第二十四回 召陵で楚大夫を礼款し、葵邱で周天子を奉戴する(三)

*今回は『東周列国志』第二十四回その三です。
 
鄭の子華と弟の子臧は嫡夫人から産まれました。夫人は寵を受けていたため、子華が世子に立てられます。しかし後に二人の夫人が立ち、それぞれに子が産まれました。嫡夫人の寵はしだいに衰え、暫くして病死しました。
南燕の姞氏の娘も媵(夫人に従って嫁ぐ女性)として鄭宮に入りましたが、御幸を得ることはありませんでした。
ある晩、姞氏が夢で一人の偉丈夫に会います。偉丈夫は手に蘭草を持ってこう言いました「余は伯儵である。汝の祖だ。国香を汝に贈って子を為し、汝の国を栄えさせよう。」
姞氏は蘭を受け取りました。目が覚めると部屋中に良い香りがします。
そこで姞氏は周りの宮人に夢の事を話しました。同伴(仲間。一緒に生活している者)達は笑って「貴子(子供)が産まれることでしょう」と言いました。
この日、鄭文公が入宮しました。姞氏を一目見て気に入ります。周りの者達が互いに顔を見合わせて笑っているため、文公がその理由を問うと、姞氏は夢の内容を話しました。文公が言いました「それは佳兆(善い前兆)だ。寡人が汝のために成就させよう。」
文公は宮人に蘭蕊を摘んで来させ、姞氏につけて「これを符(前兆に応じる徴)としよう」と言いました。
夜、姞氏が召されて幸を受け、妊娠します。産まれた子は蘭と名付けられ、姞氏は燕姞とよばれて寵愛を受けるようになりました。
世子・華は父の寵妃が多いため、後日廃立の事があるのではないかと恐れました。そこで秘かに叔詹に相談します。しかし叔詹は「得失には命(天命)があります。子(あなた)は孝を行うのみです」と言いました。孔叔にも相談しましたが、孔叔も孝を尽くすように勧めるだけです。
子華は不満を抱えて退出しました。
弟の子臧は特殊な物を好み、鷸(水鳥の一種)の羽を冠にしました。師叔が言いました「これは礼に合う服装ではないので、公子が身に着けるべきではありません。」
子臧は師叔の直言を嫌って兄に訴えました。子華は叔詹、孔叔、師叔の三大夫を嫌うようになりました。
 
斉が諸侯を寧母に集めた時、鄭伯は子華を参加させることにしました。子華は斉侯の譴責を恐れて行くのを渋りましたが、叔詹が催促したため、心中ますます叔詹を憎み、自分を守る方法を考えました。
桓公に会った子華は左右の人払いを請い、人がいなくなってからこう言いました「鄭国の政治は全て洩氏(叔詹)、孔氏(孔叔)、子人氏(師叔)の三族に従っています。盟から逃走したのも三族が主張したからです。もし君侯の霊(福)によってこの三臣を除くことができるのなら、私は喜んで鄭を挙げて斉に帰順し、附庸(属国)と同等の立場になります。」
桓公は「わかった(諾)」と言ってから、子華の謀を管仲に告げました。しかし管仲は強く反対してこう言いました「いけませ(不可,不可)。諸侯が斉に服しているのは礼と信があるからです。子が父命を侵すのは、礼ではありません。友好のために集まったのに、ある国の乱を謀るのは信ではありません。そもそも、臣はこの三族が賢大夫であり、鄭人に『三良』と称されていると聞いています。盟主が貴ばれるのは人心に順じているからです。人道に背いて自分を満足させようとしたら必ず災禍が訪れます。臣が見たところ、子華は禍から逃れることができません。主公は同意してはなりません。」
納得した桓公は子華にこう言いました「世子の言は国家の大事である。子(汝)の国君が来たら共に計ろう。」
子華は顔を真っ赤にし、背に汗を流して計画の失敗を覚りました。早々に別れを告げて帰国します。
管仲は子華の奸計を嫌い、わざと子華の言を鄭に漏らしました。子華が帰る前に鄭伯に報告されます。
それを知らない子華は復命して言いました「斉侯は我が君が自ら参加しないことを深く怪しみ、講和に同意しませんでした。楚に従うべきです。」
すると鄭伯が大喝して言いました「逆子は我が国を売ろうとしたばかりでなく、嘘までつくのか!」
鄭伯は左右に命じて子華を幽室に監禁させました。子華は壁に穴を掘って逃げようとしましたが、鄭伯に殺されます。管仲の予言が的中しました。
弟の公子・臧は禍を避けて宋に奔りましたが、鄭伯が人を送って途中で殺しました。
鄭伯は斉侯が子華の言を聞かなかったことに感謝し、改めて孔叔を斉に派遣して謝罪し、盟を請いました。周恵王二十二年の事です。
 
 
この年の冬、周恵王が病にかかって危篤に陥りました。
王の世子・鄭は恵后が変事を起こすことを恐れ、下士・王子虎を斉に派遣して難を告げました。
暫くして恵王が崩じます。
子鄭は周公・孔、召伯・廖と商議しました。とりあえず喪を隠し、斉に向かう王子虎に緊急で秘報を伝えます。
王子虎が斉侯に状況を説明すると、斉侯は諸侯を洮に集めました。
鄭文公も自ら盟に参加します。歃血の儀式を行って盟を結んだのは、斉、宋、魯、衛、陳、鄭、曹、許の八国です。それぞれ上表(天子に提出する文書)を準備して大夫を周に送りました。斉の大夫は隰朋、宋の大夫は華秀老、魯の大夫は公孫敖、衛の大夫は寧速、陳の大夫は轅選、鄭の大夫は子人師、曹の大夫は公子戊、許の大夫は百佗です。八国の大夫は羽儀(旗)を並べて車を連ね、問安(起居の様子を問うこと。挨拶)を名目にして王城の外に集結しました。王子虎が先に帰って報告します。王世子・鄭は召伯・廖を送って諸大夫を慰労し、その後、恵王の喪を発しました。
諸大夫が新王への謁見を強く求めたため、周・召二公は子鄭を奉じて喪を主宰させました(先王の喪主が後継者になります)。諸大夫は王城に集まった機会を利用して、各国の君命と称して入朝し、恵王の弔問を行いました。そこで公式に王世子の即位を求めます。百官が朝賀し、子鄭が即位しました。これを襄王といいます。
恵后と叔帯は秘かに悔しがりましたが、異志を実現させることはできません。襄王は翌年に正式に即位して改元することを各国に伝えました。
 
襄王元年、春祭が終わってから襄王は宰周公・孔を斉に派遣することにしました。胙(祭肉)を下賜して翼戴の功(即位を助けた功績)を顕揚するためです。
桓公はその情報を得ると再び葵邱に諸侯を集めました。
葵邱に向かう道中で斉桓公管仲と周について語りました。管仲が言いました「周室は嫡庶の秩序をはっきりさせなかったために禍乱を招くところでした。今、主公も儲位が定まっていません。早く後嗣を立てて後患を絶つべきです。」
桓公が言いました「寡人には六子がいるが、全て庶出だ。年長者を選ぶなら無虧だが、賢才を選ぶなら昭だ。長衛姫は寡人に仕えて最も久しいので、寡人は既に無虧を立てることに同意した。易牙と豎貂の二人もしばしばこの事に言及している。しかし寡人は昭の賢才を愛しているので決めることができない。仲父に決めてもらえないか。」
管仲易牙と豎貂の奸佞を知っています。二人は長衛姫にも信任されているので、無虧が国君になったら内外で徒党を組んで国政を乱すことになります。一方、公子・昭は鄭姫の子で、鄭は盟を受けたばかりなので、昭を立てれば鄭との同盟を固めることができます。そこでこう答えました「伯業(覇業)を継がせたいのなら賢才でなければなりません。主公が既に昭の賢才を知っているのなら、それを立てるべきです。」
桓公が問いました「無虧が年長者という立場で争ったらどうすればいい?」
管仲が言いました「周王の位も主公によって定められました。今回の会盟において、主公は諸侯の中から最賢の者を選び、昭を托すべきです。そうすれば憂患の必要がなくなります。」
桓公は頷きました。
 
桓公が葵邱に着いた時、諸侯は既に集まっており、宰周公・孔も到着しました。それぞれ館舍に入ります。
この少し前に宋桓公・御説が死にました。世子・茲父は国を公子・目夷に譲ろうとしましたが、目夷は辞退しました。即位した茲父は襄公とよばれます。襄公は盟主の命を尊重し、喪に入ったばかりなのに墨衰(喪服)のまま会に参加しました。
管仲桓公に言いました「宋子には国を譲る美徳があります。これは賢というものです。また、墨衰で会に参加したのは斉に対して恭敬だからです。儲貳(後継ぎ)の事を托すことができます。」
桓公管仲の言に納得し、管仲を秘かに宋襄公の館舍に送って意志を伝えました。
話を聞いた襄公は自ら斉侯に会いに行きます。
斉侯が宋公の手を握り、丁寧に公子・昭を託して言いました「後日の事は貴君の主持に委ねます。(昭を)社稷の主にしてください。」
襄公は「自分には責任が重すぎる」と言って辞退しましたが、斉侯が自分に後事を托したことを感謝して心中で同意しました。
 
会盟の日、衣冠を正した貴人が並び、環珮が音を響かせます。諸侯はまず天使(王の使者)を壇に登らせ、続いて序列に従って壇を登りました。壇上には天王の虚位(仮の王位)があります。諸侯は朝覲の儀と同じように北面して拝稽し、それぞれの場所に就きました。宰周公・孔が胙を持って東向きに立ち、新王の命を伝えます「天子が文武の事(文王・武王の祭祀)を行ったので、孔を派遣して伯舅に胙を下賜する。」
斉侯が階を降りて拝受しようとすると、宰孔が止めて言いました「天子にはまだ命があります。伯舅は耋老(老齢)なのに労(功績)を加えたので、一級を賜って下拝を免じるとのことです。」
桓公が従おうとすると、管仲が傍から進み出て言いました「君(天子)が譲ったとしても臣が不敬であってはなりません。」
そこで桓公は「天威(天子の威信)は顔から咫尺(わずかな距離)も離れることがありません。小白には王命を貪って臣職を廃すようなことはできません」と言うと、小走りで階段を降りて再拝稽首し、再び堂に登って胙を受け取りました。
諸侯は礼を守る斉の姿に感服します。
 
桓公は諸侯が解散する前に同盟を強化し、周の『五禁』を宣言しました。その内容は「泉を塞いではならない。穀物の流通を妨害してはならない。嫡子を換えてはならない。妾を正妻にしてはならない。夫人を国事に参与させてはならない(毋壅泉,毋遏糴,毋易樹子,毋以妾為妻,毋以婦人与国事)」です。
その後、誓って言いました「我々同盟に参加した者は全て友好に帰す。」
桓公は載書(盟書)を犠牲の上に置いて宣読させるだけで、犠牲を殺さず、歃血も行いませんでした。諸侯は皆、斉桓公に信服します。
 
 
 
*『東周列国志』第二十四回その四に続きます。