第四十五回 晋襄公が秦を敗り、先元帥が翟で殉じる(四)

*今回は『東周列国志』第四十五回その四です。
 
晋襄公が秦討伐の相談をしている時、突然、辺吏(辺境の官吏)が駆けつけて報告しました「翟主の白部胡が兵を率いて国境を侵し、既に箕城を通過しました。兵を発して防いでください!」
襄公が驚いて言いました「翟と晋の間に対立はないはずだ。なぜ国境を侵すのだ!」
先軫が言いました「先君の文公は翟に出亡し、翟君は二隗を我が国の君臣に嫁がせました。翟に住んで十二年、厚い礼で晋の君臣を遇し、先君が国に還ってからも翟君は人を派遣して拝賀し、二隗を晋に送りました。しかし先君の世では、一介の束帛も翟に贈りませんでした。翟君は先君との友好を想って不満を言わなかったのです。しかしその子・白部胡が位を継いでからは、自分の武勇に頼るようになりました。だから喪に乗じて攻めて来たのです。」
襄公が言いました「先君は王事のために勤労し、私恩に報いる暇がなかった。今、翟君は我が国の喪に乗じて攻めて来た。これは我が国の仇である。子載(先軫)が寡人のためにこれを討て。」
先軫は再拝して辞退し、こう言いました「臣は秦帥が帰ったことに怒り、一時の怒激によって国君に唾を吐きました。無礼の極みです。『軍事を整えたいのなら、礼だけが民()を整えることができる(兵事尚整,惟礼可以整民)』といいます。無礼な者は帥の任に堪えることができません。主公が臣の職を解き、別に良将を選ぶことを望みます。」
襄公が言いました「卿は国のために発憤した。忠心によって激発されたのである。寡人がそれを赦さないはずがない。翟を防ぐことができるのは卿しかいない。卿は辞退するな。」
先軫はやむなく命を受けて退出し、嘆息して言いました「わしは本来、秦で死ぬつもりだった。翟で死ぬことになるとは思いもしなかった。」
それを聞いた者は何を意味するか理解できませんでした。
襄公は曲沃から絳都に還りました。
 
先軫は中軍の帳を建てて諸軍を集め、諸将に問いました「前部の先鋒になろうという者はいるか?」
すると一人が胸を張って前に出て「某(私)に行かせてください」と言いました。
先軫が見ると右車(車右)を拝命したばかりの将軍・狼です。先軫は狼が謁謝に来なかったことが不満でした。今回、狼が先鋒を名乗り出たため、ますます不快になります。そこで罵ってこう言いました「汝は新しく位を進めた小卒に過ぎない。偶然、一囚を斬ったために重用されることになったが、大敵が国境を侵している今、汝には退讓(謙遜)の意が見られない。我が帳下には一人の良将もいないと見くびっているのか!」
が言いました「小将は国家のために力を尽くしたいだけです。元帥はなぜ拒むのですか?」
先軫が言いました「わしの眼前には力を尽くそうという者が大勢いる。汝は何の謀勇があって諸将の上に立とうというのだ!」
先軫は狼を叱責して職を奪い、狐鞫居が崤山で秦軍を挟撃した功績を認めて狼の代わりにしました。
は首を垂れて嘆息し、恨みを抱えて退出します。
の友人・鮮伯がその姿を見て問いました「元帥が敵を防ぐために将を選んだと聞いたが、子はなぜこんな所にいるのだ?」
が言いました「私は自ら衝鋒(先鋒)を買って出た。それは国家のために力を尽くそうと思ったからだ。しかしなぜか先軫那廝(「那廝」は相手を軽蔑した言い方。「あいつ」「先軫のやつ」といった意味)の怒りに触れてしまった。彼は私に何の謀勇があるのかと言い、諸将の上に立つべきではないとして私の職を解いた。」
鮮伯が怒って言いました「先軫は賢能に嫉妬しているのだ。私があなたと一緒に家丁を起こして那廝(やつ)を殺し、胸中の不平を晴らそう。たとえ死んだとしても爽快ではないか!」
が言いました「それはいけない。大丈夫の死には名(名分)がなければならない。不義によって死ぬのは勇ではない。私は勇によって国君に認められ、戎右に任命された。しかし先軫は無勇によって私を退けた。もしも不義によって死んだら、私が退けられたのは不義の者が退けられたことになり、嫉妬している者(先軫)に私を用いなかった口実を与えることになってしまう。子(あなた)は暫く待ってくれ。」
鮮伯は感嘆して「子の高見は、私が及ぶところではない」と言い、狼と一緒に帰りました。
 
先軫は子の先且居を先鋒に任命しました。欒盾と郤缺が左右の隊となり、狐射姑と狐鞫居が後ろを守ります。車四百乗を発して絳都北門を出ました。
 
晋と翟は箕城附近で遭遇し、それぞれ陣営を構えました。
先軫が諸将を集めて計を授けました「箕城には大谷という場所があり、谷の中は広いので車戦に相応しい。また、その周りには樹木が茂っているので、伏兵を置くことができる。欒・郤二将は兵を分けて左右に埋伏しろ。且居が翟と交戦し、わざと負けて谷の中に誘い込む。そこを伏兵が一斉に攻撃すれば、翟主を捕えることができるだろう。二狐は兵を率いて後ろに続き、翟兵の救援を拒め。」
諸将は計に従って行動を開始しました。
先軫は大営を十余里後退させます。
 
翌日、両軍が陣を布きました。翟主・白部胡が自ら戦いを求めます。
先且居は数合戦ってから車の向きを換えて退却しました。白部胡が百余騎を率いて勇を奮い、晋軍を追撃します。先且居が翟軍を大谷に誘い入れると、左右の伏兵が襲いかかりました。白部胡は精神をかきたてて左右を突きましたが、百余の胡騎が次々に倒されていきます。晋軍も多くの兵が負傷しました。
長い間奮戦した白部胡は厚い包囲を突破しました。晋軍で阻止できる者はいません。
しかし白部胡が谷口まで来た時、一人の大将に遭遇しました。晋将は横から一矢を放ちます。矢は白部胡の面門(頭の前部)に刺さり、白部胡は身を翻らせて落馬しました。晋の軍士が集まって捕虜にしようとしましたが、白部胡の脳に矢が貫通して既に死んでいました。
矢を放ったのは新たに下軍大夫を拝した郤缺でした。郤缺は倒したのが翟主だと知り、首を斬って功を報告しました。
この時、先軫は中営にいました。白部胡が倒れたと聞いた先軫は顔を天に向けて「晋侯には福がある!晋侯には福がある!」と連呼し、紙筆(当時、紙はありませんが原文のまま訳します)をとって表章(国君に献上する書)を書いてから案(机)の上に置きました。その後、諸将に知らせることなく営中の腹心数人だけを連れて単車に乗り、翟陣に向かいます。
 
白部胡の弟・白暾は兄の死を知らないため、兵を率いて迎えに行こうとしました。すると晋の単車が向かってきます。白暾は翟軍を誘い出すために晋が出した兵だと思い、急いで刀を持って迎え討ちました。
それを見た先軫は戈を肩に乗せ、目を見開いて大喝しました。見開いた目尻が裂けて血が顔に流れるほどです。白暾は驚いて数十歩退き、晋軍に後続の部隊がないのを見極めてから、弓箭手に矢を射るように命じました。
先軫は神威を奮い起して車を駆けさせ、自ら三人の頭目と二十余人の兵士を殺しました。先軫自身は全く傷を負っていません。翟の弓箭手は先軫の武勇を恐れて手に力が入らず、放った矢に勢いがありませんでした。先軫も重鎧を着ていたため、矢が刺さるはずがありません。
先軫は翟の矢が自分を傷つけられないのを見て、嘆息して言いました「わしが敵を殺さなかったらわしの勇を証明することができなかった。しかし既に敵を殺して勇を示すことができた。これ以上殺しても無益だ。わしはここで死ぬとしよう。」
先軫は甲冑を脱いで矢を受けました。矢が蝟(はりねずみ)のように刺さります。先軫は立ったまま息を絶えました。
白暾がその首を斬ろうとしましたが、目を怒らせて鬚を立たせた姿は生きているようだったため、心中恐れを覚えました。ある軍士が死体を見て言いました「これは晋の中軍元帥・先軫です。」
白暾は部下を率いて先軫を囲み、拝礼してから「まさに神人だ」と言って感嘆しました。
白暾が死体に向かって言いました「神(先軫)が私と共に翟に帰って供養されることを望むのなら倒れよ。」
しかし死体は立ったままです。
白暾が改めて言いました「神は晋国に還りたいのか?それならば私が送り返そう。」
言い終わると死体は車の上で倒れました。
 
どのようにして晋国に送り返すのか、続きは次回です。