第五十一回 董狐が直筆し、絶纓の大会を開く(一)

第五十一回 趙盾を責めて董狐が直筆し、鬥椒を誅して絶纓の大会を開く
(責趙盾董狐直筆 誅鬥椒絶纓大会)
 
*今回は『東周列国志』第五十一回その一です。
 
晋霊公は趙盾殺害に失敗しましたが、趙盾が晋都・絳城を離れたことを喜びました。まるで村童が師から離れ、頑豎(頑劣な子供。童僕)が主から離れた時のように、言い表せないほど爽快な気分です。霊公は早速、宮眷(妃妾・宮人)を率いて桃園に宿泊し、日夜帰らなくなりました。
 
西郊で狩りをしていた趙穿が還ってきました。道中でちょうど趙盾と趙朔の父子に遭遇します。
趙穿が車を止めて何があったか問いました。趙盾と趙朔の話を聞いてから、趙穿が言いました「叔父は暫く国境を出ないでください。数日の間に穿が連絡するので、それから出奔するかどうかを決めてください。」
趙盾が言いました「それならとりあえず首陽山に住み、好音を待つことにしよう。但し、汝は何事においても慎重に行動せよ。禍に禍を加えてはならない。」
趙穿は趙盾・趙朔父子と別れて絳城に帰りました。
 
霊公が桃園に住んでいると知った趙穿は恭順を装って謁見し、稽首謝罪して言いました「臣・穿は宗戚(公族の婚姻関係。趙穿の妻は晋襄公の娘です)に加えていただいていますが、罪人の同族なので敢えて再び左右に侍ることができなくなりました。罷免を請わせていただきます。」
霊公は趙穿の言を誠心によるものだと信じ、慰めて言いました「盾はしばしば寡人を侮り虐げてきた。だから寡人は我慢できなくなったのだ。卿とは関係ないことだ。卿は安心して職に就け。」
趙穿は恩を謝してからこう言いました「臣は『人主という尊貴な地位にいる者は、人生における声色の楽を極めることができる』と聞いています。主公は鐘鼓を置いていますが、内宮(妃妾)は充分ではありません。これでは楽を極めることができないでしょう。斉桓公は嬖倖(寵愛する妃妾)で宮を満たし、正娶(正妻)の他にも如夫人(正妻に準じる者)が六人いました。先君の文公も出亡(亡命)して患難の中にいましたが、至る所で姫(妻)を迎え、六旬(六十歳)を越えて帰国したのにもかかわらず、無数の妾媵がいました。主公は高台・広囿を造って寝所としているのに、なぜ良家の女子をたくさん選んでその中を満たさないのですか。明師に命じて歌舞を教えさせ、娯楽の備えとするのも、素晴らしいことではありませんか。」
霊公が言いました「卿の言はまさに寡人の意に合っている。国中の女色を探して集めることにしよう。しかし誰に任せるべきだろうか?」
趙穿が言いました「大夫・屠岸賈なら任せられます。」
霊公は屠岸賈にこの任務を与えました。城内郊外に関わらず、二十歳以下の美色の女子で未婚の者は全て名を報告させ、その中から霊公に侍る美女を選ぶことになりました。屠岸賈は一カ月以内に復命するように命じられます。
趙穿はこの任務を利用して屠岸賈を霊公から離すことに成功しました。
 
後日、趙穿が霊公に再び進言しました「桃園の侍衛は数が少なく力も弱いので、臣が軍中で驍勇二百人を精選し、宿衛に充てたいと思います。主公の判断を仰ぎます。」
霊公はこれにも同意しました。
そこで営に帰った趙穿は二百名の甲士を選びました。
甲士が趙穿に問いました「将軍の命は何でしょうか?」
趙穿が言いました「主上は民情を憐れむことなく、終日、桃園で享楽に耽っている。わしに汝等を選ばせたのは、彼のために巡警するのが目的だ。汝等には室家(家や家族)があるが、今回の任務に就いたら風に晒されて露営しなければならず、それがいつまで続くのかも分からない。」
軍士達が霊公を憎んで言いました「このように無道な昏君は速く死ぬべきです。もし相国がここにいれば、このような事は起きないでしょう。」
趙穿が言いました「わしには汝等と商量したいことがあるが、如何だ?」
軍士達が言いました「将軍が我々の苦を除いてくださるのなら、その恩は再生(蘇生。生き返ること)させてもらった恩と同じです。」
趙穿が言いました「桃園は公宮ほど深遠ではない。まず、汝等は二更(夜九時から十一時)を決行の時とし、討賞(褒賞を求めること)と称して園中に進入する。わしが袖を揮ったら、それを合図に汝等が晋侯を殺し、わしが相国を迎え入れて新たに新君を立てる。この計は如何だ。」
軍士達は「素晴らしい計です(甚善)」と言って賛同しました。
趙穿は酒食で軍士達を労い、桃園の外に並べてから霊公に報告します。
霊公が台に登って確認すると、皆、精勇で剛強な面構えをしていました。喜んだ霊公は趙穿を留めて酒を勧めます。
 
酒を飲んで二更になりました。突然、外から騒ぎ声が聞こえてきます。霊公が驚いて理由を尋ねると、趙穿が言いました「宿衛の軍士が夜を歩く者を追い払っているのでしょう。臣が聖駕(国君)を驚かさないように諭してきます。」
趙穿はすぐ部下に灯を持たせて台を下りました。すると既に門を破った甲士二百人が侵入してきました。趙穿は兵達を静かにさせて、台の前まで連れて来ます。
趙穿が楼を登って言いました「軍士は主公が宴を開いていると知り、餘瀝(残った酒)で犒労(慰労)することを求めています。他の考えはありません。」
霊公は内侍に命じて甲士達に酒を与えさせました。霊公はその様子を欄干に寄りかかって眺めます。
すると趙穿が霊公の傍で甲士達に向かって言いました「主公が自ら汝等を慰労された。それぞれ謹んで受け取れ!」
言い終わると趙穿が袖を揮いました。甲士達は晋侯の顔を見定めて一斉に台を登ります。
霊公が慌てて趙穿に言いました「甲士が台を登って来るのは何故だ!卿は速く退くように命じよ!」
趙穿が言いました「衆人は相国・盾に会いたいと思っており、主公に呼び戻してほしいのです。」
霊公が応える前に多数の戟が突き刺さり、霊公はその場で死にました。左右の近臣は驚いて逃走します。
趙穿が言いました「昏君は既に除いた。汝等は一人も妄りに殺してはならない。今からわしと共に相国を迎えに行こう。」
晋侯は無道で殺人を好んだため、近侍は朝から晩まで誅殺を恐れていました。そのため、甲士が謀反しても霊公を助けようとした者は一人もいません。百姓も久しく怨苦していたため、晋侯の死を喜び、趙穿を責める者はいませんでした。
七年前に慧星が北斗に入り、「斉、宋、晋の三国の君は皆、乱に遭って死ぬ」と占われましたが、ここにおいて全てが現実になりました。
 
屠岸賈は郊外の家を一軒一軒訪ねて美色の女子を探していました。そこに「晋侯が弑殺された」という報告が入ります。屠岸賈は驚愕しましたが、心中で趙穿が行ったことだと判断し、敢えて声を挙げず、秘かに府第に帰りました。
士会等が異変を聞いて桃園に走りましたが、既に誰もいません。趙穿が相国を迎えに行ったと考え、園門を封鎖して静かに待つことにしました。
一日もせずに趙盾の車が絳城に入りました。桃園に来るとすぐに百官が集合します。
趙盾は霊公の死体に伏せて痛哭しました。哀声が園外にまで響いたため、百姓はこう言いました「相国の忠愛はこのようであった。晋侯は自ら禍を招いたのだ。相国の過ちではない。」
趙盾は霊公の死体を棺に納めさせ、曲沃に運んで埋葬するように命じました。
同時に群臣を集めて新君について相談します。霊公にはまだ子がいません。
趙盾が言いました「先君・襄公が没した時、わしは長君を立てるように主張したが、皆の考えが一致せず、今日の事を招いてしまった。今回は慎重に選ばなければならない。」
士会が言いました「国に長君がいれば社稷の福となります。誠に相国の言の通りです。」
趙盾が言いました「文公にはまだ一子がおり、産まれた時に母が夢で神人に会ったという。神人が黒い手で臀(尻)を塗ったことから、黒臀と命名された。今は周に仕えており、既に歯が伸びた(成長した)から、わしは彼を迎え入れようと思う。如何だ?」
百官に反対する者はなく、皆こう言いました「相国の判断が最も適切です。」
趙盾は趙穿の国君弑殺の罪を解くため(趙穿に功を立てさせるため)、趙穿を周に送って公子・黒臀を迎え入れました。
帰国した黒臀が太廟に朝して晋侯の位に即きました。これを成公といいます。
 
即位した成公は趙盾に国政を委ね、娘を趙朔に嫁がせました。これを荘姫といいます。
趙盾が上奏しました「臣の母は狄女ですが、君姫氏(趙衰の妻。晋文公の娘)に遜讓の美があったため、人を送って臣の母子を晋に迎え、臣は適子(趙衰の跡継ぎ)として中軍の主になることができました。今、君姫氏には三子(趙盾の異母弟)がおり、同、括、嬰といいます。三人とも成長したので、位(趙氏の主の座)を返したいと思います。」
成公が言いました「卿の弟はわしの妹(趙衰の妻)が鐘愛(寵愛)している。併せて用いよう。過度な謙譲は必要ない(趙盾が位を譲る必要はない)。」
こうして趙同、趙括、趙嬰が大夫になりました。
趙穿は以前と同じく中軍の佐を勤めます。
 
趙穿が個人的に趙盾に言いました「屠岸賈は先君に媚びていたので、趙氏を仇と思っています。桃園の事は岸賈だけが心中に不満を持っています。彼を除かなかったら趙氏の不安となるでしょう。」
しかし趙盾はこう言いました「人が汝に罪を加えないのなら、汝が人に罪を加える必要もない。我々宗族は貴盛を得たが、同朝(同じ国君に仕える群臣)と睦を修めなければならない。敢えて仇となることを求めるな。」
趙穿は納得してあきらめました。
屠岸賈も恭しく趙氏に仕えて禍から逃れました。
 
 
 
*『東周列国志』第五十一回その二に続きます。