2016-05-20から1日間の記事一覧

戦国時代51 東周顕王(十九) 蘇秦の合従 前333年(3)

今回で東周顕王三十六年が終わります。 [五(続き)] 『資治通鑑』から蘇秦の記述に戻ります。 秦が趙を攻撃することはないと判断した蘇秦は、韓宣恵王に会ってこう言いました「韓の地は四方九百余里に及び、甲士は数十万を擁し、天下の強弓、勁弩、利剣は全…

戦国時代50 東周顕王(十八) 張儀登場 前333年(2)

今回は東周顕王三十六年の続きです。蘇秦の故事を書いています。 [五(続き)] 『資治通鑑』の記述です。 蘇秦が趙粛侯に言いました「今の世において、山東(崤山以東)に建つ国では趙より強い国はなく、秦が最も警戒している国も趙の他にありません。しかし秦…

戦国時代49 東周顕王(十七) 蘇秦登場 前333年(1)

今回は東周顕王三十六年です。三回に分けます。 顕王三十六年 前333年 戊子 [一] 『史記・秦本紀』によると、この年、秦が陰晋の人(魏人。『六国年表』では「徐晋人」)・犀首を大良造に任命しました。 犀首は官名で、姓は公孫、名は衍といいます。 [二] 楚…

第四十五回 晋襄公が秦を敗り、先元帥が翟で殉じる(四)

*今回は『東周列国志』第四十五回その四です。 晋襄公が秦討伐の相談をしている時、突然、辺吏(辺境の官吏)が駆けつけて報告しました「翟主の白部胡が兵を率いて国境を侵し、既に箕城を通過しました。兵を発して防いでください!」 襄公が驚いて言いまし…

第四十五回 晋襄公が秦を敗り、先元帥が翟で殉じる(三)

*今回は『東周列国志』第四十五回その三です。 襄公の母である嬴氏(文公夫人)も葬儀のため曲沃にいました。三帥が捕えられたという情報を知り、わざと襄公に問いました「我が国の兵が勝ち、孟明等が捕えられたと聞きました。これは社稷の福です。もう誅戮…

第四十五回 晋襄公が秦を敗り、先元帥が翟で殉じる(二)

*今回は『東周列国志』第四十五回その二です。 孟明等の三帥が東崤に入って数里行軍しました。上天梯、墮馬崖、絶命巖、落魂澗、鬼愁窟、断雲峪といった名の険路が続きます。道幅が狭いため車は通れません。 前哨の褒蛮子が遥か前を進んでいるため、孟明が…

第四十五回 晋襄公が秦を敗り、先元帥が翟で殉じる(一)

第四十五回 晋襄公が墨縗で秦を敗り、先元帥が胄を脱いで翟で殉じる (晋襄公墨縗敗秦 先元帥免胄殉翟) *今回は『東周列国志』第四十五回その一です。 晋の中軍元帥・先軫は既に秦が鄭を奇襲しようとしていることを知っていたため、襄公にこう言いました「…