮に巡遊したが、やることがないから(無可消遣)とりあえず諸侯と戯れてみようと思っているのだ。他日の有事は、卿には関係ないことだ。」
幽王は鄭伯の諫言を無視して烽火を挙げさせ、大鼓を打たせます。鼓声が雷のように響き、火光が天を照らしました。それを見た畿内諸侯は鎬京に変事が発生したと思い、各地で迅速に将兵を集め、夜の間に驪山に駆けつけました。ところが、驪山に着くと楼閣から管籥(笛等の管楽器)の音が聞こえてきます。幽王と褒妃は酒を飲み、音楽を奏でさせながら、人を送って諸侯にこう伝えました「幸いにも外寇はいない。はるばる御苦労であった。」
集まった諸侯は互いに顔を見合わせると、旗をたたんで引きあげました。
楼上にいた褒妃は欄干にもたれてその様子を眺めていました。諸侯達が慌てて集まりましたが、何もないと知ってあわただしく去っていきます。
突然、褒妃が手を叩いて大笑いしました。
幽王が言いました「愛卿の一笑は百媚が共に生まれたようだ。これは虢石父の功績である!」
虢石父には千金が与えられます。
この故事から「千金買笑(千金で笑いを買う)」という成語ができました。
 
 
この頃、申侯は幽王が娘の申后を廃して褒妃を立てたと知り、諫言の上書をしました「昔、桀は妹喜を寵愛して夏朝を滅ぼし、紂は妲己を寵愛して商朝を滅ぼしました。王は今、褒妃を寵信し、嫡子を廃して庶子を立てましたが、これは夫婦の義に反し、父子の情を損なうことです。桀・紂の事が今また行われているので、夏・商の禍も近いでしょう。我が王が乱命を撤回すれば、亡国の禍から逃れることができるかもしれません。」
幽王は上奏文を読むと激怒して案(机)を叩き、こう言いました「この賊は乱言を発するのか!」
虢石父が言いました「申侯は太子が放逐されてから久しく怨みをもっていました。今、后と太子が共に廃されたと知ったので、謀叛を企んでいます。だから敢えて王の過失を暴いているのです。」
幽王が問いました「どう対処するべきか?」
虢石父が答えました「申侯は功績がないのに、娘が王后に立てられたので爵が進められました。既に后も太子も廃されたので、申侯も爵位を落として伯に戻し、兵を発してその罪を討つべきです。そうすれば後患を除けるでしょう。」
幽王はこれに同意し、申侯の爵位を落としました。また、虢石父を将に任命し、精兵を集め、兵車を整えて、申国討伐の軍を起こそうとしました。
 
果たして両者の勝負はどうなるか。続きは次回です。