第二十一回 管夷吾が兪児を知り、斉桓公が孤竹を平定する(三)

*今回は『東周列国志』第二十一回その三です。
 
無棣城内にいる答里呵は斉兵の消息が分からなかったため、小番(番兵)を溪中に送って探らせました。すると溪中が竹筏で埋められ、兵馬が次々に川を渡って来ます。情報は急いで城中に告げられました。
驚いた答里呵は黄花元帥に兵五千を率いて斉軍を防がせます。
密盧が言いました「私には功がないので、速買を率いて前部にさせてほしい。」
しかし黄花元帥は「連敗した人と共に事を行うのは困難だ」と言うと、馬にまたがって出発しました。
答里呵が密盧に言いました「西北の団子山は東に来る時の要路です。賢君臣はそこを守って敵に応じてください。私も後から合流します。」
密盧は口頭では同意しましたが、黄花元帥が自分を軽視したため心中不満でした。
 
黄花元帥は溪口に至る前に高黒の前隊に遭遇しました。双方が衝突しましたが、高黒は黄花に敵わず退却しようとします。そこに王子成父が到着しました。黄花は高黒を棄てて王子成父に向かいます。両者は五十余合戦いましたが勝負がつきません。
その後ろに斉侯の大軍が到着しました。公子・開方が右から、豎貂が左から一斉に包み込みます。慌てた黄花元帥は軍を棄てて逃げ出しました。五千の人馬の大半が斉兵に殺され、残りは全て降伏しました。
黄花は単騎で逃走し、団子山に近づきます。しかしそこには林のように兵馬が並び、全て斉、燕、無終三国の旗号が立てられていました。賓須無等が川を渡ってから先に団子山を占拠していたのです。
黄花は山を越えることができません。そこで馬を棄てて樵採(樵。柴を刈る者)の姿になり、小路から山を登ってなんとか逃げ延びました。
大勝した斉桓公は兵を団子山に進め、左路の軍馬と陣営を連ねて再び進軍の相談をしました。
 
密盧が軍を率いて馬鞭山に到着しました。すると前哨が報告しました「団子山は既に斉兵に占領されました。」
密盧はやむなく進軍を止め、馬鞭山に駐軍します。そこに黄花元帥が逃げて来ました。自国の軍馬を見つけて営中に投じます。しかし中にいたのは密盧でした。
密盧が言いました「元帥は連勝の将なのに、なぜ単身でここに来たのですか?」
黄花は羞恥が極みに達します。
黄花が酒食を求めても得られず、炒った麦が一升だけ与えられました。更に馬騎を求めても得られず、漏蹄(病の馬?)だけが与えられました。
黄花は密盧を恨んで無棣城に還りました。
 
黄花は答里呵に会って報復の兵を請いました。
答里呵が言いました「元帥の言を聞かなかったためにこうなってしまった。」
黄花が言いました「斉侯が憎んでいるのは令支です。密盧君臣の首を斬って斉君に献上し、和を請えば、戦わずに兵を退かせることができます。」
答里呵が言いました「密盧は困窮して私を頼って来た。それを売るのは忍びない。」
宰相・兀律古が進み出て言いました「臣に一計があります。敗状を功に変えることができます。」
答里呵がその計を聞くと、兀律古が言いました「国の北に旱海という場所があります。迷谷ともよばれている砂磧(沙漠)の地で、一面水草もありません。今まで、国人の死者がそこに棄てられてきたため、白骨が晒され、白昼でも鬼(幽霊)が出没します。また、頻繁に冷風が吹き、風が通り過ぎた場所では人馬が立ってはいられず、風に中った者は毛髪が抜け落ちます。風沙が吹くと咫尺(わずかな距離)も見えなくなります。もし誤って迷谷に入ってしまったら、谷路が曲がりくねっているため必ず道に迷い、慌てても出ることができず、しかも毒蛇や猛獣の患もあります。誰かが偽って投降し、その地に誘い出せば、殺し合わなくても十分の八九を死に追いやることができます。我々はその間に軍馬を整え、敵が倒れるのを待っていればいいだけです。これこそ妙計でしょう。」
答里呵が問いました「斉兵がそこに行くだろうか?」
兀律古が言いました「主公は宮眷(宮人)を連れて陽山に隠れ、城中の百姓を全て山谷に移動させて兵を避けさせてください。城市が空になってから降人(斉に投降する者)を使って『我が主が砂磧に逃げて兵を借りようとしています』と伝えれば、敵は必ず追撃して我が計に陥ることになります。」
黄花元帥は喜んで斉の陣に行くことを願い出ました。答里呵は黄花に騎兵千人を与えて計を実行します。
 
黄花元帥は道中で「密盧の首を斬らなければ斉侯は信用しないだろう。もし成功すれば、主公もわしに(密盧を殺した)罪を加えることはないはずだ」と考え、馬鞭山に向かいました。
ちょうどこの時、密盧は斉兵と対峙して決着がつかなかったため、黄花が援軍を率いて到着したと聞き、喜んで出迎えました。黄花は密盧の不意を撃ち、馬上で首を斬ります。
それを見て激怒した速買が刀を持って馬に乗り、黄花に斬りかかりました。両家の軍兵がそれぞれの主のために戦います。本来、味方同士だったのに互いに殺しあいを始めました。
暫くして速買は勝てないと覚り、単刀独馬で虎児斑の陣に投降しました。しかし虎児斑は速買を信じず、軍士に命じて縛らせてから処刑しました。こうして憐れな令支国の君臣は中原を侵したために一朝で命を失いました。
 
黄花元帥は密盧の兵を吸収すると、直接、斉陣に向かい、密盧の首を献上しました。
黄花が言いました「国主は国を挙げて砂磧に逃走し、外国から兵を借りて仇に報いるつもりです。臣が投降を進言したのに聞き入れませんでした。よって、臣自ら密盧の首を斬り、帳下に投じました。臣を受け入れて小卒にでもしていただけることを願います。我が兵馬を率いて先導とし、国主を追って微労を尽くさせてください。」
密盧の首を見た桓公は黄花を信じて前部を任せ、大軍を率いて出発しました。
無棣に至ると黄花が言った通り空城と化しています。桓公はますます黄花を信用し、答里呵が遠くに逃げるのを恐れました。そこで燕荘公に一隊を率いて城を守らせると、残った兵を率いて連夜追撃しました。
黄花が先行して路を探ることを願い出たため、桓公は高黒を同行させました。その後に大軍が続きます。
 
斉軍が砂磧に到着すると、桓公は行軍を速めました。しかし久しく行軍した時、黄花の消息が途絶えます。空が暗くなり始め、周囲は白い沙以外には何もない空間が拡がっています。暗い中、濃い霧が立ち込めました。寒気とともに幽鬼の啼き声が聞こえ、悲風が吹きつけます。寒気が兵達に迫って毛骨を震えさせました。狂風が地を吹くと人馬ともに驚き、多くの軍馬が悪の気に中って倒れてしまいました。
この時、桓公管仲と馬を並べて進んでいました。
管仲桓公に言いました「以前、北方に旱海という場所があり、そこは極めて厲害(苛烈)な場所だと聞きました。恐らくここがそれでしょう。進むべきではありません。」
桓公は急いで伝令を発し、軍をまとめさせました。
しかし前後の隊は既に連絡がつかなくなっています。火種を持っても風に消されるため、火の点けようがありません。管仲桓公を守って馬頭を返し、急いで退却しました。隨行する軍士もそれぞれ金(鉦)や鼓を敲きます。大きな音によって陰気を除き、各隊に居場所を教えるためです。
 
天は真っ暗になり地も凄惨としています。東西南北を判断することもできません。どれくらいの路を進んだかも分からなくなった頃、幸いにも風が止んで霧が晴れ、空中に半輪の新月が現れました。諸将も金鼓の音を聞いて徐々に駆けつけ、一カ所にまとまって営が張られます。
空が明るくなる頃、諸将を確認して隰朋だけがいないと分かりました。軍馬は散り散りになり、多数が行方不明になっています。しかし隆冬閉蟄(冬の盛りで虫がいないこと)の頃だったため、毒蛇に襲われることはなく、歓声喧噪のおかげで猛獣も現れませんでした。そうでなかったらほとんど全滅していたはずです。
管仲は山谷が険阻で道を行く人もいないため、急いで路を探させましたが、東に行っても西に行っても曲がりくねった道が続くだけで、谷の出口がわかりません。桓公は早くから焦慮しています。
管仲が言いました「老馬は道を知る(老馬識途)といいます。無終は山戎と隣接しており、馬の多くは漠北から来ています。虎児斑に老馬を数頭選ばせて、老馬が進むのに従って行けば、路を得ることができるはずです。」
桓公は進言に従って数頭の老馬を選び、自由に歩かせました。老馬は曲がりくねった道を進んで行き、やっと谷口に至ります。
 
 
 
*『東周列国志』第二十一回その四に続きます。