2016-06-02から1日間の記事一覧

戦国時代 胡服騎射

東周赧王八年(前307年)、趙武霊王が胡服令を発布しました。 戦国時代72 東周赧王(十) 秦武王の死 前307年 本編は『資治通鑑』を元にしました。ここでは『史記・趙世家』の記述を紹介します。 趙武霊王は北に向かって中山の地を巡視してから房子に至りまし…

戦国時代 周の出来事

『史記・周本紀』が周に関する記述を書いています。 戦国時代72 東周赧王(十) 秦武王の死 前307年 いつの事かははっきりしません。以下、列記します。 秦が両周(東西の周)の間に道を借りて(『戦国策・東周策』では「両周の間」ではなく「周に道を借りる」…

戦国時代72 東周赧王(十) 秦武王の死 前307年

今回は東周赧王八年です。 赧王八年 前307年 甲寅 [一] 春正月、趙武霊王が信宮で大朝(盛大な朝会)を催し、肥義を召して天下の事を議論しました。 大会は五日にわたって開かれました。 [二] 秦の甘茂が韓の宜陽を攻めましたが、五カ月経っても攻略できませ…

戦国時代71 東周赧王(九) 秦の甘茂 前308年

今回は東周赧王七年です。 赧王七年 前308年 癸丑 [一] 秦と魏が応で会しました。 『資治通鑑』胡三省注によると、応はかつて西周武王の子が封じられた国でした。『春秋左氏伝』に「邘、晋、応、韓は武王の穆(子)」とあります。 [二] 『史記・秦本紀』『韓…

第五十一回 董狐が直筆し、絶纓の大会を開く(四)

*今回は『東周列国志』第五十一回その四です。 荘王は戦勝を祝うために漸台に群臣を招いて大きな宴を開きました。全ての妃嬪も従います。 荘王が言いました「寡人が鐘鼓を置かなくなって既に六年が経つ。今日、やっと叛臣が首を授け、四境を安靖にさせるこ…

第五十一回 董狐が直筆し、絶纓の大会を開く(三)

*今回は『東周列国志』第五十一回その三です。 翌朝、鶏が鳴き始めると荘王が大軍を率いて退走しました。 鬥越椒は状況を探って撤退が事実だと知り、兵を率いて追撃を始めます。 楚軍は昼夜休まず疾走して竟陵を越え、更に北上しました。 鬥越椒も一日一夜…

第五十一回 董狐が直筆し、絶纓の大会を開く(二)

*今回は『東周列国志』第五十一回その二です。 趙盾は桃園の事件をいつも心に留めていました。 ある日、趙盾が歩いて史館を訪ね、太史・董狐に会って簡(史書)を求めました。董狐が史簡を持ってくると、こう明記されていました「秋七月乙丑(恐らく九月乙…

第五十一回 董狐が直筆し、絶纓の大会を開く(一)

第五十一回 趙盾を責めて董狐が直筆し、鬥椒を誅して絶纓の大会を開く (責趙盾董狐直筆 誅鬥椒絶纓大会) *今回は『東周列国志』第五十一回その一です。 晋霊公は趙盾殺害に失敗しましたが、趙盾が晋都・絳城を離れたことを喜びました。まるで村童が師から…