第五十五回 華元が子反を脅かし、老人が杜回に対抗する(後編)

*今回は『東周列国志』第五十五回後編です。
 
晋景公は荀林父だけでは潞討伐に失敗するかもしれないと思い、自らも大軍を率いて稷山に駐軍していました。
潞を平定した荀林父は先に稷山に戻って戦利品を献上します。赤狄の地を攻略するために副将・魏顆を残しました。
魏顆が兵を還して輔氏の沢まで来た時、突然、砂塵が舞い上がって太陽を覆い、殺伐とした喚声が天に響きました。
晋軍にはそれがどこの兵かわかりません。
暫くして前哨が走って報告に来ました「秦国が発した大将・杜回の兵が来ました。」
 
秦康公は周匡王四年に死に、子の共公・稻が即位しました。その頃、晋の趙穿が崇を侵したため、秦兵は焦を包囲しましたが失敗しました。そこで秦は酆舒と結んで晋国に対抗することにしました。
共公は即位して四年で死に、子の桓公・榮が即位しました。
この年は秦桓公十一年にあたります。
桓公は晋が酆舒を攻めたと聞いて援軍を送ることにしましたが、すでに晋が酆舒を殺して潞子を捕えたため、杜回を派遣して潞地を争わせました。
杜回は秦国の有名な力士です。生まれた時から銀鑿(のみ)のような牙(犬歯)が生えており(生得牙張銀鑿)、目は突き出ていて瞳が光を発し(眼突金睛)、拳は銅鎚のよう(拳似銅鎚)、顔は鉄の鉢のようで(臉如鉄缽)、鬚も髪も縮れており(虯鬚巻髪)、身長は一丈以上もありました。その力は千鈞を持ち上げることができ、重さ百二十斤もある開山大斧を操っています。
元は白翟の人です。以前、青眉山で一日に五頭の虎を殴り殺し、全ての皮を剥いで持ち帰りました。秦桓公がその勇を聞いて招聘し、車右将軍にしました。
その後、三百人を率いて嵯峨山の賊寇万余人を破り、威名を震わせて大将に任命されました。
 
秦軍が迫っていると知った魏顆は陣を構えて迎撃の体勢を整えました。
杜回は車馬を使わず、大斧を握り、戦に慣れた殺手(戦士)三百人を率いて大股で晋軍の陣営に突進しました。下は馬の足を斬り、上は甲冑を着た将をたたき割り、天が下した神煞(鬼神)のように動きまわります。晋兵は今までこのように凶暴な者を見たことがなかったため、歯が立たず大敗しました。
魏顆は営塁を築いて守りを固め、出陣しないように命じます。
 
杜回が一隊の刀斧手を率いて晋の営外で跳躍しながら罵声を浴びせました。しかし三日経っても魏顆は陣を出ようとしません。
突然、晋本国から援軍が来たという報せが届きました。その将は魏顆の弟・魏錡です。
魏錡が言いました「主公は赤狄の党が秦国と結んで変事を起こすことを恐れたので、弟(私)を送って援けさせました。」
魏顆は秦将・杜回の勇猛さを語り、「ちょうど援軍を請おうとしていたところだ」と言いました。
しかし魏錡は信じず、「草寇(山林の盗賊)のような彼等に何ができるというのですか。明日、弟(私)が出陣して必ず勝ち取って見せます」と言いました。
 
翌日、杜回がまた戦いを挑みに来ました。秦兵の挑発に憤った魏錡は陣を出ようとします。魏顆が止めても聴きません。魏錡は到着したばかりの甲士を率いて車を駆けさせ、秦軍に直進しました。
秦兵が四散したため魏錡は車を分けて後を追いました。すると突然一声が響き、三百人の殺手が一つになって杜回と共に襲って来ました。大刀や大斧が晋軍の馬や将を倒していきます。北辺の歩卒は車と一緒に向きを変えました(原文「北辺歩卒隨車行転」。恐らく秦軍を追っていた晋の歩兵と兵車が向きを変えて退却を始めたのだと思います)。輅車(大車)は向きを変えるのが不便なため、左右前後から手当たりしだいに打ち砕かれます。魏錡は大敗しました。
しかし魏顆が兵を率いて迎えに来たため、なんとか陣営に帰りました。
 
その夜、魏顆は営内で悶々としたまま座って考えを巡らしました。なかなか良策が浮かびません。座ったまま三更(深夜)になり、疲れのため朦朧として眠りにつきました。すると耳の傍で誰かが「青草坡」という三字を告げました。
目が覚めてその意味を考えましたが理解できません。再び眠ると同じことが繰り返されます。
そこで魏錡に話したところ、魏錡はこう言いました「輔氏から左に十里去ったところに大坡があり、その名を青草坡といいます。秦軍がその地で敗れるという意味でしょうか。弟が一軍を率いて埋伏するので、兄は敵軍をその地まで誘ってください。左右から挟撃すれば勝利を得られるでしょう。」
魏錡が埋伏の準備をしました。
 
魏顆は「寨を抜いて出発せよ」と命じ、「いったん黎城に帰る」と宣言しました。
それを聞いた杜回は追撃を始めました。魏顆は数合戦っただけで車の向きを変えて逃走します。
杜回が青草坡に近づくと砲声が鳴り響いて魏錡の伏兵が現れました。
魏顆も再び向きを変えて戦い、杜回を包囲します。しかし杜回は全く恐れる様子がなく、百二十斤の開山大斧を振り回して縦横に斬りつけ、立ち向かう者を次々に殺していきました。秦の多くの殺手に損傷が出ましたが、晋軍が勝利を得ることはできず、二魏(魏顆と魏錡)が衆軍を指揮して力戦しても、杜回は退こうしません。ところが、戦いながら青草坡の中間まで来た時、杜回が突然転倒しました。まるで油のついた靴で氷の上を踏んだ時のような転び方です。軍中で喚声が上がりました。
魏顆が目を挙げて遠くを眺めると、一人の老人がいました。布袍(布衣。庶民の服)・芒履(草鞋)という荘家(農民)のような姿です。老人が道中で青草を縛って輪を作ったおいたため、杜回は足が引っかかって転んでしまいました。
魏顆と魏錡の二輌の車が駆けつけました。二本の戟が並んで杜回を地に押し付け、ついに生け捕りにします。
秦の殺手達は主将が捕らえられたのを見て四散逃走しましたが、追撃した晋兵に捕えられました。三百人のうち逃げ延びたのは四五十人だけでした。
 
魏顆が杜回に問いました「汝は自らを英雄と自負していたが、なぜ捕えられたのだ?」
杜回が言いました「わしの両脚が何かにまとわりつかれて動かなくなったのだ。天がわしの命を絶ったのであり、力が及ばなかったのではない。」
魏顆は秘かに称賛しましたが、魏錡が「彼には絶力があります。軍中に留めたら変事を招く恐れがあります」と言ったため、魏顆も「私もまさにそれを考えていたところだ」と答えて杜回を斬首しました。
稷山に首を送って戦功を報告します。
 
その夜、魏顆が眠り始めた時、夢で昼間に見た老人に会いました。老人は魏顆の前まで来ると揖礼してこう言いました「将軍は杜回がなぜ捕えられたかわかりますか?あれは老漢(老人。私)が草を結んで障害を作っておいたから、転倒して捕虜になったのです。」
魏顆が驚いて問いました「今まで叟(年輩の男。あなた)の顔を見たこともなかったのに、なぜ助けていただけたのでしょうか。どう報いればいいでしょう。」
老人が言いました「私は祖姫の父です。あなたは先人の治命(正常な命令。意識が正しい時の遺言)に従って私の娘を別の者に嫁がせました。老漢は九泉の下(死後の世界)で子(あなた)が娘の命を助けてくれたことに感謝していたので、微力を尽くして報いとし、将軍を助けて今回の軍功を成させました。将軍は勉めてください。今後、世々代々栄顕し、子孫は王侯として貴ばれるでしょう。私の言を忘れてはなりません。」
以前、魏顆の父・魏犨には祖姫という愛妾がいました。魏犨は出征する度に魏顆にこう言っていました「もしもわしが沙場(戦場)で戦死したら、汝はわしのために良配を選んでこの女を嫁がせよ。この事を誤らなければ、わしは死んでも瞑目できる。」
しかし魏犨が病にかかって危篤に陥った時には魏顆にこう言いました「わしはこの女を愛惜している。必ずわしのために殉葬し、泉下に至ってもわしの伴侶にせよ。」
魏犨は言い終わると死にました。
魏顆は父の葬儀を済ませましたが、祖姫を殉死させませんでした。
魏錡が問いました「父の臨終の言葉を忘れたのですか?」
魏顆が言いました「普段の父はこの女を別の者に嫁がせるように命じていた。臨終の時は昏乱の言を述べるものだ。孝子とは治命(正しい命令)に従うべきであり、乱命(誤った命令)に従ってはならない。」
魏犨の埋葬が終わると、魏顆は士人を選んで女を嫁がせました。
この陰徳(隠れた恩)があったため、老人が草を結んで報いました。
夢から覚めた魏顆が魏錡に話しました「あの時、私は親の心に深入りして考え、女を殺さなかったが、女の父が地下でこのように恩を覚えているとは思わなかった。」
魏錡は嘆息が止みませんでした。
 
敗れた秦兵は雍州に帰りました。杜回の戦死を知って君臣ともに士気を失います。
晋景公は魏顆の功を嘉して令狐の地を与え、大鐘を鋳造してこの戦いを記録しました。後の人は晋景公が鋳造したこの鐘を「景鐘」とよびました。
晋景公は改めて士会に赤狄の余種を攻略させ、甲氏、留吁と留吁の属国の鐸辰を滅ぼしました。こうして赤狄の土地が全て晋の支配下に入りました。
 
当時、晋国は飢饉に襲われ、盗賊が次々に現れました。
荀林父は国中を訪ねて盗賊を取り締まる能力がある者を探し、一人の人材を見つけました。郤氏の一族で名を雍といいます。
郤雍は億逆(観察・推察)を得意としました。
ある時、郤雍が市井で遊んでいると、突然、一人を指さして「盗人だ」と言い、人を送って捕えさせました。その者を調べてみると本当に盗人でした。
荀林父が「なぜわかった?」と問うと、郤雍が答えました「私は彼の眉睫の間を見ていました。彼は市中の物を見る時には貪色があり、市中の人を見る時には愧色(恥と思う様子)がありました。また、私が近くに来たと知ったら懼色(懼れる様子)を見せました。だから分かったのです。」
郤雍は每日数十人の盗賊を捕まえて市井を震撼させました。ところが盗賊はますます増えていきます。
大夫・羊舌職が荀林父に言いました「元帥は盗賊を逮捕するために郤雍を用いていますが、盗賊を全て捕えることはできず、逆に郤雍の死期が近づいています。」
荀林父が驚いてその理由を聞きました。
 
羊舌職がどのような答えをするのか、続きは次回です。